1.星月夜の約束
金髪の緩い…いや、ぼさぼさとした巻き毛を下ろした少女が、凪いだ波が静かに打ち寄せる浜辺に座って美しい星月夜を眺めていた。
裸足の少女が纏っているワンピースは薄汚れていて、少し焼けた肌のあちこちには血が滲んでいた。
「みんなしていじめて、卑怯だわ。好きで魔力を持っているわけじゃないのに。」
星の瞬く夜空に向かってぶつぶつと呟く少女は魔女だった。
この国で異能者は身分階級の片隅にも入れてもらえない、人間として認められない存在だ。
その日も町の少年達に寄ってたかって殴られ蹴られ、やめてほしければ魔法でやり返せと脅されたのだった。
でもどんなに酷い目に遭っても人を魔法で傷つけてはいけない。
この国で人を攻撃するために魔法を使っていいのは、王族のお抱えとなった王室魔法使いだけだ。
掟を破ったら問答無用で牢屋に入れられて一生刑務所暮らしだろう。
どんな理不尽もひたすら耐え忍ぶしかなかった。
少女――瑠璃は、深いため息をつきながら再び空を見上げた。
見上げた先に聳える崖の上に、いつの間にか白いシャツを纏った少年が立っていた。
「あの子も辛いことでもあったのかしら。星でも見ないとやってられないわよね。」
また呟いたその時、少年は取り憑かれたようにふらっと海に向かって足を踏み出した。
「っ!危ない!!」
少年の体が宙を舞うのと同時に瑠璃も駆け出した。
パシャン、という音と共に水飛沫が上がるのが見えて、瑠璃は浜辺から海に向かって目一杯両手を伸ばした。
魔力で作った球体を海に沈めて、深く沈んだ少年の体を魔力で包み込んで引き揚げた。
真っ暗な海から姿を現した黒い髪の少年は瑠璃とそう変わらない年頃のように見えた。
ぐったりとしてぴくりとも動かない少年の胸を体重をかけて何度も押し、鼻を摘まんで口から息を流し込むと少年は激しくむせ返り、やがて目を覚ました。
弱々しく開かれた翡翠色の美しい瞳は絶望に染まっていた。
「生…きて…る………」
「どうして死のうとしたの?」
「…この世界は…汚れきっているんだ…っ」
少年は吐き捨てるように言うと、翡翠色の瞳の端から大粒の涙を溢した。
瑠璃だって世界に絶望しているけど、自分と同じ年頃の少年が生を諦めるのは早すぎるのではないかと思った。
「私が美しい世界を教えてあげる。」
瑠璃は空に手を翳した。
満点の星空から無数の流れ星が穏やかな海に降り注ぎ、塵となって波間に消えていった。
ぼんやりとしていた翡翠色の瞳が見開かれて光が宿り、少年は起き上がって星の降り注ぐ海を見つめた。
「綺麗だ…。」
「そうでしょう。私だって辛いけど、死ぬのはまだ早いよ。」
瑠璃は少年に微笑みかけた。
少年は魔法を見るのは初めてなのだろうか。
瑠璃が作り出した流れ星を食い入るように見つめていた。
「星にお願いしてみて。私が代わりに叶えてあげるから。」
少年に少しでも生きる希望を持って欲しくて言ってみた。
少年は驚いたように瑠璃を見た後、考え込むように目を伏せて顎に手を当てた。
しばらくして顔を上げると、歳にそぐわぬ大人びた声色で聞いた。
「君の名前は?」
「ルリ。瑠璃色の瞳だから、瑠璃。」
瑠璃が答えると少年は目を丸くして瑠璃の瞳を覗き込んだ。
晴れた日の海のような濃い瑠璃色の瞳は瑠璃の唯一の自慢だ。
しばらく瑠璃の瞳をじっと見つめた後、少年は瑠璃の左手を取ってはにかんだ。
「瑠璃。いつか僕と結婚して。」
「えっ? 」
「君と結婚できるように、星に願う。」
そう言って少年は目を閉じて手を組んだ。
初対面で何を言っているんだろう、と思ったけど、自分が少年の希望になれるのなら文句を言うこともない。
瑠璃も隣で黙って夜空を見上げた。
◇◇◇
……またあの日の夢を見た。
幼い頃のたった一夜の美しい思い出だ。
まもなく少年を探しているのであろう大人の声が聞こえてきて、瑠璃は自分の身分を知られたくなくて逃げるように別れた。
それっきり、もう八年も会っていない。
なぜなら、瑠璃はその日のうちにあの浜辺の町とお別れしたからだ。
二度と会うことのない少年のことを忘れようと思ったけど、時々夢に出てきては瑠璃にあり得ない希望を抱かせる。
あの少年は今思えばしっかりとした身なりをしていた。
美しい翡翠色の瞳に整った顔立ちの少年は、どこかの絵本から出てきたような王子様のようだった。
王子様ではなくても、あの崖の上にはどこかの貴族のお屋敷があるらしいから貴族であることは間違いないだろう。
いつか大きくなった少年が瑠璃を迎えに来て、本当に結婚してくれるのではないか…と、おとぎ話のような展開を心のどこかで期待してしまうけど、残念ながらこの八年間で誰かが瑠璃を探しているような話は全く聞かない。
迎えに来てもらったところで、貴族なら瑠璃のような者に触れることすら嫌がるだろうから、瑠璃の初恋が実ることは永遠にない。
眩しい朝日に照らされたホテルの一室で、瑠璃はんーっと背伸びをして現実に打ちひしがれた。
ホテルと言ってもボロ宿だ。
床で寝るよりはまし程度の固いベッドで雑巾よりはましな薄布をかけた瑠璃は、嵌められているだけでカーテンもついていない窓から王都の街並みを眺めた。
(今日はまた一から馬鹿にされるんだわ。もうこんな人生、うんざりよ)
瑠璃は魔女だ。
この国では異能を持つ者に人権はない。
貴族、騎士、商人、農民――どの身分階級にも属さない。
異能の家系には名字もない。
どこに行っても名乗るだけで身分を見抜かれて馬鹿にされ、いじめられるのだ。
何も持たない瑠璃には家族もいない。
父に捨てられ、母を失い、孤児院に入れられた瑠璃を引き取ったのは異能者が集まった旅一座、『ラルム座』の座長のジュリアだ。
ラルム座は国内各地を数ヵ月ごとに移動しては、人々に異能を披露して食い扶持を稼いでいる。
星を見たあの夜はちょうどあの町で過ごす最後の日だったから、瑠璃は朝が来ると泣く泣く浜辺の町を去ったのだ。
ジュリアは未来を見通す異能を持っている。
どうやら瑠璃に何かの未来を見出だしてくれたらしく、たまたま慰問で訪れた孤児院で三歳の瑠璃を見つけてそのまま引き取ってくれた。
だが、ジュリアが見た瑠璃の未来を瑠璃は知らない。
人は未来を知るとろくなことがないからと言って、今の今まで教えてくれたことがないのだ。
自分にどんな未来が待っているのかはわからないけど、少なくとも今日一日は最悪な未来だと予想できた。
「ルリー!起きてるか!」
「リベル。ノックもなしにレディの部屋に入るなんて失礼よ。」
「そんな色気のない下着を着た奴のどこがレディだ。」
リベルはラルム座の仲間で、十八歳のデリカシーのない男だ。
透視の異能を持っていて、毎朝瑠璃の下着を透視するのが日課のド変態だ。
趣味はギャンブルで、変装して各地の賭場に出掛けては荒稼ぎして帰ってくる。
リベルは札を使うギャンブルで負けることはない。
リベルの目にかかれば場に出た札も相手の手元に隠された札も全てお見透しだからだ。
異能をギャンブルに使うなど悪趣味極まりないが、ラルム座の重要な資金源になっているので誰も何も言えないのが腹立たしい。
「神様はなんであんたにそんな力を授けたのかしら。救いようがないわ。」
「俺の力のおかげでお前の学費も出せるんだから俺と神に感謝しろ。」
「…っ。」
ラルム座には三人の学生がいる。
高校三年生のリベルと高校二年生の瑠璃、そして小学四年生のレオだ。
まだ小学生で学費が無料のレオはともかく、リベルや瑠璃には莫大なお金がかかる。
瑠璃は学費だけはどうにか自分で工面していたけど、町を移動する度に転校することになるからその度にかかる入学金や制服代、その他諸々はリベルが面倒を見てくれていた。
リベルがいなかったらとうに学校に通えなくなっていたので、瑠璃は下着を見られるくらいでは大した文句を言えないのだ。
「ほら、制服届いたぞ。」
リベルはそう言って肩にかついでいた荷物をどさっと床に置いた。
「…ありがとう。」
リベルが工面してくれたのだろう制服一式を見て頭を下げた。
今日からまた新しい学校に通うのだ。
どこに通うのかは知らないが、どこに行っても待っているのはしょうもないいじめだ。
茶髪に茶色い目で見た目は普通…どころか、悔しいけどかっこいい部類のリベルと違って、瑠璃はこの国では珍しい金髪に瑠璃色の瞳を持っているからそれだけで人の目を引く。
転校しては目をつけられて、身分の低さと相まっていじめの標的にされた。
教科書を隠されたり、バケツで冷水を浴びせられたり、言いがかりをつけて呼び出されたりと、各地でありとあらゆるいじめを経験した。
リベルとは大抵同じ高校に通っていたから、その度に一学年上のリベルが庇ってくれてはいたけど、同じ学年に友人などできた試しがない。
「聞いて驚け。俺達は今日からノルベルト記念学院の生徒だ。」
「えっ、なんて?」
「ノルベルト記念学院だよ。すごいだろ?」
ノルベルト、とはこの国の王族の名字だ。
王族の名を関するような高貴な学校に入れるような身分ではないのはリベルもよくわかっているはずだ。
「な、なんでそんなとんでもないところに……」
「ジュリアが前に学院長の世話をしたことがあるんだと。我々はその恩恵に預かった。」
「そんな、場違いにもほどがあるわ…。それに私立の学校の学費なんてとても……」
「この制服は学院長からの寄付だし、学費も無料だってよ。よかったな。」
「そうなの?!早く言ってよ!」
先程お礼を言ったのが馬鹿馬鹿しい。
瑠璃はリベルの背中を押して部屋から追い出すと、壊れそうなドアを思いっきり閉めた。
ぎこっと音がしてドアが斜めになったから、手を翳して蝶番を留め直しておいた。




