第5話 ひたすら目が死んでいる異端審問官
父が死んでからそろそろ半年になる。
という時期のこと。
「久しぶりだな、ショシャナ」
そのお客様は店に入るなり、開口一番にそう言った。
口に葉巻を加え、腕を組み、不敵な笑みを浮かべている。
やや、かっこつけているような印象を受ける。
年齢は十六歳程度だろうか?
年若い少年だ。
黒髪黒目にやや日焼けした肌の、見てくれはそんなに悪くない――というよりはイケメン寄り――年若い少年だ。
ちょっと好みのタイプかもしれない。
しかし……はて?
私の知り合いにこんなカッコいい少年はいただろうか?
「……どちら様でしょうか?」
すると少年はややショックを受けたような表情を浮かべた。
「……俺だよ、俺」
「……詐欺ですか?」
「違う! シメオンだよ! マタティアの息子のヨハネの息子、シメオン・ヨハネ・マタティアだ! ほら、バスコ地区の五番地に住んでいた……」
「ああ!!」
私はポンと手を叩いた。
「木から降りられなくなってお漏らししたシメオン!」
「よ、余計なことは思い出さなくて良い!」
そう言って少年は――シメオン・ヨハネ・マタティア――は顔を真っ赤にして怒鳴った。
シメオンは私の幼馴染だ。
私が八歳の頃、つまり今から五年前に彼はバスコ地区から引っ越した。
それっきり会っていなかったが……唐突な再会だな。
私はまじまじとシメオンの顔を見る。
「な、何だよ……」
「確か、私よりも三歳年上でしたよね? ということは、十六歳ですか? 全然、分かりませんでした。何だか、大人っぽくなりましたね」
昔は本当に年上なのかと疑うほど、どうしようもない悪ガキだった。
いろいろと意地悪されたこともあったような気がする。
しかし今は……まあ、そこそこに見える。
男子、三日会わざれば刮目して見よ。
とは言うが、五年も会っていなければ全然違うのも当たり前か。
もっとも、彼のことを内心でイケメンと評してしまったことは不覚だ。
シメオンだと知っていれば、私はそんな評価を下さなかったのに。
「帰ってきてたんですか? 今は何を?」
私はシメオンを観察しながら尋ねる。
職業柄、人を観察するのは癖のようなものだ。
シメオンは昔から足も速かったし、力も強かったが……パット見た限り、今は私の記憶よりもずっとがっしりした体つきになっている。
服の下から筋肉を伺うことができる。
腰には剣を一本、帯びている。
何か、戦うことを専門とする職業にでも就いているのだろうか?
しかしシメオンも私と同じ、イブラヒム教ユタル派だから騎士になることはできない。
そうなると、自ずと傭兵か冒険者の二択になる。
「まあ……積もる話は今度ということで。……ところで、意外に元気そうだな」
意外に?
……ああ、父のことか。どうやら知っているらしい。
もしかして、そのことを知ったから帰ってきた、とか?
いや、まさかそんな筈はあるまい。シメオンにそんな気遣いができるはずがないのだ。
「ええ、まあ……悲しんでいるだけでは、この店は守れませんから」
私が答えると、シメオンはやや複雑そうな表情で、私が口に加えている煙管に視線を向けた。
「……それは親父さんのか?」
「ええ、形見です。……吸えないので、咥えているだけですけど」
私がそう答えると、シメオンは頭を掻いた。
「その……何というか、無理はするなよ?」
「お心遣いはありがたく、貰っておきますよ」
不器用ながら心配してくれているらしい。
その気持ちだけはありがたく貰っておこう。もっとも……今は少し、無理をしてでも私は踏み止まらなければならないから、その忠告を素直に受け取ることはできないが。
「ところで、噂に聞いたぞ。……《場違いな芸術品》なんて扱ってるのか?」
「ええ、そうですよ」
アブドゥル・サイードさんの紹介もあり、最近は本格的に《場違いな芸術品》関係の商売を始めた。 修理を依頼されたらそれを受ける。
他にも父のコレクションや、アブドゥル・サイードさん経由で仕入れた《場違いな芸術品》を修理した上で販売なんてのもしている。
最近はかなり軌道に乗ってきており、良い稼ぎになっている。
「大丈夫か? 普遍教会から、何か言われたりしないだろうな?」
シメオンもそう言うか。
まあ、宝石商の奥様にも似たような心配をされたのだが……
二人とも、何か普遍教会を根本的に勘違いしているみたいだな。
「どうしてそう思うんですか?」
「《場違いな芸術品》は悪魔の作ったものだって、俺は聞いたぜ? 普遍教会が嗅ぎつけてきたら、不味いだろ。俺たちはただでさえ、“異端者”だ」
《場違いな芸術品》は悪魔が作った、邪悪な黒魔術の産物。
なるほど、確かにそういう俗説があるのは事実だ。
「しかも……今は五年に一度、普遍教会から定例監査官が派遣される時期だろ?」
監査官。
イブラヒム普遍教会が五年に一度の頻度で、各王国や諸侯、自治都市、司教座等に送り込む異端審問官のことだ。
決められた時期に派遣される定例監査官と、それとは無関係に抜き打ちで、もしくは何らかの怪しい動きがあった時に派遣される特別監査官の二種類がある。
彼らの仕事はその街の住民、政治勢力、そして司教・司祭たちが普遍教会に対して反乱を企ててはいないか、反意を抱いていないか、非公認の異端・異教宗教を信仰していないか、教義に背いていないか、賄賂などの職権乱用をしていないかを調べ上げること。
もし問題があると判断されれば、最悪、宗教裁判に掛けられる。
そして最悪は火炙りの刑だ。
彼らにはそれを実行するだけの実力があり、そして相応の強大な権限が与えられている。
「しかしもう二十年も、バスコ地区では“反逆者”は出ていないでしょう? そう身構える必要もないと思いますが」
「お前が二十年ぶりの“反逆者”になったら、どうするんだ? それに、だ。今回、エスケンデリア市に派遣される監査官は、北方――ガリア王国やゲルマニア連邦――辺りではかなり有名な異端審問官だ」
「北方ねぇ……どう有名なんですか?」
そんなに恐ろしい、厳しい異端審問官なのだろうか?
私は年若い女性の異端審問官が派遣される、くらいのことしか聞いていない。
「そりゃあ、もう! 今まで、何人もの聖職者や諸侯を宗教裁判送りにしている、凄腕だそうだ。どんな些細な証拠でも逃さず追及し、狙った獲物は逃がさない! 同じ普遍教会の聖職者も、その女が来るって聞いたらビビるらしいぜ」
「でも、異端審問官なんて、大抵そんなものでしょう?」
「それだけじゃないんだ! 五年前、ガリア王国で国王を含めた多くの諸侯が宗教裁判に掛けられた事件は、知ってるだろう? エスケンデリア市でも、話題になった。その時、その異端審問官も見習いとして現場にいたらしいんだが……何でも、暴れる国王の顔面を、こうバン! ってぶん殴って、『この背教者が!』って吐き捨てたらしいぜ。……王様をぶん殴るのは、さすがにヤバいだろ?」
「さ、さすがに……誇張でしょう」
いくら何でも国王の顔面を殴るなんてことは……
ないよね?
もし国王でも顔面を殴られるということは、私たちのような異端者は簡単にキャンプファイヤーされてしまいそうだ。
「確か、二つ名があったな。えーっと、何とかブルクの猛犬? だったかな。とにかく、犬みたいにやべぇんだとさ」
「ま、まあ……仮にそれが事実だとしても、です」
私は不安を打ち消すかのように咳払いをした。
「確かに普遍教会は教義を捻じ曲げ、恣意的に運用するような連中ですが、しかし……」
そこまで言いかけて、私の口は止まった。
正確には凍りついた、が正しいのかもしれない。
店のドアの前に、誰かが立っている。
「随分と、好き勝手言ってくれているわね。異端者のお二方」
カランカランと、音と共にドアが開いた。
入ってきたのは女性だった。
髪は美しい銀髪で、瞳は最高品質の紫水晶のよう。
目鼻のバランスは整っており、何よりもその唇がとても美しく、蠱惑的で、官能的だ。
手足はほっそりと長く、左手首には包帯が巻かれている。
肌は白磁のように美しい。
胸元ではその身に纏う緑色の司祭服が大きく押し上げられていて、そして金色のT字型――イブラヒム普遍教会のシンボル――の首飾りが輝いていた。
その声は凛としていて、天使が掻き鳴らす楽器のように美しかった。
ただし……その目が、瞳だけがひたすら淀んでいて、死んでいた。
「一週間ほど前から、イブラヒム普遍教会に派遣されました。位階は司祭、現在の役職は異端審問官。この街には定例監査のために参りました」
そして淡々と、その女性は……自らの名前と、そしてここにやってきた目的を述べた。
「セリーヌ・フォン・ブライフェスブルクと申します。……ところで、この店で『悪魔の品』が取り扱われていると聞いてやってきたのだけれど、それは事実かしら? 先程の二人の発言と合わせて、確認をしたいのだけれど」
私は思ったのだ。
あー、これは誇張なんかじゃない。
マジだ。
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