3
「今日は疲れました。」
ベルは国務帰りの馬車の中でボソッと呟く。
アイリスとの会談が思ったより長引いてしまい、すっかり遅くなってしまった。これでは帰宅がアキより遅くなるかもしれない。ちょっと前に「夫を出迎えるのは妻の役目です!」と豪語した自分が恥ずかしい。でもアキならきっと笑って「遅かったね、おかえり」と言ってくれると思う。それはそれでいいかも……とベルはついついはにかんでしまう。
「帰ったらいっぱいアキさんに甘えよーっと。」
アキにギュッと抱きついてるところを妄想するベル。自然と頬が緩んでくる。ダメダメ。まだ王女でいなきゃと表情を戻す。
ほんといつからだろう。こんなにも彼の事を想い始めたのは。
初めて彼を見たのはミスミルドの王立図書館だった。最初は不思議な人だなくらいにしか思わなかった。ただ何故か興味が沸いたので、少し観察していたら、アキが魔獣制度の事を調べていると知った。そしてSランクを目指しているという事も。彼の人柄は従者のアリアやセシルとの会話を聞いていればすぐにわかった。優しくて一緒にいる人を幸せにする人なんだなと思った。
そして闘技大会で彼の特殊な魔法を見た。人をあっさりと殺したときはちょっと怖かったけど、すぐに必要な事だったと理解出来た。最低限の犠牲でSランクになったアキ。さらに興味が沸いて、我慢出来ずに彼に接触してしまった。心のどこかで彼なら今の世界を変えてくれそうな気がしたから。
アキと話してベルの勘は確信に変わった。彼なら間違いなくこの世界を何とかしてくれると思った。それに彼と話していたら……とても彼の事が気に入ってしまっていた。凄く意地悪で、いっぱい苛めてくるけど、それでもいつも優しくて、一緒にいてとても楽しかった。
「だって普通の女の子として扱ってくれるんだもん。」
王女ではなく、野心も下心もなく、ただの女の子として扱ってくれたのが嬉しかった。ベルって呼び方を許した人は彼が初めて。最初は彼の出生を確かめる為にそう呼ばせただけなのに、今はもうベル以外で呼ばれたくない。
彼と色々と話すようになってからも驚く事ばかり。彼の知識の深さは畏怖に値した。自分では到底及ばない知識量。そして何より凄いと思ったのは、彼の観察眼と洞察力。王女である自分が尊敬すらした。そしてその才能を悪用したりせず、ミルナ達の為だけに使っているのはさらに驚いた。彼女達の為なら悪用もしているみたいだけど、自分の欲望の為には一切使っていなかった。
そこから段々と彼に惹かれていった。最初は「お気に入り」くらいだったけど、自分の為に何の躊躇いもなく人を殺してくれた時、もう自分にはこの人しかいないと思った。そこからはもう自分の負け。惚れたら負けと聞くけど本当だった。他の子達がいるのにはもの凄く嫉妬したけど、しょうがない事だとすぐに諦めた。彼女達が彼の事を好きにならないわけがない。いつも必死に自分達の為に頑張ってくれている彼の事を。
「逃がしませんよ、アキさん。ずっと私のものです。いえ、私は貴方のものです。」
そんな事を考えつつ、早く屋敷につかないかなと呟くベル。だが何故か急に馬車が停車する。
「何をしてるのですか。早く出しなさい。」
ベルは御者に命令する。いけないとはわかりつつも不機嫌になってしまった。でも早く帰りたいんだから仕方ない。早くアキに甘えてたい。構ってもらいたい。だから不機嫌になるのは当然なんだと自分自身に言い訳をする。
しかし馬車は一向に出発しない。ベルがどうしたものかと首を傾げていると、御者が窓から「人が倒れているので止まりました」と告げてきた。
はぁ……とベルは溜息を吐く。
「そうですか。では必要なことをしなさい。」
さすがに倒れている人を放っておくのは王女として看過出来ない。御者に対応するよう命令する。
ふとどんな人か気になり、ベルはそっと馬車の窓から覗いてみた。普段なら絶対しない行動だ。ただ今日は、何故か見なければいけないという不思議な使命感を感じた。だが見て正解だったのかもしれない。この時見なければ一生後悔する事になっただろう。何故なら馬車の外に見えたのは……・。
「え……?ア、アキさん!?あの服……絶対そう……!そうよ!」
ベルは我を忘れて馬車から飛び出す。御者の制止を振り切ってアキの元へと駆け寄る。アキの腹部から大量の血が出ているのを見て泣き叫びそうになるが、唇を噛んで必死に堪える。
「アキさん!どうしたの!アキさん!ねえ!アキさんってば!」
彼を抱き上げる。彼の血で純白のドレスがどんどん赤く染まっていく。今日はいつもの青いドレスじゃなくて白いドレスを着てみた。アキに「可愛い」って褒めて欲しくて着てみた。でもお披露目する前に汚れちゃった。まだアキに褒めてもらってないのに汚しちゃった……。
「何考えてるの私!そんなのどうでもいいじゃない!アキさん!アキさん!」
自分自身でも混乱しているのがわかる。とりあえずベルは必死に呼びかけるが返事はない。まさか死んで……と最悪の想像が頭を過るがすぐに振り払う。
「そ、そうよ、治癒!治癒魔法を……!」
ただベルも御者も治癒魔法は使えない。しかも今日は護衛をつけていない。
基本的にこの世界では街中であまり護衛をつける習慣がない。王家が作り上げた例の魔獣制度があるからだ。アキはそれでも「つけた方がいいんじゃないか?」と言ってくれた。王族襲撃事件があったから尚更だろう。だが他国で護衛を付けていたら「お前の国は物騒だから」という意味に取られて国際問題に発展しかねない。アイリスが護衛をつけて出歩いてない以上、ベルがつけるわけにもいかない。
何より他国の王族が護衛をぞろぞろ従えていたら、この国の民からはいい印象は抱かれない。勿論アイリスがベルに護衛をつけるように言ったのなら話は別で、先日までは王族襲撃の事もあり、アイリスがそう言ってくれていた。他国の王族が滞在中に何かあっては国の威信にかかわるからだろう。だが昨日になって「もう大丈夫でしょう」とアイリスと相談し、護衛はつけないことにしたのだ。いつまでも護衛を連れていると民に不信感を抱かせるから王家としては当然の判断だろう。ベルもそれに同意したし、文句はなかった。
「誰か!どうすればいいの!?嫌よ……!アキさん……死なないでよ……!」
いつもは冷静を心掛けているベルだがさすがに無理だ。こんなアキを見て冷静でいられるわけがない。ベルはアキを強く強く抱きしめる。そして目からは勝手に涙が溢れ出てくる。
泣いてるだけでは駄目なのはわかっている。でもどうしていいのかわからない。だから泣くしか出来ない。アキに死なれたらベルは駄目になる。もう自分には彼がいないと駄目。彼がいてくれるなら地位も権力もお金もいらない。だから死なないで。
「貴方は私の光なの。」
小さく呟く。そして彼を助けてと必死に祈る。
「アイリーンベル王女殿下、屋敷に連れて帰ればミルナミア様がいらっしゃいます。」
御者がおそるおそる声をかけてくる。
その言葉で気づく。そうだ、屋敷に戻ればミルナがいる。彼女なら治癒魔法を使える。まだ屋敷までは暫くかかるが、とりあえず向かうしかない。
「大至急向かいます!急いで彼を運ぶのを手伝いなさい!」
流石にベル1人ではアキを運べない。御者に手伝うよう指示を出す。
だが次の瞬間、背後から声が聞こえた。
「私がなんとかしましょう。」
振り返ると、そこには魔法学校の学園長であるエリザが立っていた。
「エリザ学園長……?」
「説明は後です。魔法学校学園長の私では彼の治癒役は不服ですか?」
エリザが「いいから早くアキを見せなさい」と鋭い目付きで威圧してくる。もちろんベルに文句などない。むしろミルナ以上の人材だ。
「お願いします。」
エリザにアキをお願いする。
彼女は「わかりました」とアキをそっと抱き上げ、颯爽と馬車に乗り込む。ベルも慌てて後に続いて馬車に乗り、御者に馬車を出すように命令する。
「アキさんは大丈夫なんですか!」
ベルが我慢できずに叫ぶ。アキを抱きしめながら全力で治癒魔法を発動させているエリザの様子を眺めていたが、彼の容態が気になって仕方なかった。
「多分……。死ぬことはないはずです。ですが血を流し過ぎているようです。」
「そんな……!」
ベルの目にさらに涙が溢れてくる。やだやだやだ。
「ひくっ……しなないで……アキさん……ぐすっ……。」
見てる事しか出来ない自分が悔しい。なんでベルは魔法を使えないんだろう。冒険者になっておけばよかった。そしたら今のアキを助けられたかもしれないのに。勿論王女であるベルがそんな事出来る訳ないのだが、それでもそう思わずにはいられなかった。
「んか……。……じょ殿下。……アイリーンベル王女殿下。」
どれくらい泣いていたのだろう。わからない。ただエリザに呼ばれているのに直ぐに気づかないくらいには泣きじゃくっていたようだ。
ベルは涙を乱暴に手で拭う。
「は、はい!」
「もう大丈夫です。死ぬことはありません。幸いにも致命傷ではありませんでしたので。意識が戻るまではもう少しかかるでしょう。私はこのまま治癒を続けますので早くお屋敷へ。」
「ほ、ほんとですか……!よかった、よかった……。」
御者にさらに飛ばすように指示を出すベル。これでもう数分で到着するはずだ。本当によかった。アキが死ななくてよかった。
安心したからか、拭ったはずの涙がまた目から溢れてくる。
「アキさんのばか……ばか……!」
王女である自分をこんなに心配させるなんて許せない。泣かせるなんて許せない。元気になったらいっぱい「お話」しなきゃ。でも……いい。許してあげる。これからもアキと一緒にいられるのだから。アキに甘やかして貰えるのだから。彼が側にいてくれるならそれでいい。
「アキ君、女の子を泣かせるなんて最低よ?」
エリザがそう呟くのが聞こえた。ベルは顔を上げ、エリザを見る。彼女はアキを大切そうに抱きしめながら治癒を続けてくれていた。
「あ……。」
その姿を見てベルは気付いた。エリザが愛おしそうな目でアキを見つめている事に。なんだ、この人も自分と一緒なんだ。きっとこの人もアキの事が大好きなんだ。それなら安心、アキを任せても大丈夫。
「でも……すぐ女の人落としてくるんだから……もう……。」
また「お話」増えちゃった。ベルはくすりと微笑む。アキが死なないと分かって笑う余裕も出てきた。やっと少し冷静になったんだと自分でもわかる。
あれ……。でも落ち着いて考えるとなにかがおかしい。そう言えばなんでエリザはあそこに居たんだろう。冷静になった今、色んな疑問がベルの頭に浮かんでくる。
「あの、エリザさん……?何故あそこにいたんですか?」
「はい。近くを通りかかったら悲鳴が聞こえたので何事かと思って。そしたら王女殿下が血まみれのアキ君を抱えていたので驚きました。一体何があったんですか?」
質問で返されてしまった。どうやらエリザは学園の帰りに通りかかっただけらしい。だがベルもその質問の答えは持っていない。
「わかりません。私も偶然通りがかっただけです。……でも本当によかった。ありがとうございます。」
もう理由はなんだっていいや。アキが無事なんだから。早く屋敷へ戻って彼を休ませてあげなきゃ。いけない、安心したらまた涙が出てきた。
目に涙を溜めながら安堵の表情を浮かべているベルをエリザは横目で眺めていた。
「まったくアキ君は……おねーさんは怒ってるのよ?」
エリザは強く優しくアキを抱きしめる。そして耳元で囁く。誰にも聞こえないように小さく囁く。
「無理して……ばか。」
王女様には自分が冷静を保っているように見えたようだけど、あれは嘘。傷ついた彼の姿を見たときは本当は泣きそうだった。必死に感情を殺してただけ。
でも死んでなくてよかった。間に合ってよかった。
「今日だけは貴方のペットよ。だからこれは特別サービス。アキ君、ありがたく思いなさい?」
エリザは彼が大好きな自分の尻尾をそっと握らせてやる。
アキ達が滞在している屋敷に戻ると、それはもう大騒ぎだった。
「なにがあったんのですの!?アキさんが死ぬなら私も一緒に死にますわ!」
「もし死んだらあの世で化けて出ますよ!だから死んじゃダメですー!」
「なにがあったのよ!死んだら殺してやる!絶対殺すわ!だから死んじゃダメよ!」
「アキ!なんで!?僕の尻尾触る?死んだらもう触れないよ?ねえねえ!」
エリザの腕の中で眠っているアキを見て、4人の美少女が泣きながら支離滅裂な事を叫んでいる。本人たちも何を言っているのかわかっていなさそうだ。アキから聞いていた「うちの子達」とは多分この子達のことだろう。すぐに感情的になる我儘で泣き虫な美少女4人組とか言っていたから間違いなさそうだ。エリザはこの子達の事はアキから腐る程聞かされていたけど、こうして会うのは今日が初めて。さすがにこんな衝撃的な出会いになるとは思わなかったけど。
「アキさん!まだ皆の今日の色を報告してないですよ!起きてください!起きてよ!死なないでください!私を1人にしないで!もっとお仕えさせてください!」
「アキさん?ほら、アキさんの大好きな兎耳ですよ……?な、なんで触ってくれてないんですか……!耳さわってよおおお!早く撫でてってばあああああ!」
確かアリアとセシルと言ったからしら。彼女達を前見たときはそれはもう立派で冷静な従者という感じだったけど、その面影は全くない。この子達も見っともないくらいに取り乱して泣いている。
そしてもう1人、金髪碧眼のアホの剣士がいるとアキは言っていた。どの子だろう……。
「っしえじゃじゃなーだー!」
ああ、間違いなくこの子だとエリザは呆れる。よくわらない言葉を叫んでいる涙と鼻水まみれの金髪碧眼美少女。いや、美少女だったもの。多分「死んじゃダメなのだ」とか言っているのだろう。
屋敷に来ていたエアルとミリーも泣きそうになっている。この子達がいるのはびっくりしたけど、確かアキが訓練に参加して貰ってると言っていた。
しかし……エリザには不満がある。尻尾も不機嫌に揺れている。
「……女の子ばかりじゃない。それも美少女ばっかり。」
エリザは誰にも聞こえないように呟き、抱きかかえているアキを軽く睨む。ほんと彼には呆れる。全員に慕われているようだしなんなのよ。まあ……彼を慕う彼女達の気持ちはなんとなくわかるけど。この子達の為にあんなことするくらいだもの。慕われて当然よね。
とりあえずそろそろこの美少女達を安心させてあげよう。エリザは彼女達にアキは大丈夫だと伝える。
「皆さん、安心してください。気を失ってるだけで命に別状はありません。もうすぐ目を覚ましますよ。私が保障します。」
さすがに今、この街にエリザを超える魔法の使い手はいない。いるとしたら自分の腕の中の彼だけ。ここにいる子達もそれはちゃんとわかっているのだろう。全員が鼻を啜りながら、エリザの言葉に安堵したように頷いている。
「あの……なにがあったんですの?」
少し冷静さを取り戻したミルナが尋ねてくる。
「私が見つけた時、アキさんは既に倒れていたので何があったかわかりません。」
エリザが何かを言う前に、ベルが答えてくれた。第一発見者である彼女が説明してくれるのであれば好都合だ。エリザが話すわけにはいかない。自分は偶々あそこを通りかかっただけなのだから。
アキを発見してから屋敷に到着するまでの一部始終をベルが彼女達に説明している。彼女の純白のドレスは真っ赤なままだ。それがアキの傷の深さを物語っている。
「私が泣いていたらエリザ学園長が通りがかって助けてくださいました。」
ベルがエリザに話を振る。アキを抱きかかえ、ずっと治癒魔法をかけている自分に視線が集まる。ただここでエリザが計画を台無しにするわけにもいかないので、強引に話題を変える。
「もう目を覚ますわ。」
エリザがそう言うと皆の顔がぱぁっと明るくなる。話題転換は上手くいったようだ。多分この子達はアキが怪我をした理由なんか今はどうでもいいのあろう。とりあえず彼が無事ならそれでいい。
本当に慕われてるのねとエリザは小さく笑う。
ただ「聞きたいことや言いたいことがいっぱいある、起きたら覚悟しなさい」と言う表情を全員がしている。まあ当然だろう。自分だって沢山言ってやりたい事があるのだから。エリザは「しらないわよ?アキ君きっとこの後大変ね。私も文句があるから覚悟しておきなさい?」と意地の悪い笑みを浮かべつつもアキをギュッと抱きしめる。




