第2話 慣れちゃえばなんてことないよ
〇5月3日(水祝)地球
「先輩の家のお風呂、大きくてみんなで入れるから好きです!」
離れにある僕の部屋の中に入った途端、風呂上がりの湯気を立てながら抱き着き魔の海渡が近づいてくる。
「海渡、来るな! 暑い!」
どうにかして汗を引かせたい僕は、海渡の肩を掴みこれ以上近づくのを阻止する。
「樹先輩のいけずですぅー」
ふぅー、やっと離れてくれたよ。
僕の家、立花クリニックは古くからある内科の医院で、昔は住み込みの看護師さんたちがいたらしくてお風呂も大きい。だから、親友の二人が泊りに来た時には一緒に入ることにしているんだ。水の節約にもなるし、その方が相談する時間が長くとれるからね。
「あはは、やっぱみんなだと楽しいぜ。ところでさ、樹。今日見てて思ったんだけど、体を丁寧に洗っているのってテラで女の子だからなのか?」
なんか気配を感じるなって思っていたら、そんなこと考えていたんだ。
「ジッとみられるのって恥ずかしいんだけど……」
「まあまあ、それでどうなんだ?」
気にしたことなかったな……
「女の子だからというより、テラにお風呂が無いから?」
あっちでお風呂に入ることができないから、知らず知らずのうちにこちらでしっかりと洗うようになったのかも。まあ、こちらでいくらきれいになってもテラの僕は何も変わらないんだけど……
「そっか、お風呂がないんだったな。テラで作るにはどうしたらいいか……」
こう話すのは、僕と一緒に今年中学三年生になった幼馴染の竹下剛。すぐ近くの商店街にある呉服屋の次男で神童と言われるほど頭がいいんだけど、それを鼻にかけることが無いし面倒見がいいからクラスでも人気者。
「簡単です。大きな桶にお湯を入れたら、暖かいお風呂の出来上がりです!」
そして鼻高々なのが、同じく近所の総菜店の末っ子の中山海渡。抱きつき魔の甘えん坊で一個下の中学二年生。僕たちの可愛い弟分。
「海渡の言う通りなんだけど、人が入れるくらいのお湯を準備するのが大変なんじゃないか?」
そう、テラにはいろんなものが足りてない。お湯を沸かすには料理用の鍋を使うんだけど、鍋自体が貴重でどこの家にも一個か二個しかないからいっぺんに大量のお湯を準備することができない。それをクリアできたら、毎日とはいかなくてもお風呂に入れるようになるはず。
「そういう問題が……むむむ、他に何か方法は?」
竹下と海渡はいつもこうやって真剣に考えてくれるんだ。ほんと、助かるよ。
ん? さっきからテラ、テラってなんのことかわからない?
ああそうか、説明しないといけなかったんだ。実は僕には秘密があるんだ。夜こちらの世界で寝ると翌朝にはソルという女の子になっているというね。そしてテラというのはソルが住む世界のこと。最初はあっちの世界こっちの世界と言っていたんだけど、訳が分からなくなるということで僕たちが勝手に名前を付けたんだ。だから本当は何というのかわからない。まあ、名前はないんじゃないかな。
あっ、信じてないでしょう。
まあ、それは仕方ないと思うよ。こんな荒唐無稽な話、お父さんとお母さんでさえ信じてくれなかったから。僕だって、友達がこんなこと言いだしたら中二病もほどほどにって言っちゃうよ。
でもね、こんな話でも信じてくれる人がいたんだ。それはここにいる竹下と海渡。この二人だけが僕の話を信じてくれて、相談にも乗ってくれた。二人は僕にとって大切な存在なんだ。
「それにしても、ソルはよくそんな不便なところで生活できるよな。俺だったら一日で音をあげちゃうぜ」
「生まれた時からそうなんだし、慣れちゃえばなんてことないって」
もう一人僕が住むソルの世界の文明はものすごく遅れている。こちらでは蛇口をひねれば出てくる水もわざわざ井戸から汲み上げないといけないし、火だって火打石をカチカチすることで初めて起こすことができる。たぶん、お風呂なんて手間のかかるものはどこにも存在しないと思う。村々を渡り歩いている隊商の隊長さんだって、知らないって言っていたから。発展度でいえば、地球でいうところの中世……いや、国が無いから四大文明よりも前かも。
「なあ、樹。それで工房はどうなったんだ?」
工房と言うのはテラのカイン村に作ることになった大切な施設なんだけど、詳しいことは僕がソルの時にお話するね。
「竹下、気が早いって。今日は勉強会で集まったんだから、まずはそれを済ませよう」
「樹先輩のいけずですぅ。そんなこと言わずに話してくださいよぉー」
「ダーメ。先に勉強を終わらせてからじゃないと僕はやだよ」
ゴールデンウィークだから時間はいくらでもある。でも、やるべきことをやっとかないと落ち着いて話ができない。
「ちぇ、しょうがない。樹がこう言ったら聞かないから、海渡、さっさと済ませちゃおうぜ」
「はーい」
よかった。今日はじっくりと相談がしたかったんだ。テラで気になることを聞いてしまったから……