第44話 どうかよろしくお願いします
「ふぅー、のど乾いた」
脱衣場のウォーターサーバーで一息つく。
さてと、今何時だろう。
「あ、ヤバい」
一時間以上たってる。
慌てて浴衣に着替え、部屋へと急ぐ。
「ごめん!」
部屋に入ると、お母さんと水樹さんが口の前でシーと指を……なに?
あ、ふーくんが寝てるんだ。
テーブルの奥で、すやすやと……ふふ、寝顔も可愛い。
「ねえ、言ったでしょう。樹のお風呂は長いって」
お母さんが水樹さんに小声で話している。
「さっきまで樹くんを待っていたんだけど、やっぱり疲れていたかな」
「ごめんなさい。もっと早く上がってきたら……」
「いいの、いいの。夕食までもう少しあるんだから、樹くんも少し休んだら」
そう言われて、ふーくんの隣に座っていた気がするけど、いつの間にか横になっていた。
「二人とも可愛い寝顔だわ」
お母さんの声が聞こえる。
「計画も上手くいきそう」
また、計画……
「あとはこの子たち次第ね」
僕たち?
「風花が乗り気だから大丈夫よ」
「そうね、樹は押しに弱いから……」
何か僕たちのことを話しているみたいだけど、ダメ、睡魔が……
「……樹、樹、起きなさい。夕食が来たわよ」
「う、うーん」
ゆめ?
あ、いい匂い。起き上がると仲居さんが料理をテーブルの上に並べていた。
「眠ってた?」
「ぐっすりとね。樹、目やに。先に顔を洗ってきなさい」
慌てて、洗面所に向かう。
う、ほんとに目やにが……洗わなきゃ。
寝ちゃってたんだ。僕も疲れてたのかな。あまり寝すぎると夜眠れなくなるから気を付けているんだけど、温泉の魔力には勝てなかったなあ。よし、取れた。
「うわ、ご馳走だね」
部屋に戻ると仲居さんは部屋を出ていて、テーブルいっぱいに料理が並べられていた。
「久しぶりだから奮発したの」
早く座りなさいと促され、空いているふーくんの隣に座る。
「先に起きてたの?」
「樹くんのちょっと前に」
「風花ったら。樹くんの寝顔をじっと見ているのよ」
うぅ、目やにもバッチリ見られてるよ。
「だって、長いこと会って無かったから……」
ふーくんがこちらを見つめてくる。
「話はあとからゆっくりしなさい。ほら、温かいうちに食べるわよ」
海の幸に山の幸、ほんと美味しそうだ。
今はまだいろいろと足りないから無理だけど、いつかテラでこんな料理を作れたらいいな……
「美味しかった。それに、お腹もいっぱい。樹くんは?」
「お、美味しかった。でも、ほら見て、もうパンパンだよ」
ふーくんに、浴衣の上からでもわかるほど膨らんだポッコリお腹を見せる。
「ほんとだ」
ふーくんの手がお腹に……あ、引っ込めちゃった。
「樹君に無理させちゃったかしら」
お母さんと水樹さんがいろんな種類を食べたいからって、もういいっていうのに料理を少しずつこっちに寄越してくるんだもん。
「平気よ、男の子なんだから」
残すのはもったいないから頑張って食べたんだからね。平気じゃないよ。
「男の子ってほんとたくさん食べるのね。女の子しか育てたことが無いから新鮮だった」
「そうねえ、私も他の家のことは分からないけど、お兄ちゃんがいた頃は大変だったわ。二人して家じゅうのものを食べつくすのよ」
言いすぎだよ。でもお兄ちゃんはよく食べていたから、それにつられていたような気もするな。
「迅くんは大学だって? たまには帰って来るの?」
迅というのは僕のお兄ちゃん。
「全然、お盆とお正月くらいにしか返ってこないわよ」
お兄ちゃん、京都の大学に行っているんだ。お金がもったいないから帰らないって言ってた。
「そうだ、穂乃花ちゃんはどうしているの?」
穂乃花ちゃん?
ふーくんの方を見る。
「穂乃花お姉ちゃん。覚えてない?」
ふーくんにお姉ちゃん。そういえばいたような……
「東京の全寮制の高校に行っているの。これがまた帰ってきやしないのよ」
「あら、どうして?」
「帰る暇があったら勉強してたほうがましだぜって言うの」
だぜ? ……お姉さんだよね。
「あら、久しぶりに会えると思っていたのに……」
「一応、夏休みに来るようにって言ってるんだけどね。って、真由美」
水樹さんは時計を指さした。この後予定があるのかな?
「樹、また温泉に行くのでしょう」
え、僕?
「う、うん、そのつもり」
せっかく来たんだから、露天の方も試してみたいよね。
「なら、早く歯を磨いて行ってきなさい」
歯を? なんで?
「ほら、早く。鍵は一つしかないんだから、あなたが行かないと私たちも出られないわ」
「僕が後から……」
「いやよ、どうせまた一時間以上入るんでしょう。部屋の外で待つなんてまっぴらごめんだわ。ほら、早く!」
よくわからないうちに歯を磨かされ、部屋を追い出されてしまった。
まあいいか、その分ゆっくりと温泉に入れるってことだよね。
一階の大浴場を通り過ぎ、奥の露天風呂の暖簾をくぐる。
浴衣をロッカーに入れ、浴場への扉を開ける。
「うわぁー」
もう外は暗い時間、露天なのに明るいと思ったら、お湯が白いから照明を反射してるんだ……ちょっと幻想的かも。
湯船に手を付ける。
「こっちの方が熱い?」
端っこでもこの温度。お湯が出ている所はもっと熱いってことか……あの辺りでくつろいでいるおじさんたち、顔を真っ赤にして入っているけど大丈夫なの?
でも、最後の方は熱さに慣れたのか、いかに注ぎ口に近づけるか挑戦しながら入っていた。十分堪能したよ。大満足。
「え? もうこんな時間!」
また一時間以上過ぎてる。慌てて浴衣を着て部屋へと向かう。
「部屋番号は505」
エレベーターを降りてすぐの部屋だ。
ドアノブに手をかけるとカチャリと回る。
やっぱり戻って来ている。僕ってお風呂が長いのかな……
部屋の中に入ると、ふーくんが一人で座っていた。
「樹くん、今だった?」
「うん、ふーくんは?」
「私もさっき、体をしっかり洗ったら時間がかかっちゃった」
ふーくんもきれい好きなのかな。
「お母さんたちは」
「自分たちの部屋に行ってる」
「自分たちの部屋?」
それってつまり……
「樹くん、どうかよろしくお願いします」
ふーくんは三つ指ついてお辞儀をした。
も、もしかして、計画ってもしかしてこれのことなの。




