4、アルザギールとフォエニカル
「どうぞ、私の事を無責任な者だと蔑んでください」
アルザギール・グラト・ピエンテ・マグノエリスは、開口一番そう言った。
呼び出され、何事かと思っていたフォエニカル・フィアネルは、思ってもいなかった一言目に驚きを隠せなかった。
「何ですか急に? このあたしがアルザギール様にそんな事を言えるわけないじゃないですか。変なこと言わないでくださいよ」
「フォエニカル、あなたには——いえ、あなただけでなくこの世界に生きる全ての者には、それを言う権利があります」
「はぁ……?」
フォエニカルは首を傾げた。
意味がわからなかったからだ。
この世界を元の姿に戻す事に感謝こそすれ、文句など言えるはずがない。
「私は……私達は、この世界に生きる者達を導く事を放棄します」
「ああ……なるほど。そういうことですか」
一言で、理解した。
無責任な者という意味を。
「それに関しては吸血鬼の御方々で色々と議論されたんでしょう? で、その結果が今日なんでしょう?」
「ええ。そうです。ですが、やはり自分に問い掛けてしまうのです。これでいいのか? と。この世界の人々から、離れてしまっていいのか? と」
「心配症ですねぇ、アルザギール様は」
「これまでずっとあなた達の事を見てきましたから」
「それもそうですね。……でも、大丈夫だと思いますよ。何だかんだ、この世界に生きてるやつらはみんな強かなので」
「……だからこそ、怖いのです」
大きな力によって、暴力によって支配されていた世界。
頂点に立つ吸血鬼がいたからこそ、人々の暴力性は抑えられていたのではないか?
押さえつける力が消えてしまえば、箍が外れてしまい、これまでにない混沌とした時代が訪れてしまうのではないか?
支配者に成ろうと力を振るう者が現れるのではないか?
恐怖が人々を襲うのではないか?
この世界の行く末を案じない時は無い。
フォエニカルはそれを理解しながら、呑気に言った。
「だから心配し過ぎですって、アルザギール様は。何とかなりますよ」
「そうでしょうか……」
「そうですって。そんないきなり大きな戦争とかが起こってこの世界がまた滅びそうになったりはしませんよ。たぶん」
「……」
「逆にお尋ねしますけど、それってあたしたちのこと信用してないってことですよね?」
「いえ……そういうわけでは……」
「じゃあいいじゃないですか。信じてくださいよ」
「……そうですね」
「そうですよ。それに、あたしも真面目に働きますから。悪党がいたらきっちり始末しますので」
「……フォエニカル。本当に、あなたには苦労を掛けてしまい、申し訳ありません」
「だーかーら、謝らなくてもいいんですって。それがあたしの仕事です。あたしは戦うことしか出来ないんですから、これでいいんですよ。もしミナレットが生きてたら同じこと言いますよ。あいつも殺ししか出来なかったからなぁ〜」
「……そう言ってくれて、あなたを雇って本当に良かったと思います」
「こちらこそ。インカナ様のところで働いていた時よりも自由にさせて貰い、その上給料も弾んで貰いましたことに感謝を申し上げます。お陰様であたしも部下も食いっぱぐれずに済みます」
ひょうひょうと笑いながら、軽く頭を下げた。
アルザギールの小さな笑い声がした。
最後の時はもうすぐだ。
大口の雇い主を悲しませたままでは申し訳ない。そういう奉仕の精神があるわけではないが、フォエニカルはアルザギールに笑っていて欲しいと思っている。
「あ、そうだ。インカナ様って言って思い出しましたけどね、やっぱり大丈夫ですよ。アインのやつとか他の街と連携を取って、世界が良い方向に進むよう色々と努力してるみたいですし、トランキノも何かあれば狩人はいくらでも派遣してやるって言ってくれましたし。ミナレットの妹も物資の援助とかしてくれるそうですし」
「そのようですね」
「はい。ですから、大丈夫ですよ。アルザギール様」
「……そうですね」
様々な者がこれから訪れる世界をより良い者にする為に力を尽くしてくれる。
それを思うと、少しは気が楽になった。
もっと出来る事は無いか? と考えてしまわないでもないが、ここに至ってはもう考えるだけ無意味か。
これ以上自分が何かしても世界が劇的に良くなるとは思えない。
やれる事はやった。
全て。とは言わないが、出来る範囲で。
もう、それで良しとしよう。
信じる事にしよう。
無責任かもしれないが、案ずるよりも、何とかなると思っていた方が確かに気は楽だ。
その時、ふと、肩から力が抜けたような感覚があった。
これが、終わりに近づいて行く感覚なのだろうか。
死を前にした者。
全てを投げ出したような……。
あるいは……全てを信じると決めたからか……。
「ここまでで結構です」
自室から少し歩いて、屋敷の玄関まで行ったところで、アルザギールは脚を止めた。
屋敷で雇っていた者には別の雇先を紹介した。
皆が皆感謝の言葉を口にして去っていった。
フォエニカルは最後の一人だ。
これが最後の別れとなる。
「わかりました」
どこまで一緒に行くかは決めていなかった。
自分がお供出来るのはここまでか。と思っただけだった。
寂しさは、あまり無い。
努めてそれを感じないようにしているわけではなく、この時が訪れるのを知っていたから。
心の準備はずっと前から出来ていた。
いつかが今日になっただけだ。
だから、フォエニカルもそこで立ち止まって、静かに頷いた。
「後の事はよろしくお願いしますね、フォエニカル」
「お任せください。アルザギール様」
お任せくださない、などと、よく言ったものだな、と自分で自分に感心する。
自分だって、どこまで出来るかわからない。
信用してください。とは言ったものの、強大な敵に力及ばず敗北し、死を迎え、この世が暴力の渦に呑まれる事だってあるかもしれない。
そういう可能性がないわけではない。
野には巨獣よりも恐ろしい力を持つ者達がいて、虎視眈々と権力の座を狙って腕を磨いていた。なんて事があるのではないかと考えないでもない。
けれど、それでも、そういう事を考えないもでないが、その時はその時で何とかなるだろう。と気楽に構えている自分がいるのもまた事実だ。
何とかなる。
自分は一人ではないのだから。
たぶん。
希望的観測のみだけれど、そう思えるから、自分はこれからも戦っていける。
きっと、未来は明るい。
深々と一礼して、アルザギールを見送って……その背中が見えなくなったところで、フォエニカルは力強く伸びをした。
「さーて、それじゃあこれからも頑張るとするか」
戦いの日々は終わらない。
だったら、闘い続けるだけだ。
自分はそれでいい。
それこそがいい。
前金としてこの屋敷にあるものは好きにしていいと言われている。
報酬は既にたんまり貰った。
後はその分、戦うだけだ。
この世界の為に。
それを誓って、踵を返して、屋敷にある金目のものを物色しようと、彼女はその場を後にした。
暇な間に、金勘定は済ませておこう。部下への給料の支払いなどもある。雑事は大事の前に終わらせる。
日が昇って、吸血鬼がいなくなったと知って、暴れるやつらが出てきたら、仕事の始まりだ。




