第12話 決戦 230329
僕は、学校のプールの飛び込み台の上で、ビート板を両手に持って立っていた。大塚君も、僕の隣の飛び込み台の上に立ち、腕をぐるぐる回していた。
プールの水面が静かに波打っていて、時たま通り過ぎる風が水面にさざ波を起こしていた。僕らの後ろには、先生がびっくりした表情で棒立ちになり、クラスメイト達が体育座りをしながら、ヒソヒソと話をしていた。
「ビート板持ったまま、飛び込むのかな?」
「てか、泳げないんだよね? だからビート板」
「いや、そもそも泳げないのに飛び込むの?」
「「ある意味、スゴイわ」」
僕は静かに深呼吸をして、後ろを振り向いて、先生に話しかけた。
「…タイムお願いします」
僕は、飛び込み台から降りて、ビート板を床に置いた。危なかった。ビート板を持ったまま飛び込むところだった。飛び込んだら、絶対お腹を水面で打ってゲーム終了だよね。
僕は、手の平に3回「人」と書いて、その度に飲み込んだ。そして、両腕を頭の上まで持ち上げて、「ヨシ!」と言いつつ振り下げた。菊っちゃんも僕の頭の中、「ヨシ!」と気合を入れていた。
僕は、大塚君に勝てないだろう。
「いいんちょ~! がんばれ~。いじめっ子になんか負けるなぁ~」
僕が振り返ると、スク水・青山しずくちゃんが両手をメガホンにして応援してくれていた。その隣でスク水・副委員長がおずおずと小さく手を振ってくれた。
僕は嬉しかった。応援してくれる人が居るんだもの。
勝てないけど。だってカナヅチだもの。
だから…。
僕は、思いを声に出した。
「僕は、25m泳ぎ切る」
後ろのクラスメイト達が「「オォ~ッ」」と声をあげた。
僕は、ビート板を手に取ることをせず、ゆっくりとプールの端に手を掛けながら、水の中に入った。
クラスメイトの声。
「さりげなく、ビート板、脇に置いたな?」
「置いたねぇ~」
「飛び込まないんだね~」
「なんで飛び込み台の上に立ったの?」
僕は、誰に言うとでもなく、「そう言う気分だったから」と小声で答えた。僕は、ゴールの対岸の方を向いて立ち、両後ろ手で飛び込み台の下の金属バーを掴むと、先生に声を掛けた。
「先生、お願いします!」
先生がプール際まで来てしゃがみ込み、僕の準備が出来ているのを確認すると、大きく頷いた。
「青春だな。先生の大好物だ。それでは2人の25m競争を始める。泳ぎ方は問わない。クロールでも、平泳ぎでも、犬掻きでも、ビート板を使っても構わない。そうだな、大塚君」
「はい。先生」
「ビート板は使わなくて良いのか?、石井くん」
「はい。先生」
先生はちょっと心配そうな顔をして、僕を見つめると咳払いをした。
「それでは始める。準備は良いか?」
「「はい!」」
頭の中に菊っちゃんの声がした。
「イチ坊、持ってるモン全部だせ」
僕は、前を向いたまま大きく頷いた。後ろ手に鉄棒を持ったまま、プールの後ろ壁に膝を曲げて足を付ける。
大塚君が僕の方をチラリと見た。
プールの水面に先生の笛の音が響いた。
「ヨ~イ、スタート!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「けのび王に、俺はなる!」
僕は、後ろ手を鉄棒から離して、後ろ壁を強く蹴った。身体が水を押しのけて強く前に出る。両手は身体の横に付けたまま。僕の身体の周りを水流が流れ、ごぼごぼと泡が流れる音がする。
「1、2,3…」
ひたすら数を数える。
何故って[けのび]だから。
目を開けて、プールの床と塩素の錠剤を見ながら、数を数える。
僕は、顔付け、目開けだったら、60秒行ける。
練習したから。
徐々に身体が前に進むスピードが落ちてくる。でも我慢する。
菊っちゃんと約束したから。
スピードが完全に止まるまで、自分の力だけで前に進むって。完全に止まるまで、60秒過ぎるまで。
僕は息を止めて水に浮かぶ。
「48、49、…」
僕の身体は完全に止まり、ただ水に浮かぶだけになった。
それでも僕は[けのび]であり続ける。
「委員長! 石井くん! 頑張って!」
副委員長の声がプールの上を走ってやってきた。
「59、60」
僕は、やりきった。
「イチ坊、良くやった。後は任せな」
頭の中で菊っちゃんの声が頼もしく聞こえた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
僕は泳いでいる。
「イチ坊、いいか身体の動きを覚えるんだ」
「うん」
「まずは、足だ。足を畳んだまま身体の前後に開いて、両足とも膝から下を開いて、ハサミが閉じるようにひゅっと足を閉じる。この閉じるときに水を後ろに押し出すんだ」
「え? バタ足じゃないの?」
「ほら、こうだ。とりあえず手は忘れろ。俺が動かす。足だ。足の煽りを覚えろ」
僕は、足だけに神経を集中する。菊っちゃんがやった足の動き…。膝を閉じたまま足を前後に開いて、膝下広げて、ひゅん!と閉じる。
「え?身体横にするんだ。顔が水から出る。息出来る!」
「そうだ。泳ぐのに、息継ぎなんていらねえんだ。そして手は、胸の前で手を合わせて、下の手を前に滑らすように伸ばしながら、上の手で下向きに水を掻きながら水を後ろへ流す」
「おおッ! 進んだねぇ」
「だろ? 俺は[昭和のトビウオ]と呼ばれた男よ」
「おぉ~ッ」とりあえず讃える。
「一緒にやるぞ」
「うん」
僕は泳いでいた。速度は速くないけど。泳いでいた。
クロールじゃないけど、顔を水に漬けないで、息継ぎいらなくて、泳げてた。
「なぁ、イチ坊」
夢中になって身体を動かしてたら、菊っちゃんが声を掛けてきた。
「なに?」
「俺は、もう何もしてねぇ。お前、1人で泳いでいるぞ」
「え?、そうなの?」
泳ぐので夢中になってて気づかなかった。そういえば、手も足も全部自分で動かしている。菊っちゃんに動かして貰っている感じはしなかった。
「もうイチ坊はカナヅチじゃない」
「…うん。ありがとう」
そして、僕の前にはプール対岸の[ゴール]が見えてきた。
[ゴール]の向こうで、青山しずくちゃんが興奮のあまりポップコーンのように跳ねていた。副院長が、飛び込み台に片手を掛けて、もう片手を僕の方に伸ばしていた。
「「ガンバレ!、頑張れ!」」しずくちゃんと、副委員長が大きな声で声援をくれた。
もう5m、4m
「「「「「ガンバレ!、ガンバレ!」」」」」 僕を応援する声が数多く大きくなっていて。
僕の手が[ゴール]のプールの壁についた。そして副委員長の手に捕まれる。
青山しずくちゃんが、反対側の手を握った。僕は、プールの壁に足を掛けて、2人に壁に引き上げられる。途中から体育の先生も手伝ってくれた。
青山しずくちゃんと副委員長が、僕の両腕を握ったまま。ぴょんぴょん跳ねて喜んでいた。僕も嬉しくなって、つい一緒にぴょんぴょんしてた。
先生が興奮気味に話し出した。
「石井くん、日本古式水泳なんて、初めて見たよ。かつて[豆魚雷]と呼ばれたオリンピック水泳選手が得意としていたそうだ」
「いいんちょ~。やっぱり魚雷だったんだ~」
「フフッ、豆魚雷って何か可愛くて委員長にピッタリだね」
2人の女の子が笑った。
…豆魚雷? 僕が?
「え~ッ」僕は不満を申し立てた。2人の女の子がまた笑った。
僕の視線の先に、プールから上がった大塚君が居た。
大塚君が、ニヤリと笑った。
僕も、ニヤリと笑い返した。
「負けちゃった」と僕。
「あぁ、だが25m泳ぎ切ったな」と大塚君。
僕は嬉しかった。なんか少年漫画みたいで。
これから大塚君と仲良くなれるような気がした。
「俺も初めて見た。あんな泳ぎ。誰に教わったんだ?」
僕はふざけた感じで、調子に乗って答えた。
「良かったら教えようか?」 。
大塚君は笑って「たのむわ」と言った。青山しずくちゃんが「わたしも、わたしも~」って大声で叫んだ。その隣で、副委員長がニコリと笑って小さく手を挙げた。
僕は、今日一番のニヤリとした微笑みを浮かべた。
「この泳ぎはね。僕のオジイに教えて貰ったんだ」
たった今。
エピローグが来週くらい。その次の週に「菊っちゃんの時計2」の予告編があります。




