十五話:気の力と怪の力。
吾輩は、冬将軍である。
いよいよ、果てしない旅に出た吾輩達。
さてはて、どうなる事やら。
空は、わずかな雲こそあったが、青く澄み渡って良い天気だ。
奥に見える山脈や、手前にある針葉樹林も、白い雪を被っており、紛れもない雪国の風景が広がる。
そんな雪の白に真っ向から反抗するかのように、紅がひらりと、視界の端で揺らめいた。
先ほどから目の前で、袖を鳥のようにパタパタさせながら浮いている、雪音の着物である。
「お兄さま、これからどうするのですか?」
鈴のような少女の声が響く。言うまでもなく、吾輩の女房である雪音が発したものだ。
「ふむ…………」
端ヶ谷の隠れ里を出立したのが、おそらく正午過ぎであろうか。
我らは今、真っ白な雪の平原を、浮かびながら進んでいる。
「とりあえずは、南にあるという北汰分を目指すが……、別に急ぐ事もないであろうな」
そう――、宸世最北端の街である北汰分の口入屋に行き、偽名にて業者登記【冒険者登録】を済ませるのが、直近の目標だ。
業者【冒険者】という職業は昔からあったのだが、登記【登録】の制度は初耳である。少なくとも、吾輩が眠りにつく前は無かったと、断言できる。
「そうですね……。ブラブラと寄り道しながら、旅を楽しむのですよ」
「うむ……、だが……、それにしても……、お腹がすいたな……」
雪女の雪音と同化し、氷漬けになった吾輩の身体は、生命活動を行っていない。よって、消化器官も動いていないので、食べ物を口に入れる事もできない。
されど――、
もののけと同じような、“食事”は必要なのだ。
「松ぐらいしか生えて無さそうですけど、食べますか?」
そう言いながら雪音が指したのは、針葉樹林が見える方角であった。
* * *
ここは――、
山脈の手前に見えていた針葉樹林の入り口。
吾輩は今、そこに生えていた蝦夷松の“生気”を啜っている。
「うぅむ、渋辛い……」
強いて言えば、お茶漬けを特濃にした味だろうか。
しかし、背に腹は代えられない。
吾輩は松の幹に口を付け、我慢しながら“生気”を吸う――。
ひたすら吸い続け――、
「げっふんげふっ……、やはり不味いな……」
吾輩は口直しに、冷気を一杯に吸い込んだ。
案の定――松の類は、見た目通りの味であったようだ。
「桜とかでしたら、おいしかったですのにね……」
確かに、満開の桜は極上の甘さを誇り、雪音が大好きな生気であったりする。そういえば、こやつが片っ端から桜の生気を吸いまくって花吹雪にし、せっかくの花見をぶち壊しにした事が何度もあったな。
「……まぁ、あれだ」
不味かったが、とりあえず“気の力”を満たす事ができたのだ。良しとしよう。
ところで――気の力とは、いったい何であろうか?
この宸世において、すべての力は“気”と“怪”に帰結すると、云われている。
まず――、
気とは、理の力である。
森羅万象すべての根幹を成す素材であり、ありとあらゆる物体はこの“気”によって造られ、動いているらしい。
例えば――、
今は冬にして、辺り一帯の“空気”が“冷気”になっていたりするが、夏になれば“熱気”に変わる。
松などの動植物が、“空気”を中へ吸い込んで“生気”に変え、生きる為の力にする。
こうした――普通の在り様が、“気”によって構成されているのである。
対して――、
怪とは、理に非ず。
宸世には、非理の力である“怪”が存在する。それは、この世ならざるもののけの根本を成す、限りの無い力なのだ。
たいていは、未練を残して死んでいった魂が、この世に留まろうとする強い念に応じて湧き起こる力である。しかし、“怪の力”だけでは、現世の理に干渉できない。その典型的な例を挙げるとすれば、幽霊であろうか。奴らは、現世に対して何もできないし、誰かに見られる事も無い。
では――、
怨みつらみを晴らしたい魂は、どういう手段を取ったか?
ある者は、動物の生気を啜って、生前の姿をこの世に映した。
実体を持たぬまま、誰の目からも見えるようになった奴は、さも恐ろしげな姿で憎き敵の前に現れ、相手が狂うまで纏わりつく。もしくは、生気を吸い尽くして殺すのだ。
またある者は、植物や動物、器物などに――とり憑き、それを操って仇を討とうとする。
つまるところ――、自前で理の力である“気”を産み出せず、現世にも干渉できないので、他者から“気”を奪って様々な形で報復するようになった物の怪。これが宸世におけるもののけの始まりなのである。
さて――、
ここで吾輩が何故に“気の力”を満たす必要があるか。そこへ話を戻すとしよう。
吾輩は、もののふと呼ばれる存在であり、決してもののけではない。
だが、一度成れば二度と元には戻れない、不可逆型のもののふである吾輩の身体は、極めてもののけに近い仕組みになっている。
すなわち、際限なく湧き出てくる“怪の力”に、先ほど吸い出した松の“気の力”を混ぜる事で、常識では有り得ない現象を引き起こし続けているのが、吾輩の身体であるのだ。
実例を挙げるとするならば――、
氷漬けでカチコチに固まった我が身体を滑らかに動かしたり、本来ある体重を無視して空中に浮かび上がらせる有様。
寒波で雪崩れを割ったり、あらゆる物を瞬時に凍らせる能力。
ついでに――、元々は雪だるまで、雪しか詰まっていない我が女房が、まるで人間のように話したり考えたり飛び回ったりする不条理。
これらすべて、“怪の力”を理に干渉させる事によって可能としている。そして、それには少しずつ“気の力”を使い続ける必要があるのだ。
あと、氷雪系のもののけの類である我らは、冷気を取り込んで“気の力”に変える事ができる。
つまり、冬であれば常に“気”を補充できるのだが、その行為を人間に当てはめれば“水”を飲むようなもの。一日に二度くらいは、御飯に相当する動植物の生気を摂取しないと、やはり物足りないのだ。
「では、行くとしようか……」
「はいなのです」
その時――、
ふと、吾輩の感覚にひっかかる物があった。
間違いなくこれは――、怪配。
この近くに、我ら以外のもののけが居る。
だが、姿は無い。
ぐるりと辺りを見回しても、何も見えない。
「お兄さま、どうしたのですか?」
「何か……、居るようだ」
「ええっ……、やだっ、もしかしてっ」
すかさず吾輩の左手にしがみつき、ブルブル震える雪音。
そういえばこやつは、死体や幽霊の類が大の苦手であったな。
「居るのは分かっている。出てこられよっ」
吾輩は大きく、誰何の声を上げた。
しかし――、
一向にその姿を見せないし、物音すら立たない。
確かに“怪の力”は感じるのだが――、
もしかして、“気の力”が無いので、具現できないのであろうか。
さすれば、“気”を与えるまでの事。
「さぁ……。これを吸って姿を現すのだ。出来る事なら、そなたの相談に乗ろうぞ」
吾輩は空いてる右手を突き出し、手の平を上に向けて開き、気合を込めた。
すると、そこから黄金に輝く光の玉が現れる。
これこそが、“気”の塊である。存分に吸うが良いぞ。
――しばらくして、
光の玉が徐々に小さくなっていった。吾輩の出した“気の力”が吸われているのだ。
そうして、
ついに奴の姿が、うっすらと現れてゆく――。
【 】内は現代語訳と省略用語、偽名にてなどや“ ”内は強調単語、重要固有名詞であるもののけともののふの表記は、ひらがなと混じっても読めるようにする為、( )内は口に出さないセリフ、つまり心の声です。