『見てたってよ』前編
仕事の帰り道、みさきは今日も「迷いなく」近道の公園ルートを選んでいた。
迷いなく、と言っても、この選択に熟考の余地はない。
信号で足止めを食らう「地獄の国道ルート」、遠回りで帰宅時間が確実に伸びる「寄り道ルート」、そしてこの公園を抜ける「最短ルート」。
どれを選ぶかなんて、疲れた社会人が考えるまでもない。
「この時間に遠回りするやついたら逆に尊敬するわ……」
小さく独り言を言いながら、みさきは公園の入り口を踏む。
地方都市の夕方は、都会より暗くなるのが早い。
街灯も少ない。
遠くの空でオレンジ色がしぶとく粘っているけど、公園の中はすでに“夜の一歩手前”の顔をしていた。
「うわ、きょうも真っ暗〜……子どもら早く帰れ〜……」
わざと明るく言って歩く。
誰に向けて言ってるわけでもない。
ただ、自分の鼓膜にポジティブな言葉を投げ込みたいだけ。
公園は広くない。
滑り台、ブランコ、ベンチ、砂場、そして古いコンクリートのトイレ――必要最低限の、いかにも“地方の住宅街にある公園”。
この雑さが、妙に落ち着く。
ただひとつ、気になるものがある。
公園の片隅にあるトイレの、いちばん奥の個室だけが、いつも閉じているのだ。
張り紙なし。「故障」の札もなし。
鍵は内側からかかっているらしく、昼でも夜でも表示は赤。
(あれ、絶対使われてるよな?誰が?いつ?てか掃除どうしてんの?)
毎回通るたびに、内心ツッコミを入れてしまう。
ただ、怖いわけではない。“不思議”なだけ。
――だったら今日はスルーしよう。
みさきは顔をそらし、わざとトイレの前を早足で通り過ぎた。
そのとき、何かの気配が足元を擦った気がして、思わず肩がびくりと跳ねた。
「やめて?落ち葉。落ち葉でしょこれ絶対」
地面を見ると、枯れ葉が1枚貼りついていた。
ただそれだけなのに、なぜか胸の奥がちりっと痛むような違和感が残る。
(……気のせい。気のせい!)
そう心で叫びながら、ブランコの脇を通り過ぎようとした時だった。
視線を感じた。
生ぬるい空気のようなものが、背中にぴたりと貼りつく感覚。
振り返る勇気はない。
でも、横目なら……まあ、ギリいける。
みさきは、スマホ画面を見るふりをして、目だけ左へ滑らせた。
――ベンチに、男が座っていた。
(え、いた?さっき?いや、いなかった、と思う)
黒いジャケットの中に灰色のパーカーを着ていて、足は揃えている。
年齢は三十前後。特に特徴がない。
強いて言えば、完璧に動かない。
呼吸してるのかも分からない。
まばたきしてる気配もない。
そして何より――
こっちを向いているようで、向いていない。
向いていないようで、向いている。
そんな不気味な角度だった。
(なにそれ……角度芸人?いや笑えないわ)
みさきは、ゆっくり息を吐いて、そのまま歩く。
足を止めたら負けだと思った。
(大丈夫。普通の人間。普通の……ん?普通ってなんだ?)
ブランコの鎖が風もないのに揺れた。
その揺れ方が、ぎこちなくて、まるで誰かの手が途中まで触ったみたいだった。
「やめて〜やめてほんと!ブランコのくせに空気読むな!」
声が少し裏返った。
恥ずかしいけど、この公園に今、他に誰もいない確信はある。
――いや、いるか。
ベンチの男。
歩幅は自然に見える程度に速くなった。
みさきは公園の出口方向へ目を向ける。
そこに、スーツの男がひとり立っていた。
グレーのスーツ。
白いシャツ。
黒いネクタイ。
薄い顔。
薄い存在感。
(誰……?いや、通行人か。こんな時間に?まあいるか、ギリ)
その男は、まるで彫刻のように動かず立っていた。
顔が上下左右のどこにも向いてない、奇妙な“正面”を向いている。
みさきは一瞬だけ彼を見たが――
(背景だ背景。背景の人いるよねドラマにも)
と、脳内で処理した。
そのまま足を止めずに公園を抜ける。
――抜けた瞬間、背中から視線の“ぬめり”がスッと消えた。
「あ〜〜〜!!やっと消えた!!もーいや!!」
近所迷惑になる前に口を閉じる。
深呼吸を3回したら、やっと呼吸が自分のものに戻った。
(ただの変な人。そういう日もある。うん。)
みさきは、自分を励ましながら家へ向かった。
実家は徒歩5分ほどの場所にある。
道沿いには畑と空き地とコンビニがひとつ。
地方都市あるあるの“ちょっと寂しい”帰り道。
(あ〜もう絶対見ない今日は!あれは忘れる!!)
そう思いながら歩き、家の玄関の前に立った瞬間。
窓ガラスに、外の道路が映り込んだ。
その反射の中に――
ベンチに座っていた男と同じ“角度の姿勢”が、一瞬だけよぎった。
(……え?)
見返したときには、もう消えていた。
気のせいだと、自分に言い聞かせるにはちょっとだけ大きい違和感を残したまま、みさきは玄関ドアを開けた。




