十七話:お家芸の太刀術。
吾輩は、冬将軍である。
いよいよ、果てしない旅に出た吾輩達。
針葉樹林の入り口で幽霊と出会う。その凄惨な姿を見た途端、我が女房の雪音は気を失った。
とりあえずは、事情を聞き出す為に会話を試みる吾輩。
どうやらこの幽霊、方向音痴な旅の商人であり、キツネのお面をしていた人間に刺し殺されたようだ。
そうして、無残な最期の瞬間を思い出してしまった幽霊が、吾輩の身体を乗っ取ろうと襲い掛かってきた。
だが、それを見越していた吾輩は、気合いの寒波を爆散させ、幽霊の力を削いだのだった。
「そなたを切りたくはない、鎮まるがよい……」
うずくまって震えている幽霊――。
吾輩は、浮かせていた身体を下ろし、白い雪に覆われている地面に足を付けた。
「うくくく……っ」
この幽霊が持っていた“怪の力”の大半は、吾輩が放った寒波によって削られている。
もはや、立ち上がる力も無いはずだ。
「あ……っ、あんたが……っっ、ダメなら……っっっ」
彼者はまだ――、諦めていないようだ。しかし、力の差は明らかであるぞ。
「ぐおおおおおおおおおおおおっっ」
地獄の底から吠え猛るような、重く暗い声が辺りに響いた。
同時に、風前の灯火であったはずの、幽霊の“怪の力”が格段に膨れ上がる。
「そうであったな……」
もののけの原動力である“怪”は、強い思念によって際限無く湧き出てくるのだった。
こうなってしまっては、完全に手遅れかも知れない。彼者が悪霊となって、道行く者を苦しめるようになるのであれば、ここで引導を渡すのが情けでもある――か。
「その娘の身体をよこせええええええっっ」
「しま……っ」
幽霊は、傍らで気を失っている我が女房の雪音に、狙いを定めていたようだ。
吾輩の左下めがけて、一直線に突進する。
だが――、
不意を衝かれはしたが、百戦錬磨である吾輩の身体は適宜に反応していた。
雪に覆われた地面を力強く蹴る事で、土の混じった雪煙が舞い上がり――そして、
彼者の、断末魔の叫びが響き渡った。
「むううぅ……」
不本意ながら吾輩は――、
太刀を抜きざまに、幽霊の核となる“魂”を切ったのだった。
「……我が女房を襲おうとした、そなたが悪いのだぞ」
霧散してゆく彼者の姿を見た吾輩は、玲瓏たる氷の刃を――鞘に、ゆっくりと音も立てずに納める。
今使ったのは、古より評一門のみに受け継がれてきた太刀術の技、夕霧と早霧を合わせたものだ。
まず――夕霧は、評一門の御三家が一つにして、雪音の実家でもある結氷家門の者が得意とする技。代々の当主が結氷神宮大宮司を務める家柄であるが故に、幽霊などの退散を専らとする太刀術が編み出されたのだ。
夕の字は――黄昏、逢魔が時、幽霊などを指す。
それに、切るの動詞を転じて霧の字を当てて、合わせる。
すなわち、実体の無い幽霊や魔物などを絶ち切る為の技こそ、夕霧なのである。
次に――早霧とは、評門派太刀術の秘奥義。
皇統の流れを汲む評は、宸世のありとあらゆる太刀術を、お家芸として後世に伝えてゆく責務を負う、貴き家門である。代々の当主は、奥義の伝授を以ってその座に就く事を許される。
早の字と、霧を合わせて――早霧。その名の通り、如何に早く切り付けられるかを追及した結果、抜きざまに切るという、抜刀術に至った。
初見の相手には一撃必殺となるこの技を、代々の当主はひた隠しにしてきた為、評は宸世随一の武門と成ったのだ。故に、誰にも見られてはならないのだが――、
迂闊にも、早霧を繰り出してしまった吾輩。辺りの気配や怪配を念入りに探ったが、消え去った彼者以外に我が奥義を見た者は、どうやらいないようだ。ひとまず、ホッと胸を撫で下ろした。
「さて……」
先ほどの入念な捜索の結果、彼者を刺したと思われる下手人【犯人】らしき、怪配混じりの気配を探り当てていたのだが――、まだ針葉樹林の奥に居るらしい。
まぁ、あれだ。
あれこれ、ここで考えても仕方がない。
直接――相手に聞くのが、一番手っ取り早いであろうな。
「むむっ……」
よく見れば、せっかくもらった深緑の直垂【平民の普段着】の裾が、泥だらけである。
寒波を爆散させて彼者の“怪の力”を削いだ時、地面を覆っていた足下の雪も一緒に吹き飛ばしていたのだろう。さらに、うっすらとまだ残っていた雪の上に、吾輩が足を付ける。そして、力強く大地を蹴って早霧を繰り出した事により、露わになった泥土が巻き上げられ、裾を汚してしまった――という訳か。
だがしかし――、
何ら憂える事でもない。
吾輩と女房の身体や着衣には、汚れどころか埃すら染み付かないのだ。
ほら、こうしてパンパンと裾を叩けば、澄んだ氷のような音と共に、泥汚れが瞬く間に落ちていったであろう。
そうなのだ。
我ら夫婦の皮膚や衣服の表面は、常に極薄の氷膜が張られており、あらゆる汚れや埃はそれに付着する。汚れてしまえば、その氷膜ごと叩いて落とし、また新しい氷膜を張れば済む。おかげで、洗濯なぞ一度もした事が無かったりする。
――とりあえずは、何かと寝坊助さんな雪音を起こして、日が暮れる前に片付けるとしようか。
【 】内は現代語訳と省略用語、際限無くなどや“ ”内は強調単語、重要固有名詞であるもののけともののふの表記は、ひらがなと混じっても読めるようにする為、( )内は口に出さないセリフ、つまり心の声です。