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  作者: ロッドユール
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 私は突然穴に落ちた。

「・・・」

 私は仰向けに倒れていた。

「・・・」

 丸い穴の入口から空が見える。

「・・・」

 私はその空を見つめていた。澄んだように青く、とてもきれいな色をしていた。その下を薄い雲が流れてゆく。

「・・・」

 こんな風に、空を見つめるなんていつ以来だろう。こんな状況の中で、私は呑気にそんなことを考えていた・・。


「・・・」

 落ちた時の記憶がなかった。どうやって私はこの穴に落ちただろうか・・。ほんのちょっと前のことなのに、まったく思い出すことができなかった。頭を打ったのだろうか。しかし、頭にまったく痛みはなかった。打った感覚もなかった。というか、体中どこも痛くなかった。下は土ではあったが、それなりの深さはあった。そこに背中から落ちたのだ。

「・・・」

 いつものように私は散歩をしていた。そこから、何がどうなったのかまったく分からなかった。落ちる寸前の記憶もなかった。なぜこんなところにこんな穴が空いているのかも分からなかった。街はずれの自然のまだ残るエリア。いつも通る散歩道だった。そこをいつものように歩いていて・・。

「・・・」

 やはり、まったく思い出すことができなかった。頭にもやがかかったような感じではなく、その瞬間の記憶というか、時間というかがそのままそこだけすっぽりと丸ごと消えてしまったような感覚だった。しかし、不思議と落ちたことだけは分かった。

「・・・」

 この穴はいったいなんだろうか。やりかけの工事だろうか。その割には、工事中を示す看板も、周囲に危険を促すコーンや囲いもなかった。安全対策にうるさい昨今の日本で、それを忘れることは考え難かった。誰かのいたずらだろうか。それにしては、手が込んでいる。こんな大きな穴を掘るには、重機でも使わない限り、相当な労力がいるはずだった。

 それに、私は、なぜこんな大きな穴に気づかなかったのだろうか・・。それほど注意散漫な人間でもないはずだった。今まで、不注意で何かそんな事故や問題に巻き込まれたことなど一度もなかった。普段から何かに躓いたり、階段を踏み外したりといったこともなかった。

「・・・」

 考えるがまったく納得のいく答えは出なかった。

 穴の高さは、それなりの深さはあったが、自分で出ようと思えば、なんとか出られる高さであった。そのこともあったのかもしれない。私は、なぜか、危機的な状況であるのにも関わらず、のんびりとしていた。怒りっぽい私だったが、不思議と怒りも湧かなかった。

 入口は丸いが穴の中は縦長で、広さは畳一畳ほどしかない。私の身長では足を伸ばすこともできなかった。膝は曲げたままにするしかなかった。しかし、妙なフィット感があった。まるで私の為に掘ったような、何とも言えない、何か全身がやさしく穴という空間に包み込まれている、そんな不思議な心地よさがあった。まるで寝心地のいい私専用の布団の中にくるまれているようだった。

 穴の中は妙に温かかった。土の温もりを感じた。土の匂いがする。それもどこか心地のよい懐かしい匂いだった。

 ふと子どもの頃の感覚を思い出した。それは、リアルに全身の五感を通して蘇る記憶だった。その当時の匂いや空気感までをもリアルに思い出す。

 子どもの頃は、近所の子どもとよく田舎の土臭い場所で遊びまわっていた。田んぼや畑、あぜ道や周囲の自然や空き地は、すべてが遊び場だった。近所の子どもたちと暗くなるまで駆け回って、時には暗くなっても遊んでいて親に叱られたりもした。

「・・・」

 その時の懐かしい感覚が私を包み込む。こんなことを思い出すのはいつ以来だろうか。大人になってから、まったく思い出すこともなく、完全に忘れていた記憶だった。

「・・・」

 私は放心したようにその記憶の中を見つめていた。

 すぐに立ち上がり、この穴からでることもできた。しかし、私は、なんとなくこのままでいたいと思った。この場所に、このままで――。


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