十話:はしたない雪女。
吾輩は、冬将軍である。
永き眠りから目覚めた吾輩は、近くにある隠れ里の長老に呼ばれて出向き、話をする。
そして、三日間は誰も入ってはならぬと長老に申し伝えた上で、吾輩は眠っていた場所に戻り、雪だるまから女房の身体を作って、堪能するのだった。
うむ――、至極、良かった。吾輩は、満足であるぞ。
「お兄さまは、ひどいのです……」
藤色の長い髪をかきあげて、半襦袢【上半身のインナー】を着ながら、女房は小声でブツブツ言っている。
「いきなり入れて、突き上げるなんて……」
短い湯文字【下半身のインナー】を巻き、白衣【白い着物】の袖を通してゆく、ご機嫌ななめな雪音。
「いくらなんでも……、びっくりするのです……」
さらに、濃色の女袴【紫のプリーツスカート】を履いて、裾の位置を調整する。膝頭にちょうど当たるぐらいが、良いらしい。
「それから、何度も何度も、一滴も漏らさず、奥に注いでしまうんですもの……」
最後に、冬将軍を表す“三ツ鱗”紋の金糸刺繍が入った千早【巫女装束のアウター】を羽織って着衣を終えた雪音は、その仕上げに、腰の辺りまで達した藤色の長い髪を、手櫛で梳かして整える。
「そんな事されたら、さすがのわたしも、子供が欲しいのです……」
くるり――、くるり――と、回って見せ、
ぱさり――、ぱさり――と、鶴のように袖をはためかせて、着心地を確かめた雪音。
心なしか、白い肌がツヤツヤしてるように見える。
「……お兄さまも、そうですよね?」
いきなり同意を求められても――な。
ちなみに吾輩は、すでに身支度を済ませているのだが、身体がとてもダルい。
――ふむ。
先ほどから――、
はしたない言葉が次から次へと出てきていたが――、
物静かな娘ほど、内面はエグいとは、よく言ったものだ。
とりあえず――、
いろいろと解説させてくれ。決して、言い訳ではないぞ。
雪女とは、宸世で最も嫉妬深く、男子を永遠に束縛するもののけだ。
愛する男子の心之臓に己の核を同化させ、氷漬けにして永遠に愛し合おうとする。その成就の為に、あらゆる対策を男子の身体に埋め込んでいるのだ。
――まずは、不義密通の防止。
吾輩のような男子は、他の女子を、例えその裸を見たとしても、決して欲情しないようになっている。イチモツが勃ち上がらなければ、間違いなど起きようはずがない。
その反面、女房である雪女のあられもない姿を見れば、これでもかというほど膨張するのだ。
――次に、男子の体液を独占。
イチモツから射出される濁った白い液は、人間であれば子種であるのだが、吾輩のような男子が出すのは強烈な冷気。一滴で山ごと凍らせる威力があるらしい。そして、冷気は雪女にとっての食べ物であり、己の愛する男子からのものであればなおさら、他人には絶対渡さない。
故に、雪女が絶頂に達してから体内に流し込める仕組みになっているのだ。もちろん、その間はがっちり固定されているので、途中で抜く事はできない。あと、男子がいわゆる自慰をして、いくら外へ出そうとしても、無駄な努力に終わるだろう。そもそも勃たないのである。
――最後に、子作りについて。
雪女の夫婦は、基本的に子供を作れない。不老である雪女が増えれば、宸世の均衡を崩してしまうとも云われているが、それについては同意である。
ただ、吾輩のような男子が“雪霊草”という草を食べれば、子種が出来るらしい。されど、それは希少である上に、徹底して管理されている為、まずもって手に入れる事は不可能である。
特に、女房は宸世の雪女の中で最も強大な“雪姫”なのだ。そんな子供は決して誕生させてはならぬと、門前払いにされた過去がある。
以上の事から、どっちがひどいかが、分かるであろう。
ここまで縛っておいて文句を言うのだから、たまったものではない。
(全部、聞こえてるのです……、よ?)
プクッと頬を膨らませた雪音の言葉が、脳裏に響く。これは口から出た声ではない。
(口に出しても出さなくても、一緒なのです)
そうなのだ――。
我々夫婦の間では、本音も建前も使い分けれないし、嘘もすぐバレてしまう。お互いに思っている事が筒抜けなのである。吾輩の心之臓に雪音の本体が同化しているので、当然と言えば当然であろうな。
だからこそ、ここで明かしてしまうのだが――、
吾輩にされた“ひどい事”を敢えて口に出しながら、実はまんざらでもなく、むしろ快感を思い起こして、改めて噛み締めていると共に、しれっと自分の願望に同意させて誘導しようと――、
「ちょっ、ちょっと待つのですっ、そっ、そんなっ」
ほら――、頬が真っ赤になった。
「わっ、わたしは、そんなにあざとくないのですっ、ないのです、よっ」
あざとい――、あざとい。充分あざとい。
「ひっ、ひどいのです……っ、もおっ、いいですっ、いいですよぉ、わたしは、あざとくてはしたない女なのですっ、ですからっ、こうしてっ、お兄さまを誘惑するのですっ」
言うや否や、雪音は濃色の女袴【紫のプリーツスカート】を両手で掴み、たくし上げようとするのだった――が、
(ふみゅう……、ほんと、筒抜けなのです……、つまんないのです)
うむ――、どうやら察したようだ。
もはや吾輩には、勃ち上がる気力が残ってない事を――。
「でわ……」
女袴【プリーツスカート】から手を離し、ポンポンと叩いて居住まいを正した後、ちょこんと正座する雪音。ぐったりした吾輩と向かい合わせになる。
「身体を作ってまで、わたしを起こしたのは、どうしてなのです?」
我が女房の、薄氷色の眼差しが変わった。先ほどまでとは違い、真面目な顔付きになっている。
「お兄さまは……、七十の時に孝明さまを亡くされて張り合いが無くなったと、政から身を引いて隠居になったのです……」
実に――、懐かしい名前が出てきた――な。
萩 孝明は、吾輩と同い年で、最大の好敵手であった。
ここ――、鎮西【地方】から、海を隔てて南東に位置する総備【地方】の覇権を握っていた男であり、何度か戦場で激突した事もあったが、晩年は吾輩と共に朝廷の政を動かしたものだ。
彼奴の最も大きな功績は、官位制度改革と貨幣価値の統一であろうか。
だが――、
吾輩が七十歳を過ぎたあたりで、彼奴は、あの世へ旅立ってしまった。
「それからも、評一門と鶴城幕府を支える御三家の、結氷、凍越、寒河の当主が代替わりしてゆき、わたし達が知る“人間”もいなくなったのです……」
同じ時と場所を生きた人間が、次々と寿命で旅立っていった。
その息子、孫、ひ孫と、代を重ねる毎に、面影も薄れていった。
しかしだ――、時が経てば経つほど、強くなっていくものがあったのだ。
「でも……、お兄さまは隠居してたのに、“鎮西の守り神さま”として、みんなから頼られるようになったのですよね……」
そう――、吾輩の政への影響力である。
いくら隠居の身であろうとも、やがてそれは絶大な権力となり、吾輩の意見無しでは鶴城幕府が回らなくなってしまった。
「それで……、お兄さまは、永い、永い、眠りにつく決心をしたのです」
女房は、何もかも端折り過ぎである――、訳が分からんぞ。
つまりはだ――、不老の身である吾輩がいつまでも政を動かしていては、後発が育たないのである。それでは、組織としての深刻な弱体化を招いてしまう。
故に――、
老兵は、ただ消え去るのみ。
そう思い至った吾輩は、永い眠りにつく事にしたのだ。
鎮西【地方】の人々が自立するように――と、立派な大義名分をのたまってな。
「……そうなのですよ、大層ご立派な理由でしたけど、本当はですね、頼られ過ぎて面倒臭くなったのですよね?」
――女房よ、それを言ってはおしまいだ。
まぁ、いろいろと、積もりに積もって――、どうでも良くなったと、そんな所であるな。
ただ――、せっかく築いた鶴城幕府まで瓦解させるのは忍びなかった。そこで“影武者”を仕立ててから、眠りについたのだ。
「ですけど……、お兄さまは……今っ、成り行きで起きてしまって、わたしの身体まで作って、出し尽くして、満足して、放心しているのですっ」
――自分勝手だと、言いたいのであろうな。
永い眠りについた時も、女房には何の相談もしてなかった。
ただただ――、笑顔で吾輩に従ってくれたのだった。
「そんなお兄さまに、これから先を選ぶ権利はないのですっ」
――ビシッと、指をさされてしまった。
選ぶ権利はない――と、言われても――、
まさか――、
三行半【離婚届】を突きつけるのではあるまいな。
我らの身体の構造上、それは絶対に不可能だぞ。
「ですので……、旅に出ましょう」
さわやかな笑みを浮かべた女房の口から、意外な言葉が出てきた。
――同時に、ホッとした吾輩がいる。
「わたし……、ぶらぶらと……、あてどのない旅をしたいと、ずっと思っていたのです」
ほほぅ――。
まぁ、それは――、そうかも――、知れんな。
女房には、今まで随分と窮屈な思いをさせていた――よな。
「でも……、もしも……です、お兄さまがまた……、永い眠りにつきたいとしても、鶴城の都に向かわないといけないので、旅は避けれないのです……よ?」
――また、永い眠りにつくには、大掛かりな儀式が必要なのだ。
どちらにせよ、旅はしなければならない。
「ですから……、旅に出ましょう」
重要な事だから、繰り返し言ったのか――。
そういえば、雪音は、今までわざわざ声に出してしゃべっている――よな。
吾輩が、考えをまとめ易くする為――、なのか。
「旅に……、出ましょう……、よぉ」
――むおっ、上目遣いのおねだりがきた。
我が女房の――この仕草は、どんな男子だろうとイチコロに参らせてしまう。
だから、吾輩のイチモツが勃ち上がり始めたとしても、詮無き事なのだ。
「分かった、分かった。そなたの言う通りに、旅をしようぞっ」
吾輩も敢えて、声に出して宣言するのだった。
しかし――、
選択する権利はないと強気に出ながらも、結局は吾輩にお願いするあたり、雪音は出来る女房だと、つくづく思う――が。
「ほんとですかっ、やったぁーっ、たっ、旅に出れるっ、出れるんですねっ」
それなのに――、
こうしてガバッと立ち上がり、ぴょんぴょん跳ね回って無邪気に喜ぶ様を見ていると、いつまで経っても子供だと、感じるんだよ――な。
まぁ――、それが――、何よりも良い所ではある。
――おや?
女袴【プリーツスカート】の中身が、チラリチラリと見えかかっているではないか。
――これは、まずい。非常にまずいぞ。
吾輩の息も荒くなっている。少しでも出尽くした冷気を取り入れようと、身体が反応しているのだ。
「やったったぁーっ、わたしたちっ、旅っ、旅に出れるんですよーぉ、うっれしいなーぁ」
――あっ。
雪音の愛らしい唇が、わずかに歪んでいた。
もしや――、大げさに跳ね回ったのはワザとか。
「そうですよーぉ、わたしはっ、とーってもあざとくてっ、はしたなーいっ、雪女なのでーすっ」
これこれ――、女袴【プリーツスカート】をたくし上げながら、抱きつくでないぞ。
吾輩のイチモツが、すっかり元気を取り戻してしまったではないか。
「ですから……、わたしを……、好きにして……、いいのです」
――むおおおおおおっ、ここで上目遣いのおねだりかああああああっ。
これは辛抱たまらんぞおおおおおおっ。
よーし、好きにする。覚悟するがいいぞおおおおおおっ。
「きゃんっ、お兄さま……、やさしく……、して……」
そう言われても――これは、あざとい雪音の、自業自得ではなかろうか。
もはや、吾輩は止まる事を許されない。最後まで突き進むしかないのだ。
「だっ、だめっ、だめなのですっ」
そのまま押し倒して羽交い絞めにすると――、雪音は、か弱い力で暴れ出す――が、
「ふぇえええっ、お願いですっ、ゆっくりしてっ」
すみやかに抵抗を鎮圧した吾輩は、はしたない雪女を成敗するかのように――、
ひと思いに、突き挿すのだった。
【 】内は現代語訳と省略用語、“ ”内は強調単語、重要固有名詞であるもののけの表記は、ひらがなと混じっても読めるようにする為、( )内は口に出さないセリフ、つまり心の声です。