限度って知ってるか
真っ暗い穴に落ちる瞬間、カノンはクラウを見上げるとにこやかに手を振っていた。
おい、魔王の扱いがこれか。
覚えてろとカノンが叫ぶ前に、地面に落ちる感覚から空高く飛び上がって、横に吹き飛ばされた挙句また下に落ちて上に……方向感覚が狂うようにぐるぐるとされて全員が悲鳴を上げた。
と、そこでカノンは誰かに抱きしめられる。
一筋の光に一瞬照らされた頬に触れた金色の髪。そのことからレオンだと気付いて、カノンは自分の顔が熱くなるのを感じた。
けれど、そちらに気を取られている訳にもいかない。
そんな間さえも、そこに何が潜んでいるのかをカノンは見極めるのはおこたらない。
魔力の蓄積、魔道具の気配、魔族の空気……その全てを読み込んで、カノンは思った。
風の王の城と同じ。
もしも魔王であるカノンに牙を向けないのならば、あれは一体なんだ?。
「自分を守るために誰かを傷つけられないのなら、貴方は魔王城に篭って、ただ我々に守られて、囲われていれば良い」
馬鹿にしている。
カノンはそんなに弱くない。
まかりなりにも彼らの上に立つ魔王であるカノンがどれほど強いものなのか。
カノンはカノンの父とは違うのに。
ちょっと手加減しただけで思い上がりも甚だしい。
そう、カノンは強いのだから。今までだってずっと、一人で色々やってきたし。
だからこの胸によぎる不安など、気のせいに過ぎない。
そこで外に出された。
新円に近い月が空に昇っている。明日には満月になってしまうかもしれない。
そう思った瞬間、カノンは自分の血がどくんとざわめくのを感じた。
そして普段意識をしないのに、庇うようにカノンを抱きしめていたレオンから甘く、とても美味しそうな香りがすることに気付く。
美味しそう。
無意識のうちに、カノンはレオンの首に手を回して首筋を軽くキスをする。
それを、見ていたレオン以外の全員が固まった。
カノンはとろんとした、恍惚とした表情で、レオンが自分のものだと言うかのようにレオンの首筋に少しだけ歯を立てる。
その刺激にレオンはびくっと体を震わせて、カノンを自分から引き剥がした。
「……悪ふざけが過ぎる」
顔をカノンから背けて、何かを必死で我慢しているように手を震わせている。
そこでカノンははっと正気に戻った。
「あれ、レオン、何で僕は退けられているの?」
きょとんとした幼げな表情でレオンを見ている。
違う意味で、レオンの理性が切れた。
「……もう最後までやっても良いんじゃないかって、最近切実に思う」
「え?」
「ご馳走が目の前にあるのにお預けとか、凄く酷い事だと思うんだ」
「え? レオン、ちょ……何で僕を押し倒して……」
「服だってこんな、着てるんだか着てないんだか分からない服だし」
「いや!これはイオに無理矢理着せられて……」
「どっちでも良い。全部、カノンが悪いんだ。こんな……誘惑して」
「一体いつ何処で誰が誘惑なんて……ちょ、お腹とか触らないで! くすぐったい……」
「はい、レオン様そこまでです。“幼馴染”なんでしょう?」
「……ホーリィロウ、楽しそうだな」
「レオン様、カノン君も嫌がっていますし、それを無理矢理やるのですか?」
楽しそうなホーリィロウに苛立つよりも先に、顔を赤らめて嫌がって、でもレオンの与えた刺激に反応するカノンがまず頭に浮かんだ。
「……もうそれでいいや」
「駄目です。駄目ですから、レオン様。ほら、カノン君もいつまでもそんな格好をしていないで服を着て」
まさかそこまでレオンが追い詰められているとは知らず、ホーリィロウは焦る。そしてホーリィロウはカノンに服を着るよう促し、それにカノンはぶんぶんと首を大きく縦に振った。
「う、うん、分かった」
いそいそと服を取り出して着るカノン。
そんなカノンとホーリィロウを恨めしそうにレオンは交互に見やり、ため息を付いた。
「ただでさえ疲れているのに、理性を失わせるようなことをしないでくれ、カノン」
「だって“幼馴染”だし。何で理性が飛びそうになるんだ」
「……もう何も考えたくない」
レオンが地面にふてくされたように転がった。
「……やっぱりカードを選ぶ時、妙に大きい魔力を感じたけれど、レオン、何をしたの? それが原因で疲れているんでしょう?」
「……カノンには答えたくない。でもキスしてくれたら考えて……」
ふふんと調子に乗ったようにレオンが言うと、カノンの顔がレオンに近づいてきて、唇に触れた。
「言え」
にっとカノンに悪戯っぽく笑われながら命令される。
それがレオンには悔しく感じられたが、約束は約束だ。
「……人の力を借りる技だ。ほら、この前、カノンに交換させられたやつ」
「あ、あれかぁ。でも、どんな力を借りたの?」
「予知能力」
それを聞いた瞬間、特にホーリィロウの表情が凍りついた。
それにカノンは気付く事も無く、続ける。
「人の王族に借りたの?」
「……その血統ではあるらしい。詳しい事は俺にも良く分からな……ホーリィロウ?」
「レオン様、ちょっとお話が」
「後にしてくれ、今は詳しく話す気力が無い」
「……分かりました」
大人しく引き下がるホーリィロウ。
レオンがちらりとカノンを見やって意味が分かったのだろう。
けれど、当初の目的、イオの奪還は果たせた事になる。
とりあえず全員が疲れている。今は疲労を回復させるのが先決だった。
「よし、町に戻って寝るぞ!」
そうレオンが叫んで、駆け出っす。それを見てカノンは、
「……全然元気じゃないか」
心配して損したと小さく呟いたカノン。それを聞いていたホーリィロウは別な意味で、少し心配になったのだった。
「ああ、カノンカース様に会った。ついでに押し倒そうとして蹴られた」
クラウがそう言うと、全員からブーイングが。
「別にそれだけなんだから良いだろう? やましい事は何も出来なかったし」
それでもブーイングは止まない。
「仕方が無いだろ? あんな可愛くて魅力的な生き物、初めてだったんだから」
それは仕方ないと、リンツが同意して、他の二人のブーイングが収まる。
そこでふとクラウが呟いた。
「……勇者の真似事をしているあいつ、レオンか? あいつに、『敵と手を組むのか?』と言われたが?」
それにリンツが笑って、あいつに予知能力は無い、推定で言っているだけだ、だからどんな話で我々が動いているのかなんてまったく分からないさ、と言う。けれど、
「やけにカノンカース様が気に入っているようだった。やはり早めに始末しておくか」
けれどそれが出来ない事はクラウも含めて全員が分かっていた。
全てには理由がある。そして。
「どの道、あいつはカノンカース様の寵愛すら受ける事もできない存在。だから、今だけは見逃してやるか」
珍しいクラウのその物言いに、天変地異の前触れかと騒ぐ三人。
「……私だって、カノンカース様に笑顔でいてほしい。もっと欲を言えば我々の手で」
そのために私達が動いているのだと諭されて、クラウは頷く。
そこで、奇妙な話が舞い込む。
「魔王様そっくりの異邦人?」
そんな馬鹿なと思うものそれはそれで美味しい。
見つけ次第捕まえようと、お互い約束しつつ、どうやって出し抜こうかと腹の中では考える。
そもそも魔王様でないならば、どう扱おうがかまわないだろう。
満月の近い魔族達は、自然と高ぶるその感情を覚えて、にやりと酷薄な笑みを浮かべたのだった。
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