風
「・・・」
私は穴の中に居続けていた。
どれだけの時間が過ぎただろうか。もう、それすらが分からなくなっていた。
私は金属アレルギーがあり、腕時計はいつもしていなかった。スマホも散歩の時くらいは完全に一人になりたいと、いつも持って出なかった。今この時、時間を知る術は何もなかった。
だが、そんなことはどうでもよかった。
穴の中という心地よい感覚が私を包みこんでいた。何かに守られている。そんな温かさと心強さ。長いこと忘れていたそんな感覚が私を包みこんでいた。
「・・・」
風の音が聞こえていた。私は穴の中で仰向けに横になりながらその音を聞いていた。なんてことない風の音。ゴーゴーでもなく、そよそよでもなく、普通にスーッと流れていくような音。普段注意していなければ、聞き流すようななんの変哲もない些細な音。私はその音を聞いていた。
風とはこんな音をしていたのか。私はこの年まで生きてきて初めて気づいた。本当に何の変哲もない音。だが、それは不思議ととても心地よく、ずっと聞いていても飽きることがなかった。
心の波長を整え、癒していくような音の流れ。心の奥に自然と染み入って来るような清々しさ。
「・・・」
風の音とはこんなにもすばらしいものだったのか。私は風の音に聞き入った。他のことなど何も考えず、私はただ風の音を聞いていた。
心地のよい空気の流れが、心の中を直接流れていく。
「なんて気持ちいいのだろう・・」
音楽などいらなかった。人の作り出す人工的な音など何もいらなかった。わざわざ音楽など聞く必要もないし、作る必要もなかった。すばらしい音はもうすでにあった。いくらでも身近な周囲にそれはあった。ただそれに気づいていないだけだった。人はそれに気づいていないだけだった。
ただそれだけだった――。




