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十三、黒衣の君と闇の君

 ふっと瞼を開いたら、そこは暗い世界だった。

 じんわりと暖かい感触が、目を中心に広がる。温めた布を久米が置いてくれているのだろう。こういう気配りをしてくれるのは、いつだって久米だ。

 布を取って身を起こそうとすると、やはり「若……!」と久米の安堵した声が聞こえた。

 誰かの手が(おそらく久米なんだろう)、そっと布を抑えながら、目を覚ましたと思しきイワレヒコを手伝った。イワレヒコはその手の好意に甘え、上半身を起こす。空いている右手に、眼鏡がそっと手渡される。その眼鏡をつけ、イワレヒコはそこでようやく瞼を開いた。

 そこは篠の屋敷の一室だった。確か、自分がナガスネヒコの闇に呑まれてしまった時も、ここで気がついた。傍らには久米と道臣が控えている。ヤタや白磁は篠のところにいるんだろうか。ニギハヤヒはこの村にいるのかさえわからない。


「若様! 気がついたんですね!」

 ぱっ、と道臣の元気な声が降ってきた。もっと間近で確かめようと身を乗り出す。

「道臣……」

「おいミチ、若は病み上がりなのだぞ。少し落ち着け」

「いいよ、久米。体のどこかが悪いわけではないから。それより道臣、怪我は?」

「大丈夫です。だって俺強いっすから! それに久米ちゃんのあっつうぅぅぅい手当てしてもらっちゃいましたからー」

 照れ隠しもせず素直に道臣がそういう。あつーい手当てをした本人は少し顔を赤らめて羞恥に耐えている。

「……ああ、ヤタの怪我は治ってる?」

「はい。もともとそれほど深手を負ったわけでもありませんでしたから。大量の幽霊が村に出没した時、俺たちと一緒に撃退するほど元気でした」

「そう……」

 イワレヒコは部下の安全が確認できて、ひとまず安堵した。そしておそるおそる聞いた。一番気になっていた問題を。

「久米……いや、知ってる者ならだれでもいい。ナガスネヒコは?」

 一瞬、場の空気が凍りついた。眼鏡越しに久米をうかがう。いっそ裸眼でその心を見透かしてやろうか。ひょっとしたら、自分はナガスネヒコを助けることができなかったのだろうか。結局自分はナガスネヒコと分かり合えないまま、彼を斬り捨ててしまったんだろうか。

「久米、ナガスネヒコは?」

 ふうっ、と息をついて、久米は答えた。

「生きていますよ。今は隣の部屋で寝かせています」

 その言葉を聞いて、イワレヒコは心底ほっとした。


 少しだけおぼろげな記憶を引っ掻き回してみる。目を覚ましてすぐのせいか、まだ頭が働かない。


 あの時、自分は確かにナガスネヒコを斬った。厳密に言えば、ナガスネヒコにとりつく迷いや渦巻く悲しみを断ち切ったのだ。そうすることで、狂気をまとったナガスネヒコを救い出すことができるからだ。

 ただその為には、フツミタマを使う自分の心に少しの迷いも生まれてはいけなかった。一度腹をくくってしまえば簡単なことだと思ったが、自分が考えていたよりも体力を使うものだった。ナガスネヒコを斬ったあと、自分はそのままばったり倒れてしまった。

 久米に、自分が倒れてからのことを聞いてみると、簡潔に教えてくれた。村に蔓延った幽霊を追い払っていると、ある時突然、幽霊がすべて消えたという。奇妙に思った久米は、村の警備をヤタに任せて、イワレヒコが向かった樹の場所まで向かった。

 そこに、イワレヒコとナガスネヒコが倒れていたのだと、教えてくれた。


 久米の話には続きがあった。

「樹から、行方不明になった村の者たちが現れたんです。樹からにゅっと出てくるように。村人たちに確認をとったら、行方不明になった者たち全員帰ってきたとか。……また、地下牢獄に隔離していた村人たちの精神も元に戻ったという報告もきています」

「……そうか」

「現在、樹に吸われた村人たちや、幽霊に憑依された村人たちの身体検査をしております。また蔓延った幽霊の現状を再確認している最中です。いつの間にか、あんなに大量に発生していた幽霊たちはあとかたもなく消えていました。どこかに潜んで機をうかがっている可能性もありますので、こちらも確認が終わり次第、改めて報告します」

「ありがとう、久米」

「いえ、大したことでは。若はひとまずお休みください」

「いや、まだだめだ。今回の怪奇について、私は依頼人の篠にすべてを話す義務がある。休むのはそれからだ」

 イワレヒコは立ち上がる。傍らに畳まれていた上着を羽織る様子を、心配そうに久米が見守っていた。

「若、今回の幽霊騒動……原因はナガスネヒコだったのでは?」

「それで問題ないけど、それだけじゃ足りない。空いている部屋はあるかな。篠と、村の重役たちに伝えなければならない」

「ただちに呼んできます」

 すっと立ち上がった久米に、イワレヒコはもう一つくわえた。

「ああ、久米。それから、ニギハヤヒとナガスネヒコも連れて来てくれるかな?」


 会合によく使うのだと言われる一室に、イワレヒコは篠に案内してもらった。

 大きな円卓を囲むように、今回の関係者がそろっていた。

 見慣れぬ男たちはおそらく村の重役だ。その顔は不安に落ち込んでいる。隣に控えている篠は、不安こそなかったが戸惑いがうかがえた。

 怪訝そうな表情でこちらを睨むニギハヤヒの背中に、ナガスネヒコが隠れていた。そこからちらっと、イワレヒコを睨むようなまなざしが現れた。

 暖気が部屋中に満ちて、肌が優しく包まれる。部屋の四隅に灯された明かりが、全体を照らしている。

「……今回受けた怪奇の件、原因が解明し、解決の兆しが見えましたので、それらすべてをご説明いたします」

 イワレヒコは、席についてそう告げた。



 「依頼をしてきた篠の話では、村の名物である樹が、春に咲くはずの花をすでに咲かせていたということと、もうひとつは村に現れた幽霊のこと。この二つは別々の怪奇に見えて、実はつながっていました。その二点を繋いでいたものは、ナガスネヒコだった」

 名を出されたナガスネヒコは、ニギハヤヒの着物の裾を掴んで警戒する。


「彼の状態を少しでも見た者ならすでにお気づきかと思われますが、ナガスネヒコは生きています。死人ではありません」

「死人が蘇ったというわけじゃないんですか?」

 篠がたずねる。

「そう。そこから説明しようか。……私はかつて、兄や大勢の部下を犠牲にしてナガスネヒコと戦いました。幸運にも、高天原から遣わされた金鵄(きんし)の手助けもあって、どうにか戦いはこちら側の勝利で終わりました。ですがナガスネヒコは最後まで抵抗した。ナガスネヒコの軍勢や、ナガスネヒコ側であるニギハヤヒがこちらへ下ってくれる中、彼は私に抗い続けた。そして彼は、ニギハヤヒに斬られた――ということはおそらく皆様ご存知かと思われます」

「……」

 ニギハヤヒが険しい表情で視線を落としていた。イワレヒコは無視して続ける。

「ここでナガスネヒコは死んだと思われていました。実際、私も今回のことが起きるまではずっとそう思っていました。ナガスネヒコが現れた時、これは幽霊か何かにより死体が動かされているのだと思い込んでいたんです。しかし実際は違った。私は最初から認識を大きく誤ったのです」

 イワレヒコは一息置く。一室の注目がすべてこちらへ向けられる。


「ナガスネヒコは、最初から生きていたんです。一度も死んでいなかった」


 身に覚えのあるナガスネヒコとニギハヤヒは、どよめきが広がる中でずっと押し黙っていた。


「若……死んでいなかったって」

 重たい空気に包まれた雰囲気の中、久米が勇敢にもいっときの沈黙を破った。

「言葉の通りだ、久米。きみもその場にいただろう。あの時、ニギハヤヒはナガスネヒコを殺していなかったのさ。斬ったフリをして、闇――実際は闇に見せかけた別の術の中へ落とし込んだというわけだ」

「術とは?」

「あらかじめニギハヤヒがしかけておいた術だよ。私達にも気づかれないよう、こっそりしかけた特別の、ね? その術は結界のような役割をしていて、ナガスネヒコを外敵から守るための護符だ。私達は死んだナガスネヒコが闇に呑まれて消えたと見せかけられていた。だけどナガスネヒコは結界の中に守られ生き延びていたというのが真実だ。合っていますか、ニギハヤヒ?」

 聞かれたニギハヤヒは無言でうなずいた。

 ニギハヤヒが今回の怪奇でナガスネヒコが絡んでいると知った時に、必要以上な動揺を見せたのは、このことが原因だった。ナガスネヒコが黒幕であるという点に気づいたイワレヒコに、生きていたナガスネヒコを今度こそ殺されると危惧したから、秘密をずっと内に閉じ込めていたし、イワレヒコがナガスネヒコへの殺意を明確にした際、あれほど強い怒りを見せたのだ。


「でも……イワレヒコ様はどうしてそんな細かいことまでわかったんですか?」

「簡単だよ、篠。私の目はね、人の心を映すんだ。その人の積んできた経験や記憶も、ときとして教えてくれる。先ほどナガスネヒコと戦ったとき、それが私には視えた。あの時の戦いが鮮明に映し出された。ニギハヤヒは斬っていなかったよ」

「……ち、なぁんでそこまで視るかな」

 そこでようやく、ナガスネヒコが口を開いた。

「しかしイワレヒコ様……。そのナガスネヒコ殿と、樹と幽霊の件、どう関係しているので?」

 重役の一人が聞いて来た。

「それを説明しましょう。……結界に守られたナガスネヒコは、その中で本当の闇に呑まれたんです。大きな闇に呑まれ、そして長い時間をかけて、ここまで流されてきた。闇は地下へナガスネヒコを隠し、地下でゆっくりと、誰にも気づかれずにたどり着いた場所が、あの樹の下だった」

「樹の場所で闇の流れは止まったのですか」

「そう。その闇は穢れに属するものだった。穢れの本能が、村の樹に反応したのです。あの樹はもともと村の守り神だった。穢れたる闇も本来なら樹が浄化するはずだった。でも穢れが樹よりも賢かったんです。穢れは樹に取り込まれることで、樹の役目を一変させた。悪しきを吸い取り浄化するという樹の力を、人間達を吸って養分にするという人喰いの力に変えた。そうすることで、村の者たちは吸い寄せられ、樹の一部に取り込まれていたんです。幽霊はその副産物でしょう。樹が守り神から人喰いに変わった時、樹の持つ能力として、幽霊を使役する力が追加された」

「それで、闇に連れてこられたナガスネヒコはどうしてこちらへ出てきたんです、若?」

「ナガスネヒコも闇に侵食されていたからだよ、久米。ナガスネヒコは結界に守られていたけど、その結界も長くはもたなかった。こちらへ流されていくうちに、結界にひびが入り、侵食を許してしまったんだ。その侵食によりナガスネヒコは樹に操られることになってしまった。そして、樹を呑んでいた穢れの根本が、ナガスネヒコへと取り憑いたというわけです」

 イワレヒコは一旦言葉を切る。

「篠の依頼がもっと遅れていたら、村も樹も最悪の事態になっていたかもしれません。しかし今回、行方不明になった村人たちが戻ってきて、幽霊たちがいなくなったという状態まで戻すことができたのには理由があります。……あ、久米。幽霊は隠れていたかい?」

「いえ、跡形もなく消えています。もう脅威はないと思っていいでしょう」

「そう、ありがとう。……さて、今回間に合ったのは、ナガスネヒコとニギハヤヒのおかげといえるでしょう」

「……なんでさ?」

 ナガスネヒコが怪訝そうに聞いた。

「君が生きていてくれたからどうにか保ったのさ。もし君が死んだ状態でここにたどり着いていたら、完全に穢れに呑まれて手遅れになっていた。死というものは穢れだ、生きているという状態が、君の正常さをわずかに残していてくれた。だから私がフツミタマで斬っても君自身は死ななかった。斬れたのは、君に取り憑いていた穢れだけだったんだ」

「だからあの時、僕は痛みを感じなかったのかな」

「痛くなかったんだ? それはありがたいな。……そしてね、おおもとを辿れば、ニギハヤヒがキミを生かしてくれたのが、大きな勝算になったというわけだよ。ですからニギハヤヒ、そう睨まないでください。感謝しておりますから」

「睨んでねー……」

「はは、眼光の鋭さは地なんですかね。そういうわけで、穢れの核はナガスネヒコに宿っていて、それを私が斬った。穢れは根本を断てば形をたもてず消滅します。だから幽霊も消えたんでしょう」

 イワレヒコはふうっと息を吐いた。


「……以上が、今回の怪奇の全貌です」



 その後、重役たちと篠から惜しみない礼を頂いたイワレヒコは、一旦借りていた寝室に戻った。そこに待機していた道臣とヤタガラス二羽に、これから帰るから支度するよう伝えておいた。

 傍らには久米が当たり前のようにいる。何かしでかすかと疑われているんだろうか。それともまた倒れやしないかと心配なんだろうか。

「若」

「うん?」

 久米に呼ばれて彼を見上げる。久米が視線で示した先に、ニギハヤヒが立っていた。その背中に隠れるように、やっぱりナガスネヒコがいる。

「俺はミチたちの様子を見てきますので、これで」

 この一室から、久米は去ってくれた。


「若様、その」

「何でしょうか、ニギハヤヒ?」

 気まずそうな表情で、ニギハヤヒはもごもごと何かを言いたげにする。眼鏡を外さずとも、イワレヒコにはニギハヤヒの心が何となく分かっていた。

「ニギハヤヒ、あの時は軽率な言動、申し訳ありませんでした」

 イワレヒコはすっと頭を下げる。下げられた相手は、「あ、こら! 別に、そんな、もういーって!」とあわあわしていた。

「っつーか……俺の方こそ大人げない行動して、悪かった……。ぶん投げちまって……」

「投げたんだ?」

「そうだよ投げたの」

 ナガスネヒコがそのあたりの事情に興味をそそられたらしい。

「いえ、もとはといえば、何も知らずに言ってしまった私の自業自得です。お気になさらず」

「……あんたにゃ、ずっと頭が上がらんな」

「それは光栄です。あ、そうだ。ナガスネヒコの今後のことですが」

 ナガスネヒコがイワレヒコを睨んだ。まだ警戒はとけていないらしい。ニギハヤヒを奪った男が目の前にいて、口を聞いているのだから、ナガスネヒコにしてみればいい気分ではないのだろう。

「なんだよ。また殺すの?」

「しないよ。殺したら私がニギハヤヒに殺されかねない。何より、殺す理由もないしね」

「イツセを殺した憎い相手なのに? ひよった?」

「その憎悪ももう消えちゃったんだよ。斬るより、ぜひともお近づきになりたいくらいだ」

「気持ち悪いこと言わないでくんない」

「はは……君って存外手厳しいね……」

 そう言うと、イワレヒコは右手袋をすっと外す。素肌をあらわにした右手を、ナガスネヒコの前に差し伸べた。ナガスネヒコは差し出された手を、怪訝そうにうかがった。


「君と友達になりたい。だめかな、ナガスネヒコ?」

 微笑むイワレヒコのその言葉に、野心も下心もない。純粋な言葉の通りの意思が、そこにある。

「だめ?」

「……だめ、じゃないけど。何かやだ」

「じゃあ仕事仲間からはじめようか」

「んー。まっ、それでいいや」

 ナガスネヒコはイワレヒコの手を一度ぺしっと叩き、そしてその手を取った。

「ふんっ。感謝しろよ? ……あ」

 ナガスネヒコが、ふっと感嘆の声を漏らした。その視線の先は空だった。ニギハヤヒもイワレヒコもナガスネヒコにならう。


「雪、やんだみたい」

 ナガスネヒコが呟く。

「こちらに来てから、ずっと雪続きだったからね」

「明日は晴れるかねえ」

「高天原の神々の、きまぐれ次第でしょうね」

「ちげーねえ」

 イワレヒコは、雪のやんだ空を見上げる。


 真っ白続きだった空がほんのり青く染まる。太陽が雲の隙間から光を放って、じんわりと暖気を感じて取れた。

 ああ、もうすぐ春が来るのかと、イワレヒコは眺めていた。

 でもその物思いもすぐにやめた。すべてが終わったのなら、これ以上篠の屋敷に厄介になっている必要はない。

「帰ろうか。住居とかもろもろが決まるまで、うちにしばらくいるといい、ナガスネヒコ」

「そ。でも屋敷のみんなは嫌がんない?」

「私のひと声で何とかなるよ、ある程度は」

「何とかならなかったぶんはどーなんのさ?」

「そん時ぁ、俺が少し説教してやるだけさ」

 ニギハヤヒがかかかと笑う。

「んじゃ、厄介になってやるよ」

「うん、ようこそナガスネヒコ。…………あ」

 イワレヒコが、何かを思い出したように間抜けた声を出す。

「何、まだなんかあんの?」

「いや、ね」

 イワレヒコは苦笑して答えた。


「全部終わったら、久米のお仕置きが待ってるんだよ。どうにか逃れるために、少し助けてくれないか、ナガスネヒコ?」

日本神話シリーズの連載二作目、ようやく完結しました!また連載を無事に完結できてほっとしております。長らくおつきあい頂き、ありがとうございます!次は何書こうか……。

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