4−2、流血
「待て、トリフォリ」
「待てません。オドロア様。こいつらは我々の死を望んでいます。つまりは我々の敵です。殺すべき敵なのです」
「敵かどうかはこれから判断する。それに、他の者の意見も知っておきたい」
「他の者の意見? そんなもの、何の意味も」
「ある。少なくとも、私にとっては」
トリフォリを遮り、仕切り直しの為か一つ息を吐いて、オドロアは問い掛けた。
「アルザギール。答えて欲しい。このような話しをする以上、そなたは知っているはずだ。この場に来ていない者はどう答えたのだ? 他の者は皆、同意したのか?」
「ロジェとアルマにはまだ話しをしていません。ですが、その二人と、既に亡くなっているスオウとバイロの二人を除いては、皆、同意してくださりました」
「皆が同意しただとっ!? 何を馬鹿な! そのような事があるわけ——!」
「あったんだよ。そんな馬鹿なことがな。いや、当然っちゃ当然かもなぁ」
牽制するように、インカナはトリフォリに言った。
互いの視線が絡み合う。
まだ、視線だけだ。
抑えている。どちらも。弓を引き絞るように。
「バルヴェニアは何と言っていた?」
「君達に任せる、とだけ」
「やつはそうだろうな。ルーレスは?」
「いつまで戦えばいいのかわからなかったから、終わらせてくれるなら受け入れよう、と」
「ルーレスらしい。やつは終わらせ方をしらない者だったが、今も尚そうだとは……。変わらないな。本当に。我々は」
「変わりませんよ。私達は」
「ソフィアとブレアの姉妹にも会ったのか?」
「かつての大戦の後に会いました。そして、その時に同意を得ました」
「そうか。するとアルザギール、そなたはかつての大戦の終わりに、既にこの世界について——我々が迎えるべき結末について、思いを巡らせていたのだな?」
「はい」
「そうか。二人は何と?」
「戦い過ぎて疲れた。もうこれ以上何もしたくない。我らは永遠に眠り続けるから、世界の事はお前たちに任せる。どうにでも好きなようにすればいい、と。そう言って、二人は人里離れたとある城に籠もり、眠りに着きました」
「そうか。それであの二人の噂を聞く事が無かったのか。まさか眠り続けているとは。……それにしても、全く……ああ……本当に、あの姉妹の声が聞こえるようだ」
オドロアは瞳を閉じて、頷いた。
僅かに、感情の動きがあった。
心がどこかへと行っている。郷愁に浸っているかのような空気が醸し出されている。
懐かしんでいる……過去を……。
「オドロア様。お話しがお済みになりましたのであれば、ご決断を」
余韻に浸る間を与えないつもりなのか、トリフォリが槍を構え直した。
やはり戦うつもりだ、こいつは。
それも、オドロアが自分の側に付くと信じているようである。自信たっぷりな口調が、それを何よりも雄弁に物語っている。
「決断の時か」
オドロアが低く言った。
トリフォリはうっすらとした笑みを浮かべている。
インカナは、忙しなく瞳を動かしてトリフォリとオドロアの様子を窺っている。
僕も同じく——しかしインカナ程は焦らずに——対する二人の動向に神経を尖らせている。
そんな中で、アルザギール様は誰よりも毅然としておられた。
微動だにしていない。
トリフォリの槍の延長線上から身を躱そうとも、オドロアを説得する為に声を張り上げたりもなさらない。
落ち着いておられる。非常に。とてつもなく。
超然的であられる。
このような状況で、心を動かさずにいられるとは……。
心……。
あぁ……こんな時だが、ようやくわかった気がする。
アルザギール様が、何故こうも他の者を、有象無象の者共を超越しておられるのかが。
きっと——アルザギール様は、遥か以前に覚悟を済ませておられたのだ。
この世界を元に戻す覚悟。
自らの命を世界の為に使う覚悟。
その覚悟を決めておられたのだ。
かつての大戦などと、誰もが数える事をやめてしまった遠い過去にいた時に、アルザギール様は自らの心の中に覚悟の種を植えたのだ。
それは長い年月を経て、成長を続け、巨木へと育った。
とてつもない大きさの木だ。
この世界そのものを覆う程の巨大さ。
世界樹——世界を支える神話の大木。
そういうものが、アルザギール様のお心の中に存在している。神話を内包しておられる。
時の重み。
覚悟の重み。
それがあるが故に、アルザギール様のお心を揺るがす事が出来る者などいはしないのだ。
遠い遠い過去に、アルザギール様と同じ覚悟を済ませた者など、存在しないのだから。
吸血鬼の中にも、そのような者はいない。
あぁ……アルザギール様……。
僕は理解しました。
あなた様のお心を。
あなた様が、未来永劫絶対に何者にも侵されないお心を持っているという事を、遅ればせながらようやく知る事が出来ました。
なればこそ、僕はあなた様のお体をお守りしましょう。
あなた様のお命を、絶対にお守りしてみせましょう。
何者にも、あなた様のお命は奪わせはしない。
千の敵が襲いかかり、万の敵が押し寄せ、並び立つ者のいない最強の一人がやって来ようとも、僕はその全てを尽く打倒し、あなた様を守りいたします。
あなた様がそれを望まれているのだから。
生きる事を。
終わりの時まで、死の直前まで、生きる事を。
「——」
アルザギール様が死んでしまうその時まで、僕はアルザギール様をお守りする。
アルザギール様に仇為す敵と戦う。
戦って、倒す。
それを誓った途端に、四肢に力が漲った。
心理的な緊張が解けたからだろう。
体が軽い。
迷っていない。
今なら何が起こっても、この場にいる三人の吸血鬼から同時に攻撃を繰り出されても、アルザギール様をお守りしながら斬り返せる自信がある。
「オドロア様! ご決断を!」
こちらの戦意を察知して、トリフォリが叫んだ。
アルザギール様と僕を除いた全員に緊張が奔っている中で、オドロアは、そして、ようやく口を開いた。
「同意しよう」
と、だけ。
「え——?」
トリフォリが呆けた声を上げた。
オドロアは、繰り返した。
「私は同意する」
「な——何を……言って……」
「私は世界を元の姿に戻す事に同意する。故に、トリフォリ、そなたも」
「ふざけるな」
槍が、オドロアの体の、心臓のあるところを貫いていた。
誰も反応出来なかった。
驚く間も無かった。
あまりにも唐突過ぎた。意外過ぎた。
まさかそちらに攻撃の矛先が向けられるなんて、予想していた者は一人もいなかった。
「——」
オドロアの口の端から、血が流れた。
「ロジェの言った通りだ。あなた様は変わってしまわれた——いいや、違う。そうじゃない。偽物だ。そうだ。偽物め。貴様はオドロア様ではない。オドロア様はそんな事は言わない。オドロア様が自ら死を選ぶはずがない」
吐き捨て、トリフォリは槍を抜いた。
「トリ——フォリ——」
オドロアに驚いた様子はない。
こうまでされても、感情の起伏は無い。
だが、名を呼ぶ合間合間に、オドロアの口から大量の血液が流れ出ていた。
口からだけでなく、穴の空いた胸からも。
おびただしい量の血液が流れ出し、ドレスを更に黒で染め、椅子を伝い、白く光る道に、地に、満ちていく。
何だ?
何故、こうも派手に血が流れる?
吸血鬼の再生能力を以ってすれば、今の一撃など、取るに足らないもののはず。
なのに——何故、オドロアの傷は再生しないのだ?
いや、違うのか?
再生しないのではなく、再生させていないのか?
死を選んだ自らの意志で、再生を拒んでいるのか?
「あ——」
トリフォリもその様子に、ほんの一瞬驚いたように目を見開いたが、本当に一瞬だけだった。
次の瞬間には、驚きは消えていた。
「それ程までに……それ程までに死にたいのなら——殺してやる。オドロア様の名を騙る偽物め」
やはり、再生していないのだ。
トリフォリの言葉に答えを得たと同時に、槍が構えられた。
二撃目。
これを放たせてはいけない。
オドロアを殺させてはならない。
何故だろう。そう思った。いや、きっとアルザギール様がそれを望んでいたというのを僕の肉体が、無意識が悟ったのだ。
だから僕達は、そこでようやく、動き始める事が出来た。
行動の方針は一致していた。
オドロアを助ける。
命令を受けずとも、アルザギール様がそれを望んでおられるのは知っている。理解している。
インカナは、だから、その為に動いた。
僕もインカナに続き、血の刀を振るった。




