9.ベンチ
「さてと帰るか。」
出口に向かって廊下を歩きだすと、受付からゆっくりと自動ドアに向かって歩くかのこさんの後ろ姿が目に入った。
先に帰ったと思ってたけど、受付の斉藤さんと話していたのかな?
自然と歩くスピードが上がる。
自動ドアをでて、門へ歩き、門を出てから駅の方へむかうため左へ曲がるはずが、門の手前で左側に曲がったのが見えた。
「!?」
少し遅れて同じように曲がる。
林の小路を歩くかのこさんの後ろ姿をとらえた。
「林の中に道があったのか。」
門からは見えなかったが、人が歩けるくらいの細い小道が、建物の裏へと続いている。
林を抜けて建物の裏側に出ると、その向こうは塾の駐車場になっていた。
駐車場の手前で、ふっとかのこかんの姿が見えなくなった。
「え!?」
慌てて後を追う。
すると、敷地の塀と駐車場の間に街灯が一つ、その周りには背の高い垣根があり、垣根の向こう側が見えない。
「かのこさん、この辺りで消えたよな?」
垣根を少し回り込むと、切れ目があって、街灯の下にベンチが一つぽつんと置かれていた。
「かのこさん…」
かのこさんは、一人ベンチに座っていた。
声をかけようと思ってゆっくり近づくと、かのこさんの声が聞こえてきて立ち止まった。
「あーもう。またやってしまった…。」
頭を抱えて何か言っている。
「私が先に言ってたんだよー。恥ずかしいよぉ。次のお教室でどんな顔して会えばいいのかな。どうしよう。謝らないとかな…ブツブツ…」
なにかを反省しているのだろうなとは思うが、なんのことを言っているのかはよく分からない。
立ち止まって様子を伺っていると、突然俺の名前が聞こえた。
「一馬君…」
「はい!」
名前を呼ばれて、思わず返事をしてしまった。
「ひゃっ!!」
ベンチから30センチは飛び上がったんじゃないかと思われるくらい飛び上がって驚いたかのこさんを見て、俺も驚いてしまった。
「うわぁ!?」
変な声がでて、めちゃくちゃ恥ずかしい。
「な、なんでここに!?」
驚き過ぎて、カタコトになっている。
「えっと、こっちへ歩いてくかのこさんが見えたので気になって。」
かのこさんの顔が、かぁっと赤くなる。
「あの、えっと…。今の聞いていましたか…?」
「今の…ですか?」
「はい。今ここで私がつぶやいていたというかなんと言うか…」
「いえ。よくは聞こえませんでした。」
なんか聞こえたけど、なんのこと言っていたのか分からないから、否定しておこう。
「そ、そうですか・・・本当に?」
「は、はい。よく聞こえませんでした。」
「よかったです・・・。」
聞こえていなかった事が確認できて、ほっとした顔をした。
聞かれてはいけないことを話していたのだろうか?
「1人でこんな暗いところにいたら危ないですよ。」
でも、口からは、注意をするように少しきつい口調で言葉が出てしまう。
「えっと、いつも教室が終わった後、ここで一人反省会をしていまして、おそよ2年の間、何も起きたことのない平和な空間でして、大丈夫かと。今まで本当に何もありませんでしたし、声をかけられたのも、今回が初めてですし、人が通ったこともありませんし。今まで何もありませんでしたし、特に私に何かしようとする男性もおりませんので、大丈夫です。それに、ここで1人でベンチに座ってゆっくりしているとなんだか頑張れる気がするんです。」
予想外に長い言い訳が。
いつもは可笑しくて笑うところなのだが、心配しすぎてそれどころじゃない。
こんな考え方してたら、いつか危ない目に遭うのではと心配しかない。
今までよく無事でいられたな。
「毎回俺が付き合います。」
「へ??」
素っ頓狂な声をだすかのこさん。
俺がそんなこと言うなんて想像もしていなかったのだろう。
そりゃそうか。
まだ会うの2回目だし、教室は今日が初めてだし。
俺だって自分で自分に驚いているくらいだ。
「毎回付き合うって??何に??」
そして相変わらずのかのこさん。
いま話していたのは、一つしかないだろう。
返しが予想を超えるので、一瞬言葉を失う。
「えっと…心配なので、教室の後、ここでゆっくりしたいときは、一緒にいます。気になるようでしたら、離れて待っています。」
いや、俺もどうしたんだ。
こんなこと言って、かのこさんを困らせるだけだろ。
でも、自然に言葉がでてくるんだから仕方がない。
「え?えっと・・・お忙しいのでは・・・あの…遊んだり勉学に励まなければいけない大事な時期に、学生様に私のくだらない反省会におつきあいいただく訳には参りませんので、お気遣いなく。本当に一人で大丈夫ですから。」
動揺しているのか、いつもより変な言葉になっている。
「大丈夫じゃないです。油断しすぎで心配です。」
「年下の子に心配されてしまって、社会人の大人としてダメですね。すみません。私はもう大人なので大丈夫です。」
「そんなの関係ありません。かのこさんは、ちょっと抜けているから、危なっかしくて心配なだけです。」
「ひどい・・・」
しょんぼりするかのこさん。
そんな仕草も可愛らしいな。
だからこそ心配だ。
「とにかく!俺、付き合いますんで!俺も色々考えてしまうくせがあるから、一緒にここでゆっくりして気持ちを落ち着かせたいです!」
この空間がなんだか居心地が良くて…
ここにいたい
と、思って必死になっていた。
心の中は、かのこさんに嫌がられないか、心配と不安でいっぱいだった…
そんな俺の気持ちに全く気づかない様子で、
「そ、そうですか。学生さんにも悩みありますよね。何か困っていることがありましたら、力になれるか分かりませんが、お姉さん全力でお話し聞きますよ!」
どんとこい!
と言わんばかりに、一生懸命に考えて、今、俺を見てくれている。
うじうじ悩んでいる俺を、両手を広げて受け入れてくれるんだ。
この人は…
出会った日もそうだった…
やっぱりかのこさんは優しい。
かのこさんが心配だとか、なんだかんだ言って
結局は俺の勝手な我儘なのに・・・
そしてまた、話がずれている。
そのことに、かのこさんは気づいていないのか、気にしていないのか。
それがなんだか可笑しくて、クスッと笑ってしまった。
見上げると、入塾したとき満開だった桜が、次の季節へ向かおうとしていた。




