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4−1、会談開始

「大魔女グレンはこのように言いました。この世界に生きる全ての吸血鬼の同意が得られれば、この世界に日の光を戻す、と」


 あの時、アルザギール様が大魔女と交わした約束……。


「日の光か。それがこちらの世界にあったという事は、伝承で聞いた事はある」


 オドロアは、アルザギール様を見詰めておられる。


「そうです。以前は存在したのです。しかし、日の光は大魔女の魔法によってこちらの世界から隠されました」


「何の為に? などと問うまでも無いか。我々の為だな?」


「はい。その通りです。私達が全力で戦えるように……この世界を救えるように、グレンは魔法を用いて世界の理を変えたのです」


「では何故グレンはこの世界を危機から救うと同時に魔法を解かなかった? 危機に瀕した世界の救済が目的ならば、それは果たされた。我々の役目はあの時終わった。その時に魔法を解けば良かったのではないか?」


「それは、グレンが私達を愛しているからです」


「愛か。確かにグレンは我々を愛していると常に口にしていたが、理由はそれだけか? グレンの哀れみで我々は生かされているという事か?」


「哀れみではありません。愛です」


「そうか」


 オドロアは頷いてはいない。呟いただけだ。今のアルザギール様のお言葉に納得しているのか、それともしていないのか、表情からは判断出来ない。感情に変化は無い。

 逆に、感情を剥き出しにしている者もいる。


「アルザギール……先程から、あなたは何を言っているのかしら?」


 ぎぎぎ……という硬質な物が削れる嫌な音が響いた。

 トリフォリがテーブルに爪を立てた音だ。

 大理石的な硬質の石で造られていると見えるこのテーブルを、軽く引っ掻いただけで削るとは。流石はかつての大戦で戦い抜いた吸血鬼。凄まじい力だ。などと感心している場合ではない。

 トリフォリは怒りで満たされた紅の瞳をアルザギール様に向けている。

 苛立っている。

 再びの一触即発……。

 この女は沸点が低過ぎる。

 困ったものだ。

 この様子では、本題に入ると大変な事になるのではないか?


「私の勘違いでなければ……いいえ、勘違いであって欲しいのだけれど、一応確認しておきますね。アルザギール、あなたは我々に死ねと言っているのかしら?」


「はい」


「——!」

 

 大変な事になる。

 そう思った通りだった。

 トリフォリは、キレた。

 一目で、そうだとわかった。

 何故ならトリフォリは、テーブルに爪を突き立て、刺し、抉り、握り、破壊したからだ。

 硬質な音が響く。

 細かくなった石の破片が宙に飛び散る。

 その光景を見るやいなや、考えるよりも早く、僕は血の刀を形作って、アルザギール様の隣に出ていた。

 痛い程の敵意が籠められた視線が、僕に刺さった。


「何のつもりですか? そこを退きなさい」


 重い言葉だった。

 退かなければ殺します。という激烈な殺意を浴びせられた。

 並の生き物ならば、この言葉に屈しただろう。

 屈するどころか、自害を選んでも不思議ではない。

 自分がこれからどのような目に遭わされるか。それを想像しただけで、死にたくなる者もいるはずだ。

 それ程だ。

 トリフォリはまだ椅子から立ってもいない。それでも、彼女が理不尽な暴力を行使出来る存在であるという事実に変わりは無い。

 今は無風だが、一秒後には暴力の嵐が吹き荒れ、周囲のものを破壊し尽くす。そのような場面が容易く想像出来る。

 それが感覚でわかる。

 インカナが言っていた。吸血鬼とこちらの生き物は全然違うものだ、と。

 その違いをわからせるのに充分過ぎる圧力が、トリフォリからは放たれている。

 寝物語などがあれば、そこで語られているのではないか。

 悪さをすればトリフォリが来るぞ——とか、そんな風に。

 そういう冗談みたいな恐ろしさだ——が、しかし、そう思うのは並の生き物の場合だ。最強の吸血鬼であるルーレスと対峙した経験のある僕は、怯む事など無かった。


「拒否します」


 重い言葉を、自らの強い言葉で跳ね返す。

 一歩たりとも退くつもりはない。


「馬鹿な真似はおやめなさい。お前がどんなに力を尽くして守ろうと、日の光が世界に戻れば、アルザギールは死ぬのですよ?」


「……」


 そうだ。

 これはトリフォリに一理ある。

 僕がここでお守りしても、アルザギール様は近い将来、死んでしまう……。

 アルザギール様は死ぬ。

 それは間違いない。認めよう。

 ……けれど、だからと言って、それは僕がここでアルザギール様をお守りしない理由にはならない。


「それでも……僕はアルザギール様をお守りします」


 迷うな。と、インカナは言った。

 答えは既に出ている、と。

 僕はアルザギール様の隣に立っていて、アルザギール様に害を為そうとする者を阻んでいる。これが答えだ。僕の体に染み込んでいる答えだ。

 頭ではまだきちんと理解出来ていない。腑に落ちてはいない。アルザギール様は生きるべきだと叫んでいる僕はいる。

 だけども、僕の体はそんな思考とは裏腹に動いてしまう。

 嬉しい事に(哀しい事に)。


「僕は、アルザギール様のものです」


「ものならば主の命令なく動くべきではないのではなくて? 今、アルザギールはお前に何か命令を下したかしら?」


「命令は受けていません」


「だったら——」


「けれど、アルザギール様は望んでおられます。ここで死ぬわけにはいかない。殺されるわけにはいかない。だから、守ってください、と」


「な——何ですって?」


 トリフォリは驚いていた。

 いや、呆れていたのかもしれない。

 どちらでもいい。

 トリフォリにはわからずとも、僕にはわかるのだ。

 アルザギール様がお望みになっておられる事が。

 手に取るようにわかる。わかってしまうのだ。

 故に——


「アルザギール様をここで失うわけにはいきません。あなたがアルザギール様を亡き者にしようとしているのであれば、その前に、僕があなたを殺します」


「蒙昧な発言を繰り返したかと思えば、極めつけは私を殺すですって? ……ふふ……自分をものだと言うくせに、私を殺すだなんて……随分と面白い事を言うのね。ついこの前吸血鬼になったばかりの小僧が……」


 トリフォリが立ち上がった。

 殺意が膨れ上がっていく。

 どす黒い……。

 嫌な空気だ。

 毛が逆立つ。

 ぞわりとした寒気。

 トリフォリ……こいつは……。

 ルーレスのような真っ直ぐで正直な、気持ちの良い強さではない……陰湿な……敵が死ぬまで攻撃を止めない類……こいつは、敵と見なした相手を必要以上に傷つけるタイプ……理性的ではなく、感情のままに暴力を振るう者……。


「トリフォリ、てめぇ本気でやるってんなら……容赦しねぇぞ?」


 インカナも腰を上げた。

 武器となるものはまだ出していないが、戦闘が始まればこちらをフォローしてくれるようだ。実力の程は未知数だが、吸血鬼というだけで頼もしさはある。

 未だ動きが無いオドロアは不気味だが……。


「アルザギールの味方をするという事は……インカナ、あなたも死ぬつもりなのですか?」


「そーだよ。悪いか? 自分の死に場所くらい自分で決めてぇだろ」


「だったらあなた達だけで死になさい。日の光を戻さずとも、ここで私が殺して差し上げます。それでいいでしょう?」


「てめぇアルザギールの話しを聞いてなかったのか? こいつはなぁ、この世界を元に戻してぇんだよ」


「立派なお考えだこと。世界の為に自らを犠牲にするなんて……あなたは英雄になりたいのね、アルザギール」


「英雄になるつもりなどありません」


 断固とした口調であった。

 アルザギール様は、トリフォリの下賤な思い違いを粛々と否定なさった。


「私は世界をあるべき姿に戻したいだけです。私達が表舞台から身を引く事で、この世界を元の姿に戻したいだけなのです」


「今生きている者共にとってはこれがあるべき姿と言っても差し支えないのでは? それに、身を引けばいいのであれば、死ぬ必要など無いのではなくて?」


「永遠に偽りの世界で生きろというのですか? この世界に生きる全ての者達に」


「我々が世界を救ったのだから、この世界は我々のものも同然でしょう?」


「言葉を返すようですが、そのような考え方であなたは身を引くという事が出来るのですか? 私には到底出来るとは思えませんが」


「私には出来ないですって? 私は今まさに世間から身を引いて暮らしています。なのに、何を根拠にそう言っているのかしら?」


「率直に申し上げますが、あなたがまだ過去に生きているからですよ、トリフォリ」


「は——?」

 

 間の抜けた声と共に、トリフォリの顔色が変わった。


「トリフォリ。あなたは城に籠もり、絵を描いているそうですね。その絵というのは、恐らくですが……あなたが憧れる、かつての大戦の時の——」


「黙れっ!」


 奇声一歩手前の叫びと共に、トリフォリの右手から血が迸った。

 そしてそれは瞬く間に一本の棒状の物へと変化した。

 槍だ。

 長くは無い。トリフォリの身長の半分くらい——だが、血の武器は大きさも長さも自由自在だ。現在の見た目に意味など無い。

 両端の先端部が鋭く尖っている。

 飾り気は無い。ただただ敵を突き殺す為だけに特化した姿。

 あまりにも真っ直ぐ過ぎる殺意の形。

 赤黒いそれが、生々しい光沢を放っている。


「それ以上何も言うなっ! アルザギール!」


 尖った先端部が、こちらに向けられた。

 僕の背後にいるアルザギール様のお顔の辺りを指している。

 不遜である。

 そんなものでアルザギール様を指すな。


「貴様の付き人諸共、貴様を貫いてやる」


 口調から優雅さが失われた。

 これがこの女の本性だ。

 自らの意に粗ぐわぬ場合、躊躇なく暴力を行使出来るのだ。

 ならば、こちらも容赦はしない。

 やるつもりなら、やってやる。

 敵は殺す。そう考えているのはそちらだけではない。そして、敵を殺せる力を持つのがそちらだけではないという事を教えてやる。


「——」

 

 神経が研ぎ澄まされる。

 戦いが始まる気配。

 束の間、静まった空気は嵐の前の静けさである。

 間もなく、攻撃が繰り出される。

 遠くはない。

 その時は近い。

 それを悟り、意識が周囲に伸びた。

 現状、二対一(アルザギール様は戦われない。アルザギール様はそのような事する御方ではない)。

 気掛かりなのはオドロアだ。

 トリフォリとの関係性は単純なものでは無さそうだが……トリフォリに加勢するのか……それとも、アルザギール様のお話しには真摯に耳を傾けてくれていたようなので、こちらに付いてくれる可能性があるのか……。

 敵に回ったとすると、吸血鬼同士、二対二の戦闘は相当に苛烈なものとなるのが予想される。

 アルザギール様を確実にお守りする為には、それは避けたいところだ。

 稲妻の如く思考が奔り、立ち回りをいくつか考える。

 僕が敵を瞬殺するパターン(これがベストであるが、そう上手くはいかないだろう)。

 一先ずインカナを犠牲にしてアルザギール様を安全圏まで避難させてから戦闘を行うパターン(アルザギール様の敵を生かしておくわけにはいかないので逃げは無い。インカナの尊い犠牲によりアルザギール様の御安全と勝利が手に出来るならば安いものである)。

 インカナを利用して隙を作り、即殺するパターン(アルザギール様の目的に同調しているインカナを失うのは痛いが、それによってでしか勝利を掴めぬのであれば、そうするしかない。アルザギール様の為に)。

 インカナと共にアルザギール様をお守りしながら戦い、勝ち筋を見付けて勝つパターン(インカナの実力次第だが、弱いようならやはり犠牲になって貰うしか無い。残酷だが、アルザギール様の為である)。

 考える。

 だが何にしても、オドロアの行動次第だ。

 オドロアはどう動くのか……。

 皆の気がそれとなくオドロアへと注がれた。オドロアは席を立たず、争いに参加する様子は見せず、口だけを動かした。


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