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4−3、止めるな(止めます)

 オドロアを二撃目の槍が襲おうとした直前、この場の誰よりも早く衝撃から回復し、真っ先に行動を起こしたのはインカナだった。


「なにやってんだてめぇ!?」


 耳を劈く怒号。だけでなく、右の掌から伸びた血——紐状、あるいは鞭のようなそれ——が、トリフォリの槍に絡みつき、攻撃を阻止した。


「インカナッ! 止めるなっ!」


「ふざけんじゃねぇ! てめぇの指図なんか受けるわけねぇだろっ!」


 二人の力は拮抗……してはいない。

 力はトリフォリが上回っているようだ。

 一旦はインカナの方へと手繰られた槍だが、徐々に持ち主の側へと引き寄せられている。

 不意を突いて攻撃を阻止したが、インカナにはそれが限界らしい。それ以上の静止は出来ないと見える。

 トリフォリが全力を籠めれば、引っ張っているインカナ毎槍を振るう事も可能だろう。


「ぐっ!?」


 一瞬後、そうなる。

 インカナはそうなると知っている。

 頬を伝う焦りの汗がそうであると告げている。

 しかし、一瞬あれば十分だった。


「ふ——っ」

 

 僕は血の刀を振った。

 跳ね上げるように、下から上に。

 狙ったのは槍を持つ腕だ。

 円卓の外周に沿って一足で踏み込み、足りない距離は刀を伸ばして補って、右腕の肘の部分を、一刀で斬り飛ばした。


「な、に——っ!?」


 オドロアに意識が向き過ぎていたのか。

 インカナの拘束を解こうとやっきになっていたからのか。

 どちらにしても、こちらにまで気が回っていなかったお蔭で、腕一本は簡単に取れた。


「よくやった! ユーリ! そのままトリフォリの相手をしてろ!」


 血の鞭に絡め取られ、引っ張られる勢いのままにどこか遠く、闇の彼方へと飛んでいった腕と槍。

 武装解除してこれで一安心……と、すんなりいかないのが吸血鬼の面倒なところだ。

 それなりに舞った血の後を追うかのように、紅い塊が斬られたところから吹き出した。

 それは腕と五本の指の形になると、瞬く間に皮膚の肌色へと変化した。

 あっという間に、欠損部が再生した。

 同時に、左手には槍が出現している。


「邪魔をするなっ!」


 僕に怒りをぶちまけると共に、即座に繰り出された無数の突き。

 一瞬でどれだけの数が放たれただろうか?

 数えるのも面倒な程だった。

 並の戦士だったら上半身が穴だらけになるどころではなく、下半身だけを残して跡形もなくなっていただろう。

 触れる者を消し飛ばす、凄まじい暴力の奔流。

 それはそういうものだった。

 ——が、残念ながら、根本にある感情が違うだけで、僕もそういうものであった。

 同じ、吸血鬼だった。

 決して容易くはない。だけども、難しくもない。トリフォリの攻撃を捌ききるというのは。

 感情が前に出過ぎている。これではこれから攻撃するところを教えているようなものだ。

 だからこその連撃。読まれても構わないとしての速度。

 似ているな、と思った。

 僕と、戦い方が。

 感情が先に出てしまうところが。

 重なる金属音。

 場を駆ける残響。

 舞う紅い破片。

 その後に、未だ僕の肉体が原型を止めている——どころではなく、二振りの血の刀で以って完璧に攻撃を防ぎきっている様を目の当たりにして、トリフォリは驚きで瞳を大きく見開いた。


「き——貴様——っ!」


「驚く事ですか? これでも僕は、吸血鬼なのですよ?」


 軽口ではなく事実を述べているところで突き出された槍を避け、まずは右の刀で一撃。

 トリフォリの左腕があっさりと落ちた。

 血飛沫が舞う。

 トリフォリの目がその血を追う——最中、左の刀で更に一撃。

 無防備なトリフォリの右腹部が裂けて、そこからそれなりの量の血が吹き出し、光の道の上に広がった。


「がはっ!?」


 痛みにくぐもった声を漏らすも、中身は出ていない。

 血だけだ。

 腕などの大きな部分を欠損してもすぐに生えてくるのだ。脇腹を斬るくらいでは瞬く間にくっついてしまうのも当然だ。

 再生速度がとてつもなく速い。

 けれども、だからだろうか。防御を怠っているのは。

 カウンター気味の一撃目はともかく、二撃目は皮膚の下で血液を硬めて防御する事が可能だったはず。それだけの猶予があったはず。

 なのにそれをしなかったのは、戦い慣れていないからか。それとも、防御に関する技術が拙いのか。

 攻撃の方はそれなりに激しかったので、後者だと思うが。


「ちぃっ!」


 考察する僕の前から、態勢を立て直そうとしてトリフォリが後退した。

 その時、インカナが声を張り上げた。


「ユーリィッ! それ以上そいつを下がらせるんじゃねぇっ! 逃げられたら面倒だからなぁっ!」


「はい。わかっています」


「ふざけるなっ! 誰が逃げるものかっ!」


 売り言葉に買い言葉。とでも言えばいいのか。

 今のは上手い。

 誘導したのだ、インカナは。

 プライドの高いトリフォリの自尊心を逆なでするような言葉を、わざと口にして。

 実際のところ、オドロアを殺すつもりであるトリフォリに逃げるなどという選択肢は思い浮かんで無かっただろう。後退したのは、僕から距離を取って反撃の糸口を探ろうとしただけに過ぎない。だがインカナはそれをさせなかった。言葉だけでトリフォリの逃げを封じて、足を止めさせ、半端な距離に釘付けにした。

流石は旧知の間柄だ。相手の動かし方をよく知っている。

 お陰様で、僕とトリフォリの距離は思ったより開かなかった。踏み込み一回分くらいか。

 これは、いい間合いだ。

 必殺が——僕にとっても、トリフォリにとっても——可能な間合いだ。


「貴様ら——いえ、あなた方は……何故……何故、私の邪魔をするのですか?」


 不意に、トリフォリが静かな、しかし震える声を漏らした。


「あなた方の望みは、吸血鬼の死のはず。であれば、そこのそれを私が殺しても、何も問題は無いのでは?」


 腕が生え、新たに形作られた槍の矛先が、オドロアの方を指し示している。

 やはり再生能力は驚異的だ……だが僕にとってそれ以上に驚きだったのが、今しがた落として床に転がっている腕と、その槍が原型を保っている事だ。


「全ての吸血鬼の同意が必要と言っても、死した者は関係ないのでしょう? 一人減れば、あなた方の説得の労力も減るというもの」


 僕の血は体を離れれば形を失いただの血へと戻る。

 なのに、そこの……腕はともかく、槍は未だ形を失わずにある。

 血を支配する能力の強さ……それは僕以上という事か……?

 吸血鬼を殺すには血を流させる必要がある。もしくは、吸血。血を吸う必要がある。しかし、支配力が僕よりも上だとしたら……例えば血の刀を突き刺して血を吸おうとしたら、能力の差によって僕の方が血を吸い取られるという事も有り得るのか?


「わかりませんか? 私は、あなた方の為に一人減らして差し上げると言っているのです。この提案を飲まない理由がありますか?」


 トリフォリが、僅かに前に出た。

 進むつもりか……。

 素直に僕が退くとは考えていない。

 自らの進む道は自らの力で切り開く。そういう覚悟がトリフォリにはある。

 傲岸不遜だ。

 だけども、こいつはきっとそうやってかつての大戦で勝利を納め、これまでの永い時を生きてきたのだ。

 自らの力で以って押し通る。

 頂点の力を持つ者が至る、最も合理的な物事の解決方法……。

 ……戦いは避けられないか。

 こういうやつは、もうどうしようもない。

 力には力で対抗するしかない。

 こいつは殺す。

 再生は無限に続くものではない。血が尽きればそこで終わる。

 血を吸うのがリスキーなら、ひたすら四肢を斬り飛ばす。細切れにしてやる。少しずつ、だけど確実に、ダメージを与え、積み重ね、血を減らし、死に至らしめる。

 少々時間は掛かるが、それが確実な勝ち方だ。

 やり方は決まった。

 後は行動に移すだけ。

 勝ち筋を定め、動こうとした、その時、


「その提案は飲めません」


 僕の行動を嗜めるように、アルザギール様の凛としたお声が場に響いた。


「まだオドロアを死なせるわけにはいきません」


「まだ死なせるわけにはいかない? 何様ですか? アルザギール、あなたは生き死にを司る大きな存在にでもなったつもりなのですか?」


「違います。私はただの吸血鬼です」


「だったら——」


「オドロアは、まだこの世界に必要なのです。世界が変わるその時まで、オドロアにはやらなければならない事があるのです」


「そんなものはありません。オドロア様の役目は終わりました。かつての大戦を勝利に導いた……世界に平和と秩序を齎した……オドロア様がやるべき事はそこでもう終わったのです。だから……そう。だからです。終わっていたのに、こんなところまで呼び出されたせいで、そんな偽物が……オドロア様の名を語ってこの場に現れてしまったのです」


「トリフォリ。どうか、私の話しを……」


「アルザギール、正直に申し上げてあなたの事はオドロア様の次に尊敬しています。かつての大戦で、あれほど多くの民の心を掴んだのは、あなたとオドロア様だけでしたから……。もし……もしも、あの時あなたが先頭に立って戦っていたのならば、私はあなたに忠誠を誓っていたかもしれません」


「……」


「しかし残念ながら、私が忠誠を誓っている御方はただ一人。オドロア・ジン・シキミ・ミトラレス様だけです」


「そのオドロアを、殺すのですか」


「それは偽者ですよ、アルザギール。オドロア様は前だけを見続けていた。先を見据えていた。オドロア様は世界を牽引する御方。そんなオドロア様が自らの死を口にするはずがありません。あってはいけないのです」


「トリフォリ……」


「見てご覧なさい、アルザギール。そこにいるそれは血を流し続けています。傷を再生しない吸血鬼がいますか? いません。それは死を望む者。永遠を生きる吸血鬼ではありません」


 確かに、背後からは血の匂いが強く漂ってきている。

 吸血鬼であれば、先程のような穴一つ簡単に再生出来るはずなのに、それをしないという事は……トリフォリの言う通り、死を望んでいるという事に他ならない。


「くそったれっ! 本当にこいつ! 血を止めやがらねぇ! 無理矢理傷を治さねぇとかなにやってんだよ! オドロアッ! 死ぬ気かっ!?」


 インカナの怒声。


「そうだ。死ぬのだ。同意した」


 オドロアの返事は淡々としている。先程と変わらない。自ら死を望み、それを目前にしても心に乱れは無い。


「……」


 トリフォリが、槍を握る手に力を籠めた。

 怒り……。それと、憎しみ……ではない。食い縛った歯、歪む表情。今にも泣き出しそうな顔だ。哀しみ……なのか?


「それはそれ! これはこれだろうがっ! おい! アルザギール! ぼさっとしてねぇで手伝いやがれ! 何でもいいからなんとかしろ! こんなところで死んでいいやつじゃねぇんだぞ! こいつは!」


「はい。わかっています」


 インカナの無茶苦茶な要求を叶える事が可能なのか(何でもいいからなんとかしろというあまりにも無茶な言葉が前にあったせいで図らずもアルザギール様をほんの少しでも疑ってしまった自分を恥じた。アルザギール様ならばオドロアを助けるのは可能である。アルザギール様には出来るのである。根拠は無いが僕はそう信じる)、アルザギール様がオドロアに駆け寄る気配があった。


 それを見て、トリフォリの腕がピクリと動いた。

 来るか……。

 狙いはオドロアだ。オドロアを殺せるのならば、何もかもを犠牲にする。どのように阻まれようと、槍はオドロアに届かせる。そして殺す。自分は死んでもいい。……そういう悲壮な覚悟が身に纏う雰囲気から漏れ出している。

 玉砕覚悟……。これは厄介だ。

 けれど、そこまでしても、恐らく僕を越えられない。

 僕の方が強い。

 連続で斬撃を浴びせ続ける。

 いくら再生しても構わない。

 再生の限界が訪れるまで、僕はそれを続けるのだから。


「貴様……」


 僕の殺意に反応してかトリフォリが顔を歪めた。

 苦虫を噛み潰したような表情。

 どこまで私の邪魔をすれば気が済むのですか? とでも言いたいのだろう。

 その気持はわかる。

 わかるが、退く気は無い。


「ふー……」


 別段乱れて無かったが、一応、呼吸を整える。

 こちらの準備は出来ている。

 来るなら来い……。

 終わりにしてやる。

 そうして、構えた。

 瞬間——


「ユーリ! あなたに命じます。トリフォリを止めてください。あなたならば、それが出来ます」


 アルザギール様からのご命令であった。


「——」


 刹那、不思議な感覚が脳髄を駆け抜けた。

 アルザギール様からのご命令。

 このご命令に籠められた真意。

 言外に告げられたアルザギール様からの有難きお言葉。

 ああ……アルザギール様……。

 あなた様は、何という……。

 僕は刹那の間に理解して、感動した。


「アルザギール……何を、馬鹿な……私を止めるなどと……」


 トリフォリはそれが不可能であると思っている。

 呆れとも怒りとも困惑ともつかない、何とも言えない表情なのは、そのせいだ。

 実際、そうだろう。

 不死の吸血鬼を止めるというのは難しい。不可能に近い。

 しかしながらアルザギール様のご命令であるならば、僕は不可能を可能にしよう。


「訂正してください。アルザギール様に馬鹿な、などと言うのは許せません」


「お前も……何を……」


 この期に及んで何を言っているのか?

 今更そんな事を気にしている場合か? 

 そう言いたいようであった。

 これに僕が声を荒げて様々な反論をぶつける事は可能だが、言葉を交わすべき時は今ではない。

 方法はある。

 アルザギール様の発された天啓と評するべき今のお言葉が、僕の思考をこれまでの人生で最も活発に激しく機能させ、一秒前までは存在しなかった答えを瞬時に導き出させていた。

 流石はアルザギール様である。

 その通りだ。今の僕にならば出来るのだ。

 アルザギール様。ありがとうございます。

 僕はアルザギール様の凛としたお声に感謝した。


「訂正するつもりが無いなら、させるまで——です!」


 アルザギール様のお蔭で、流れはこちらに来た。

 トリフォリを止める方法はある。

 後はそれを実行し、この場を速やかに治めるだけである。

 自ら戦闘開始の切っ掛けを口にして、僕は斬り込んだ。


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