第20話 嵐の後の静けさと、優しい招待
ストーム・リーフでの大規模魔力暴走から一夜明けた朝、エアリアル・クラウンは珍しく穏やかな風に包まれていた。
リリアは宿のテラスに立ち、銀色のセミロングヘアを優しい朝風になびかせながら、紫の瞳で眼下の雲海をじっと見つめていた。昨日は紫の雷が空を裂き、浮遊島が激しく揺れたのに、今はまるで何事もなかったかのように白い雲がゆったりと流れている。遠くの島々は朝陽に照らされ、淡い金色に輝いていた。
「ふう……本当に、静かになったね……」
肩の上でウィンディが「きゅう~……」と少し眠そうな声を上げながら、ふわふわの白と水色の体をリリアの首筋にぴったりと預けていた。小さな四枚の翼が時折ぴくぴくと動き、朝の光を反射してキラキラと輝いている。
リリアは優しくウィンディを抱き上げ、両手で包み込んだ。雲のような柔らかさと、ほのかに甘い風の香りが指の間から溢れる。
「ウィンディ、昨日は怖かったよね。でも、ウィンディが一生懸命風を出してくれたおかげで、みんな助かったよ。ありがとう」
ウィンディは「きゅうきゅう♪」と嬉しそうに鳴き、リリアの頰に小さな体をすり寄せてきた。リリアは笑いながらウィンディの頭を指先で優しく撫で続けた。この子がいるだけで、どんなに大変な一日でも心が温かくなる。
宿の主人が朝食をテラスに運んできた。浮かぶ雲果実のジャムを塗った温かいパン、風の香りのするハーブティー、そして小さな浮遊クッキー。リリアはウィンディと一緒にゆっくりと味わいながら、ノートを広げた。
『第8日 朝
嵐の後の雲海は、すごく穏やか。
紫の雷が消えて、白い雲がゆっくり流れている。
ウィンディの体温が、首筋に気持ちいい。
昨日は本当に大変だったけど、みんな無事でよかった。
記録の杖がまだ少し熱を持ってる……
今日はゆっくりしたいな。』
朝食を終えた頃、ゼフィールとリアナが宿を訪れた。ゼフィールはいつもの風の衣装、リアナは今日は少し柔らかい水色のワンピースを着ていて、昨日より表情が穏やかだった。
リアナが先に言った。
「リリア、昨日のことは上層部でも高く評価されているわ。あなたとウィンディがいなければ、もっと大きな被害が出ていたと思う。……今日はゆっくりしなさい。私が屋敷で休憩を用意したの。どう?」
リリアの紫の瞳がパッと輝いた。
「本当ですか!? リアナさんの屋敷、また行きたいです! 昨日は時間が短かったから、もっとゆっくりお話が聞きたいな」
ゼフィールが笑いながら頷いた。
「僕も同行するよ。今日は風の番人の仕事も軽めだから、のんびりできる」
四人は光の浮遊馬車でリアナの屋敷へ向かった。馬車の中ではウィンディがリリアの膝の上でくるくる回りながら、時々「きゅう!」とリアナの顔に向かって小さな雲の粒を飛ばして遊んでいた。リアナは最初こそ「もう!」と顔をしかめていたが、徐々に微笑むようになっていた。
屋敷に着くと、リアナは直接「雲の間」へと案内した。透明な床の下に広がる雲海が、昨日よりさらに美しく輝いている。浮かぶテーブルには昨日よりも豪華なスイーツが並び、香りの違うハーブティーが何種類も用意されていた。
リリアはウィンディを膝の上に乗せ、夢中で周囲を記録した。
「この床、本当に雲の上にいるみたい……。足を動かすたびにふわふわするの、気持ちいいです。リアナさん、こんな素敵なお家で毎日暮らしてるんですね」
リアナは優雅にお茶を注ぎながら答えた。
「毎日が同じように優雅というわけじゃないわ。貴族の義務も多いし……最近は東の島の資源争いで、みんなピリピリしているの。でも、あなたと話していると、なんだか肩の力が抜けるのよね」
二人はお茶を飲みながら、ゆっくりと話を続けた。リアナは空の歴史や貴族社会の裏側、浮遊島同士の微妙な力関係を丁寧に教えてくれた。リリアは時々ウィンディに果実を分け与えながら、羽ペンを走らせ続けた。
ウィンディはテーブルの上で小さなクッキーを一つずつつつき、「きゅう! きゅう!」と喜びの声を上げていた。リアナが珍しく手を伸ばしてウィンディの頭を撫でると、ウィンディは嬉しそうに体を丸めて甘えた。
「この子、本当に可愛い……。雲精霊なのに、こんなに人懐っこいなんて」
午後になると、リアナはリリアにある提案をした。
「来週、上層貴族が主催する『浮遊舞踏会』があるの。ドレスを着て、音楽に合わせて空を舞うわ。……あなたを私の正式な客人として招待したい。どう?」
リリアは目を丸くして、すぐに何度も頷いた。
「舞踏会……!? 本当に行っていいんですか? ドレスを着て、みんなと一緒に踊るんですよね? すごく知りたいです! どんな音楽が流れるんですか? ドレスはどうやって浮かぶんですか?」
リアナはくすくすと笑った。
「楽しみにしてて。私の専属仕立て屋にドレスを作らせるわ。ウィンディも一緒に連れて行っていいわよ」
ゼフィールが少し心配そうに言った。
「貴族ばかりの場だから、失礼のないようにね……」
夕方近く、屋敷を後にする頃、リアナはリリアに小さな風の花のブローチをプレゼントした。
「これは私の屋敷の花よ。あなたが空を好きになってくれた証に」
リリアはブローチを胸に当て、深々と頭を下げた。
「リアナさん、ありがとうございます! 本当に嬉しいです」
夜、宿に戻ったリリアはベッドに座り、今日の出来事をこれまでで一番丁寧に、長い文章でノートに書き続けた。
『第8日 リアナさんの屋敷でゆっくり
雲の間は昨日より穏やかで、足元の雲海が本当にきれいだった。
ハーブティーは何種類もあって、全部違う香りがした。
ウィンディがクッキーをつつく姿が可愛すぎて、ずっと見ていたくなった。
リアナさんがウィンディの頭を撫でてくれたとき、なんだか胸が温かくなった。
浮遊舞踏会の話、すごく楽しみ。
ドレスを着て空を舞うなんて、想像しただけで胸がどきどきする。
記録の杖は今日も少し熱を持っていたけど、
今はただ、みんなと一緒に空のことを知りたい。
ウィンディ、リアナさん、ゼフィールさん……
この出会いが、もっと大きなものになっていく気がする。』
ウィンディはリリアの銀髪の中に深く潜り込み、幸せそうな長い「きゅう~……」という寝息を立てていた。
リリアは窓を開け、夜の雲海と浮遊島の灯りを眺めながら、静かに微笑んだ。
嵐の後の静けさの中で、新しい扉がゆっくりと開き始めていた。
好奇心の翼は、今日も優しく、しかし確実に広がり続けていた。
(第20話 終わり)




