三十四話:寄付を申し出る。
吾輩は、冬将軍こと評 利光である、が……。
現在は故あって、駆け出し業者【冒険者】の氷戸 俊通と名乗っておる。
暦上での本日は、凰平二年の一月三十日、水曜日。
今居る場所は、鎮西【地方】の寒路国【県】にある、北汰分宿という宿場町だ。
――以上。
口入屋の暖簾をくぐり抜けた時は、泥混じりの床と番頭台しか目に入っていなかったのだが、改めて店内を見回してみると、ここが食堂だという事に気付く。
いびつな長方形に切られた木材の食卓を取り囲むように、切り株の椅子が六席ほど置いてある。それを一組とすれば、店内に在るのは全部で五組。つまり、最大で三十人が飲み食いできる施設になっているのだ。
口入屋は情報が命であり、それを集めるにはこうした造りである事が、一番手っ取り早い。人間、酒が入ると口を滑らせ易いので、思わず困り事をぽろっと漏らし、それから仕事につながる例も多々あるそうだ。故に、最近の口入屋はどこも、居酒屋を兼ねている所がほとんどらしい。
ここの口入屋の場合は、正午からは雪ん子専用の食堂となり、夜は一般客向けの居酒屋となる。だから、日中は暖房の類を一切使わず、日没後にガンガン焚くそうだ。
「お待たせしました。たった今、登記書を飛脚で送らせて戴きましたよ」
そう言い放ったのは、奥から出てきた代官の斉隆。ちなみに、この宸世においての飛脚とは、天狗による航空便である。
吾輩と女房の雪音が、見た目六歳で巨乳雪女かつ斉隆の妻である雪華ちさんから、口入屋の謂れを聞いていた最中の事であった。
「斉っちゃん、おかえりーぃ」
「雪っちゃん、ただいまーぁ。良い子にしてたかい?」
「うんー、雪っちゃんねーぇ、ちゃーぁんとお店の番してたよ?」
「そっかーぁ、えらいっ、えらいよーっ、よくできましたよーぉ」
斉隆と雪華――。
これらはれっきとした夫婦の会話だと思うのだが、見た目と幼稚な話言葉のせいで、異常な光景になっている。なにせ、髭まで生やした三十路超えのオジサンが、六歳の年端も行かない女子を相手に、偏執的な愛情を注いでいるようにしか見えないのだ。
(ふえええぇぇぇ、お兄さまよりずっと上の、変態さんなのです……)
雪音もドン引きしているようだ。
しかし、その物言いだと、吾輩も変態の一人という事に、なるのか?
(今更、なのです………………)
ふむ、非常に心外ではあるが、こやつ相手に口喧嘩で勝てる見込みは、まったくもって皆無。吾輩よりも上の変態がここに居たという事で、無理矢理にでも納得しておくとしよう。
「では、改めまして……」
斉隆と雪華が、二人揃って正座した。それに釣られて、我らも対面で正座する。双方とも、番頭台付近の畳の上である。
「俊通殿に雪音殿。ただいまを以って、業者【冒険者】として正式に登記されました。おめでとうございまする」
「ははーっ、恐悦至極に存じ、奉りまする」
返礼は、こんな感じで良いのかな。
吾輩が冬将軍として政務に勤しんでいた頃、家臣達から頻繁に言われていた台詞を思い出したのだ。
「ははっ……、そこまで畏まらなくてもよろしいですよ。次に、これが業者の証明となる“位玉”です。お受け取り下さい」
続いて、斉隆から手渡されたのは、黒い六つの玉が通された紐である。留め金によって、輪っかになるようだ。雪音にも、雪華ちさんから同様の物を渡されている。
無論、初めてお目にかかる代物だ。
「これは“玉”と同じ素材でして、同じ呪法も施されています。小さいので“玉”ほどの効果はありませんが、すずめの涙ほどの魔除けとしては使えるでしょう」
「ほぅ……」
“玉”とは、朝廷にしか造り出せない、退魔の宝玉である。
強大で悪しきもののけどもがはびこってきた穢土に、この“玉”を地中深くに埋める事で退魔の浄土とし、人が治める“国”として成立させてきたのが、宸世においての神話の時代。現在でも神楽の演目に取り入れられるなど、それなりに有名な逸話である。
ただ、そんな人間の領土内であろうと、もののけどもが平然と跳梁跋扈している現状から鑑みるに、その実在も効能も甚だ疑わしかったりする。
「この黒は、陰にして“従”を表し、六つの玉は“六位”の意味を持ちます」
「ほほぅ……」
有力業者の推薦と大金を揃え、正式に登記できた業者は、それなりに実力もあるので、従六位を賜ったという事なのだろう。業者協会の後援組織は朝廷そのものなので、当然と言えば当然ではあるか。
「では、白い玉が六つなら、正六位という事になるのか?」
「その通りです。業者はこの“位玉”を首に着けるのが義務になっているので、どうぞ首にお巻き下さい」
斉隆に言われるまま、黒い“位玉”を首にかけ、留め金で止めてみた。首に密着するぐらいの大きさ【サイズ】で、少し窮屈に感じるのだが、これはこれで仕方あるまい。
「なるほどな……」
官位が低ければ“玉”の数も増えてゆき、それによって魔除けの効能も増す。弱い者ほど保護してくれるという意味では、理に適っている。
「あと、“位玉”には不正防止の対策が幾重にも施されておりますので、くれぐれも無駄な事はしないよう、お願いします。例えば、紐を切って玉を減らそうとする不届きな輩は大勢いましたが、どうやっても紐が切れなかったそうです」
うむ、本来ならば正一位を持つ吾輩が、従六位の“位玉”を首に巻く行為自体、不正と言えば不正なのだろうが、細かい事は気にすまい。何より今の吾輩は、駆け出し業者の氷戸 俊通なのであるからな。
そう言えば、ふと思い出したのだが、吾輩が成敗した黒瀬 寒十郎という凶悪な人殺しは、確か正三位の業者であったはず。首にキツネの襟巻こそ巻いておったが、このような“位玉”は着けて無かったような気がする。まぁ、実際は襟巻に隠れておったのか、それとも、これから悪行を成そうとの自覚があった為、あらかじめ“位玉”を外しておったのであろうか。どうであれ、ここで口に出す訳にもいかないので、これ以上、推測するのは止めておこう。
「これにて、業者の手続きはすべて終了となります。あとは、この手引書に業者の決まりが細々と記されておりますので、目を通しておく事をお勧めします」
斉隆から手渡されたのは、結構分厚い本である。紙【ページ】をめくると、ぎっしりと文字が詰まっており、何だか眩暈がしてきた。だが、これは絶対に読んでおくべき代物だ。毎日、少しずつでも読み進めてゆこうぞ。
「では、依頼についての貼り紙が、あちらにございますので、見方を説明致しましょうかね?」
「しばし、待たれよ……」
すっくと立ち上がった斉隆を、思わず引き留めた吾輩。旅に必要な品々をすべて購入し、残りの所持金が明らかになって後、ずっと心に引っかかっていた事案があるのだ。
「実は、斉隆殿も御存知の通り、我らの金子はすべて虎次郎殿から戴いた物。ずいぶんと余ってしまったので、これからどうしたものかと、いろいろと思案しておったのだが………………」
「ほむ……?」
吾輩は、持っている黄金の小判すべてを、番頭台の上に置いた。
「虎次郎殿にお返ししても突っ返されるのは目に見えておるので、ここは北汰分宿代官としての斉隆殿に、寄付する形にしようかと思い至った次第にて、どうか受け取ってもらいたい」
これらの黄金は、虎次郎と徒党を組んだ事もある、里との縁も深い斉隆に使ってもらうのが、一番良いと判断したのだ。
「ほむほむ……、代官として……という事は、北汰分宿への寄付と、見てよろしいのですかね?」
斉隆は髭をいじりながら、深く考えている様子。そんな時、吾輩の左腕を掴んで、激しく揺さぶる者がいた。
「お兄さま、ちょっと待つのです。わたし、何も聞いてませんよ。それに、旅の路銀まで寄付するのですかっ? まだ、千早【巫女装束のアウター】も買ってないのに、どうするんですかっ?」
言うまでもなく、我が女房の雪音である。
事前に相談すれば、間違いなく猛反対されるだろうと見越し、これまで黙っていたのだが、こうして斉隆に言ってしまえば、もはや流れは変えられまい。
しかし、こやつの着ている物で何かが足りないとは思っていたが、まさか千早が無かったとは……。
「分かりました。では、金子は有り難く頂戴し、この北汰分宿の蓄えにしておきましょう」
「ちょっと待つのですよぉー、わたし達、一文無しじゃないですかぁー、これじゃ、あんまりなのですぅー、ふわああああああん」
斉隆に渡したのは、黄金の小判だけであるぞ。旅の路銀として両替した銀の小判などは、そのまま残してあるのだから、何ら支障はない。
「せっかく街に来たのに、今夜も野宿なのですぅー、ふわああああああん」
むむぅ………………、それでも不満なので、ひたすら駄々をコネながらウソ泣きして同情を誘う作戦か。まったく女子という生き物は、これだから質が悪い。
「………………まぁ、このぐらいは、余裕を持たせた方が、よろしいでしょうな」
引きつった表情で黄金の小判を二枚、雪華ちさんに手渡した斉隆。
「はい、雪音ちゃん、これあげるーぅ」
次に、その小判を駄々っ子のように泣きわめく雪音の手に、やさしく握らせる雪華ちさん。
「ふぇっく、ひっく、ありがと………………、なのです」
さらに、ひとまず泣き止んだ雪音が、グズりながらも二枚の小判を口に持ってゆき、がじがじと噛んでいる。
「何というか、大変お見苦しい醜態を晒してしまい、まことに申し訳ないっ」
最後に、吾輩が畳に額をこすり付けての、平謝りである。まさか、雪音が、ここまでの強硬手段に出るとは、大誤算であった。
「いえいえ、お気持ちは痛いほど、よく分かりますので、お気になさらずに」
斉隆が浮かべた穏やかな笑みを、吾輩はとても直視できなかった。穴があったら入りたいとは、まさにこの事であろうな。
「あ、そう言えばーぁ、蘭狐ちゃんの着物の下取りを計算に入れて無かったのでちゅ。さっき、雪音ちゃんに渡した小判は、その代金という事でお願いしまちゅね」
確かに、あの虎次郎の妻にしてキツネ女の物だという派手な紅い着物は、高値が付きそうな品ではあったが、それでも黄金の小判二枚分である二万文【200000円】には、さすがに届かないだろう。ついでに、吾輩が着ていた深緑の直垂【平民の普段着】は、激闘の途中で焦がしてしまったので、価値は無きに等しい。
そんな………………、居たたまれない胸中のまま、我らの所持金を計算してみよう。
二十五万七千八百五十文【2578500円】は、いくら何でも余り過ぎなので、吾輩は北汰分宿への寄付として、代官の斉隆に黄金の小判すべてを差し出した。
その時点で、七千八百五十文【78500円】と、旅の路銀としては妥当な持ち金であったのだが、事もあろうに、雪音が駄々をコネてわんわん泣き出してしまった。
それで、斉隆と雪華ちさんの同情もあって、黄金の小判二枚を戴く事になった。
すなわち結論としては、二万七千八百五十文【278500円】が、現在の所持金であろうと思われる。
無論、計算が間違ってなければの話だが………………。
【 】内は現代語訳と省略用語、黄金の小判などや“ ”内は強調単語、重要固有名詞であるもののけともののふの表記は、ひらがなと混じっても読めるようにする為、『 』内は紙などの媒体に記されている文字を表し、( )内は口に出さないセリフ、つまり心の声です。




