第七節「僥倖」と「戦場」
張り詰めた空気。
戦争が近い。
誰の目にも明らかだった。
「ルーナ様!」
執務室の扉が勢いよく開く。
飛び込んできた兵士は息を切らしていた。
「西部より急報です!」
ルーナはペンを置く。
先日までなら面倒臭そうな顔をしただろう。
だが今は違う。
「報告をどうぞ」
「ヴェルンティア軍が前進を開始!」
兵士の声が部屋に響く。
「国境より二十キロ地点に到達しました!」
沈黙。
文官達の顔色が変わる。
ルーナは数秒だけ考えた。
そして静かに立ち上がる。
「軍議をまた開くよ。至急ね」
一時間後。
王城軍議室。
いつも以上に重苦しい空気が流れていた。
また、机の上には地図が広げられる。
赤い駒がいくつも置かれ、皆がそれを見る。
「敵兵力は推定十二万」
ガルディアスが報告する。
「進軍速度から考えて三日以内に国境へ到達致します」
将軍達の表情は険しい。
誰も楽観視していなかった。
国王が口を開く。
「防衛線はどうだ」
「維持可能です」
ガルディアスは即答する。
「ただし私が現地へ向かう必要があります」
当然だろう。
西部防衛線を統括する将軍なのだから。
「許可する」
「はっ」
そこでルーナが口を開いた。
「私も行くよ」
一瞬。
部屋が静止した。
誰も言葉を理解できなかった。
「……今、何と?」
年配の貴族が聞き返す。
ルーナはもう一度言った。
「私も西へ行く」
今度ははっきりと。
会議室が騒然となる。
「なりません!」
「危険ですぞ!」
「王女殿下が前線など!」
次々に反対の声が上がる。
当然だった。
ルーナは王女。王家の血を引く存在。
そんな人間を戦場へ送るなど正気ではない。
「ルーナ」
国王も娘を見る。
「理由を聞こう」
ルーナは少しだけ黙った。
そして地図を見る。
西部国境。
そこには数万の兵士がいる。
王国を守るために。
「私は今まで戦争を知らない」
静かな声だった。
誰も口を挟まない。
「本で学んだし」
「歴史も読んだ。」
「戦術も戦略も、そこで勉強した」
そこまでは事実だ。
将軍達も知っている。
ルーナがどれほど学んできたか。
どれほど優秀か。
だが。
「でも、それでも知らない」
ルーナは続ける。
「戦場の空気」
「兵士達の顔」
「戦争の、本当の重さを」
部屋が静まり返る。
彼女は十八歳だ。
成人したばかり。
これまで前線へ立ったことは一度もない。
「私は王族だよ。だからこそ、兵が頑張ってるところを見ないといけない」
ルーナはゆっくりと言った。
「だからこそ、いかないといけない」
ガルディアスが目を閉じる。
何かを噛み締めるように。
「ですが!危険なのですぞ!」
貴族が叫ぶ。
ルーナはそちらを見る。
そして小さく笑った。
「危険なのは私だけじゃないよ」
その一言で貴族は黙った。
「西には何万人もの兵士がいる」
「農民も、女子供もいる」
「危険なのは皆同じだよ」
誰も反論できない。
ルーナは続ける。
「私は後ろから命令だけ出す王になりたくない」
その言葉に。
ガルディアスが静かに立ち上がった。
「陛下」
国王が視線を向ける。
「私が命に代えてお守りします」
短い言葉だった。
だが重い。
ツヴァイツも立ち上がる。
「騎士団も同行させましょう。私も行きます」
次々と将軍達が立ち上がる。
反対する者はまだいた。
だが。
もう流れは決まっていた。
翌日の早朝。
王都正門。
数万の兵士が整列していた。
槍が並び、軍旗が風に揺れる。
鎧の音が響く。
これほどの軍勢をノームは見たことがなかった。
「すげぇな……」
思わず呟く。
その隣でルーナは軍服姿だった。
王女のドレスではない。
白と蒼を基調とした将官服。
初めて見る姿だった。
「どう?似合う?」
「……まぁ、いいんじゃね」
「その間は何」
「別人みたいだなって思っただけだ」
ルーナは少し笑った。
だがすぐに真面目な顔になる。
門の向こうには西部がある。
そして戦場がある。
「なあ」
ノームが言った。
「怖くねぇのか」
ルーナは少しだけ考えた。
そして正直に答える。
「怖いよ」
意外だった。
もっと平然としていると思った。
「初めてだからね」
ルーナは苦笑する。
「怖くないわけない」
風が吹く。
軍旗が大きく揺れた。
ルーナは王都を振り返る。
人々が見送っていた。
笑顔で。
期待を、信頼を込めて。
「でも」
ルーナは前を向く。
「だから行く」
ノームは黙る。
「私は王女だから」
その瞳には迷いがなかった。
「この国を守る人達が前にいるなら」
「私も前に立つ」
ガルディアスが馬上から号令を飛ばした。
「進軍!」
地面が揺れる。
数万の足音。
王国軍が動き出した。
二日後。
ペンドラゴン王国西部。
巨大な防衛砦。
見張り台の上で兵士が遠眼鏡を覗いていた。
その時。
兵士の顔色が変わる。
「っ!」
地平線のその先。
無数の軍旗が風に靡く。
黒く、赤く、黄金に輝く。
ヴェルンティア王国の紋章。
兵士は叫んだ。
「敵影!!」
砦中に鐘が鳴り響く。
「敵影確認!」
「敵軍、敵軍来襲!!」
兵士達が駆け出す。
将軍達が動く。
ルーナも見張り台へ駆け上がった。
そして初めて見る。
地平線を埋め尽くす軍勢を。
数万ではない。
十万を超える兵が。
まるで黒い津波のように迫っていた。
ルーナは息を呑む。
本で見たことはある。
話も聞いた。
だが。
実際に見るのとは全く違った。
「これが……」
震える声で呟く。
ガルディアスが隣へ立った。
「戦争ですよ」
ルーナは目を逸らさない。
怖かった。
圧倒された。
だが、彼女は前を向く。
「僥倖!私が、この戦争に勝鬨を挙げさせてやる!」
軍旗が風に翻った。
そして。
ペンドラゴン王国とヴェルンティア王国。
二つの国の運命を懸けた戦いが、今まさに始まろうとしていた。




