第221話 ブルッとしちゃだめだよ
〇(地球の暦では8月25日)テラ 月の日
コルカから戻ってきて二日後、朝早くに井戸で顔を洗っていたら、後ろからなんだか懐かしい感じがしてきた……ふふ、これはわざと気配を消してないな。私専用のタオルで顔を拭き、そっと振り向く。いた! 白い大きな獣が、10メートルほどの位置で身をかがめている。
「カァル!」
「ニャオン!」
ちょっ!
一気に差を詰めて、私の胸元に飛び込んでくるカァル。この大きさをそのまま受け止めるのは無理なので、体を少し左に構えてそのままくるりと一回転。よし、上手くいなせた。それにしても……これ、確実に前回よりも一回り大きくなっているよね。
「カァル、また大きくなったんじゃない」
「ニャウ!」
体重も50キロを超えているんじゃないかな。これ以上腕が上がりそうに……
「うわっぷ……」
か、顔をぺろぺろと……あーあ、また洗わなくちゃ。
「ストップ! カァル、ラザルとラミルに会いに来たんでしょ。ユーリルも待っているよ」
地球で猫のカァルがラザルとラミルに会いたがっていたし、ユーリルがしばらくの間(ヘタすりゃ来年の春まで)カインを留守にすることを知っているから、急いできたんだと思う。
「ニャ!」
「ちょっと待って!」
ユーリルたちの家がある方角に歩き始めたカァルを引き留める。
「ラザルとラミルはまだ赤ちゃんで体が弱いんだ。キレイにしてないと会わせられないよ」
「にゃう?」
カァルがクンクンと体を嗅いでいる。自分ではわからないかもしれないけど、さっき抱きかかえた時に男らしい匂いがしていた。
「カァル、お風呂入ろうか?」
「……」
無言で後ずさりを始めるカァル。やっぱりお風呂は苦手か。でも、これをしないと二人に近づかせるわけにはいかない。さて、どうしたものか……
「あっ! カァル!」
「わっ、ほんと!」
おっ、テムスとジャバトだ。よし、テムスがカァルを捕まえた。
「帰ってきたの?」
『にゃう』と言って、テムスの腕の中で首を横に振るカァル。
「たぶんラザルとラミルに会いに来たんだと思う。あっちで知らせてたから」
「そっか……それじゃ、ユーリル兄のところに連れて行く?」
「あとからね。まずはカァルをキレイにするのを手伝って」
テムスとジャバトの二人が、釣瓶を使い井戸から水を汲み上げている。
「ねえテムス、水、冷たくないかな? カァル夏毛だよね」
ジャバトは、水がたまった桶に手を入れて心配そうな顔。確かに冬場よりもカァルのもこもこ具合は足りないし、井戸の水は結構冷えている。でも、
「前いた時はこれくらい平気だったよ」
そうそう、毛の量は少ないけど、普段はまだ残雪がある場所で生活しているからこれくらいの温度は気にしない。むしろ、暑い方が苦手みたい。
ちなみになぜ井戸にいるかというと、今日はお風呂のメンテナンスの日でお湯を沸かさない日だったから。テラでは燃料も簡単に手に入るわけではないので、カァルだけのために釜を使うわけにはいかないんだ……あれ? もしかして、カァルはお風呂が使えない日を狙ってやってきた? ……まあいいか、キレイになるのなら。
さてと……
「カァル、これ大丈夫?」
最近新しく作った石けんを嗅いでもらう。香料は入ってないんだけど念のため……
「にゃ!」
よし。それじゃ、やりますか。
「いくよ」
テムスたちが汲んでくれた桶の水を、柄杓で掬ってカァルにかける。水が白い毛の間を通り下に垂れていく……うーん、少し濁っている。やっぱり汚れてるじゃん。
「ブルッとしちゃだめだよ」
ジャバジャバと水をかけて、表面の汚れを洗い流す……これくらいでいいかな。
「それじゃお願い」
テムスとジャバトが、石けんでカァルをゴシゴシしていく。
「……カァル、水浴びはしてたの?」
テムスの問いに『にゃう!』と元気に答えるカァル。
「それにしては、泡の立ちがわるいよ」
まあ、いつもは毛づくろいだけだろうから、仕方がないと思う。若くて代謝もいいはずだし。
「ソル姉、1回流して」
もう一度カァルに水をかける。
「んじゃ、ジャバト兄、もう1回……おっ、泡が立ってきた」
さっきとは打って変わって白い毛が泡で包まれ、それが全体に広がっていく。テムスたちもカァルの顔にかからないように気をつけているけど、気になるのかカァルのヒゲが緊張してピンとなっている。
「カァル、目を瞑って」
「にゃう……」
今度は頭から顔にかけて満遍なく洗う。
「よし、ソル姉、お願い」
柄杓を使ってカァルの全身に水をかけ、桶の水が少なくなったところでザバーっと一気に洗い流す。
そして、みんなでカァルとの距離を取る。
「いいよ」
ブルブルっと二、三度体を震わせて、水を飛ばすカァル。
どう?
「ニャウ!」
朝日を背につやのある毛並みを光らせ、凛とした姿で立つカァル。よし、これならラザルとラミルに会わせられそうだ。




