25.思い出の地
しばらく更新ペース落ちますが、のんびり更新させていただきます。
潮の香りが鼻を抜けて、目を開ける前から成功したのがわかった。
瑠璃はノエルの腕に抱かれて、かつて一緒に星を眺めたあの浜辺に立っていた。
「…本当に戻ってきた。」
ノエルが星空を見上げて目を丸くして呟いた。
「またあなたと来られてよかった。」
瑠璃が微笑みかけると、啄むような優しい口付けが降ってきた。
「夢みたいだ。ありがとう、瑠璃。」
「お礼を言われるのは早いわ。」
「そんなことはない。私も瑠璃とここに来られたことが嬉しいんだ。」
瑠璃はあの日と同じく聳え立っている崖をノエルの肩越しに見上げた。
今見るとあの高さから飛び降りてよく怪我もせずに助かったものだと思う。
取り憑かれたように飛び降りた少年の影を思い出して、瑠璃はノエルにぎゅっと抱きついた。
「どうしたの?」
「あなたが生きていてくれてよかった。あの後もずっと、頑張って生きてくれてありがとう。」
「…瑠璃。」
「んっ……」
今度は熱い口付けを浴びせられた。
八年後に再会して、ここで口づけを交わすなんて、あの時の瑠璃は想像もしていなかった未来だ。
夢みたいなのに、口元から響く水音と静かに打ち寄せる波の音がこれが現実だと教えてくれて、幸せで涙が零れそうになった。
「…幸せだ。」
「私も、そう思ってた。」
抱き合ったまま顔を見合わせて笑い合った。
このまま二人でいたいけど、今日の目的はここではない。
「あなたの目的はこの先でしょう?私はここで星を見ているから行ってきて。」
体を離して伝えると、ノエルはなぜか首を傾げた。
「一緒に行くよ。」
「へ?」
「瑠璃を一人にさせられるわけがない。一緒に行こう。」
それを言ったら王子様を一人にさせる方がよっぽど心配だが、瑠璃はお貴族様のお屋敷に近づけるような身分ではない。
「いやいや、私は貴族のお屋敷になんて入れないわ。」
「城に入っているんだから怖がることはない。」
「それはあなたが…」
「ほら、行くよ。」
ノエルはこうなったら人の話を聞いてくれない。
頬を挟みたいけど、片手をがっしりと握られてずんずんと歩き出してしまった。
崖の上まではお供して、門で見送るか透明人間になろうと決めて抵抗は諦めた。
ノエルは道をよく知っているようで、あっという間に砂浜を抜けて崖へと続く一本道に辿り着いた。
「随分慣れているけど、この町にはどれくらいいたの?」
「二年くらいかな。することもなかったからよく散歩していたんだ。」
子供だったとは言え、国の跡取りの王子様が二年も城を離れることがあるのだと驚いて、瑠璃は深く考えずに聞いた。
「そうなんだ。どうしてここにいたの?」
ノエルは瑠璃の質問を聞いてなぜかぴたっと立ち止まった。
「ノエル?」
「…後で話すよ。話すと長いんだ。」
固くなった声で、聞いてはいけないことを聞いてしまったのだと悟った。
王子様の気分を害してまで知りたいわけではないので瑠璃は慌てて否定した。
「話したくなかったらいいの。何も知らずに聞いてごめんなさい。」
「いや、瑠璃には知っておいてほしいから。本当に話すと長いんだ。ちゃんと話したいから後で時間を取るよ。」
もしかしたらお母様が亡くなった理由にも繋がるのかもしれないと思った。
辛い思いを掘り起こさせたくないので、瑠璃は表情を固くしたノエルの頬に手を伸ばしてそっと撫でた。
「無理はしないで。私はどんなことがあってもずっとあなたの味方だから。」
ノエルは一瞬目を見開いて、それから泣きそうにも見える顔で微笑んだ。
「ありがとう。じゃあ行こうか。」
再びノエルに手を取られて道を進むと立派な門が現れて、奥に大きなお屋敷が見えた。
王城もそうだけど、門から玄関までの距離が庶民の家が何軒も立ちそうなくらい遠くて恐ろしくなる。
「ノエル、じゃあ私はここで…」
「さっき話したでしょう?瑠璃も行くんだよ。」
「いや、私は入る訳には…」
「来てもらわないと困る。」
「…どうして?」
そこまでして瑠璃を連れていきたい理由がわからない。
心配だからとかそんな理由なら透明人間になるしかないかと思って聞いた。
「あの日、瑠璃に助けてもらったことをこの家の者は知っている。君が魔女だということも伝えてある。
崖から飛び降りたんじゃなくて滑って落ちたことになっているけど。
瑠璃に直接お礼をしたいと、王城に帰る間際までそう言っていたから来てほしいんだ。」
瑠璃はそれなら行こうかと一瞬心が揺らいだけど、すぐに思い直した。
「…でも、私がどこかの貴族のご令嬢だと思っていたんでしょう?」
「それは否定しない。でもこの家の者は、瑠璃の身分がないからといって虐げるようなことはしないよ。
大丈夫だから一緒に行こう。」
本当にいいのだろうか、と顔を伏せて考えていたら、ノエルが瑠璃の顎をくいっと持ち上げた。
「私の家族に、瑠璃のことを紹介したいんだ。」
翡翠色の瞳が瑠璃をまっすぐ見つめた。
瑠璃は貴族に紹介してもらうような身分ではない。
でも、ノエルが瑠璃を想ってくれる純粋な気持ちが嬉しくて、瑠璃は恐る恐る頷いた。
「…わかった。」
「ありがとう。」
お礼を言うのはこちらなのに、ノエルはニコッと微笑んで瑠璃の頭を撫でてくれた。
そして、瑠璃の手を引いて門番の小屋…というよりも家のような建物に歩いて行った。
「何者だ。」
近づくと、中から門番の騎士が出てきた。
子供の頃以来来ていないと言っていたから、ノエルの正体に気づいていないのだろう。
だが、この国の王子様であるノエルに名乗らせるなんてとんだ不敬だ。
自分がやるしかない、と瑠璃は勇気を出して足を踏み出した。
ノエルが驚いたように瑠璃を見たのがわかった。
「夜分に失礼いたします。この御方はノエル王子殿下であられます。」
瑠璃は一息に言うと、深く頭を下げた。
門番が懐に提げていた剣に手をかけるのが視界の端に映った。
「グリオール公爵様の地でノエル王子殿下を騙るとは、命が惜しくないのか。」
突然現れたのだから当然の反応だろうと思った。
瑠璃の命は惜しくないけど、ノエルの命は惜しい。
瑠璃はノエルを庇うように手を伸ばした。
でもどうやって証明すればいいのかわからなくてノエルを見上げると、ノエルは瑠璃に微笑んでから瑠璃の手をそっと退けて騎士に歩み寄った。
「公爵にこれを渡すがよい。」
そう言って、首にかけていたペンダントを外した。
先程シャツがはだけた時に見えた、ノエルの瞳のような色の美しい翡翠のペンダントだ。
騎士は一瞬ぎょっとしたような顔をしたが、すぐに警戒を取り戻した様子でペンダントを受け取った。
「…少々お待ちください。」
騎士が小屋の中に戻って声をかけると、別の騎士が中から出てきて屋敷に走っていった。
あのペンダントで何かわかるのだろうか…と訝しく思いながら暫く待っていると、屋敷の方からたくさんの人が駆けてくるのが見えた。
「殿下…!」
先頭で走ってきた上品な紳士が叫ぶと、門番の騎士がぎょっとした顔でノエルを見た。
「まさか…」
騎士はみるみるうちに顔が青ざめた。
「本当にノエル王子殿下です。」
瑠璃が一応伝えると、騎士は慌てふためきながら跪いた。
「とんだ御無礼を申し訳ございません!ノエル王子殿下への不敬を死んでお詫び…」
「よい。伝令もなく来た私が悪いのだ。気にするでない。」
ノエルは騎士に優しい微笑みを向けた。
ケイルがノエルは派閥を問わず人気と言っていた意味がわかった気がした。
やがて屋敷から駆けてきた人々が門に到着して、門番が門を開いて恭しく頭を下げた。
お貴族様の集団を見て内心はパニックだったが、瑠璃はノエル様の従者だと思われているだろうからおかしな行動をしてはいけない。
どうにか正気を保って深く頭を下げた。
「ノエル王子殿下。お久しゅうございます。」
「お久しゅうございます、お祖父様。このような時間に突然押しかけた失礼をお許しください。」
ノエルが先頭で走ってきた紳士に頭を下げたので瑠璃は驚愕した。
(お祖父様って…まさかこの方がさっき言ってたグリオール公爵様…?公爵様がお祖父様だなんて、どこまで高貴な生まれなのよ……)
お貴族様と言っても色々あるけど、公爵はその中でも一番上だということは瑠璃でも知っていた。だからワーグナー公爵だとかいう高貴な家の血縁だと間違えられた時にぎょっとしたのだ。
さすが王妃様のご実家だ、と感動したが、高貴な公爵様の目に自分が映るなどあってはならない。
瑠璃はなるべく視界に入らないように、深く頭を下げたまま静止した。
「滅相もございません。騎士が大変なご無礼を失礼いたしました。
こんなところではございますが、大切な物ですので先にお返しいたします。
お印をお預かりする光栄を賜り、恐悦至極にございました。」
グリオール公爵が再び頭を下げた。
横に立っていた執事が、先程ノエルが外したペンダントが載せられた盆を恭しく差し出した。
「お気になさならないで下さい。急に来たのですから、警戒されるのはわかっていました。」
ノエルはそう言いながら、再びペンダントを首にかけて服にしまった。
高貴すぎて何を話しているのかよくわからない。
皆がノエルに気を取られていて誰の目にも入っていないうちに消えておこうと思って、瑠璃は自分を徐々に透明人間へと変えていた。
瑠璃の体はぼんやりと透け始めていたから、まもなく皆の視界から消えるところだ。




