第94話 美しい少女(一)
狭依は、夢を見ていた。
でも、本当に夢なのか、わからなかった。
もしかしたら夢に似た現実なのかもしれないし、現実に似た夢なのかなのかもしれない。
下がらない高熱と、治らない膿疱。
稔流の父からは、入院設備のある病院への転院を進められた。でも、それは狭依も狭依の親族も受け容れられない話だった。
神に祟られた者を《外》に出してはならない。波多々の一族が滅んでも、村ごと滅びるのだとしても、その滅びを《外》という広い世界に解き放ってはならないのだ。
一方で、狭依が《外》に出たくない理由は、もっと単純な理由だった。
ただ、醜い姿を誰にも見られたくなかった。
救急車が来た時に、担架で運ばれてゆく変わり果てた自分の姿を、使用人や近所の人々に見られるくらいなら、もう死んでしまいたいと思った。
自分の命よりも外見を恥じる心を優先する自分など、それこそ醜くて身勝手な人間なのだと自分を責めながら。
でも、重過ぎた。
まだ十三歳の少女が、一族全てに降りかかるはずだった祟りを、村の全ての人間の命を、どうしてたった独りで背負えるだろう。
狭依は、苦しみながら、自分がまだ中学生の子供だという当たり前の事を、どうか、誰か、思い出してと、叫びたかった。
誰か……誰か。
思い浮かんだのは、決して自分を選んではくれない、少年の面影。
(…稔流、くん……)
「稔流はやらんぞ。私のだ」
不機嫌そうな声が聞こえて、狭依はのろのろとそちらに少しだけ首を動かした。
(ヒッ…)
脅えの声は、嗄れた喉では声にならなかった。
狭依の目に映ったのは、恐ろしい形相の鬼女だった。全身が禍々しい赤なのに、乱れた長い髪だけが白い。
その赤い着物は裂けており、赤黒い血がぽたぽたと滴っていた。
「…ああ、この傷か?お天王様に《《これ》》で斬られた。私はもう、長くはもつまいよ」
これ、と鬼女が言ったのは、一振りの剣だった。
黒光りする片刃の直剣は、彼女自身の血に濡れていた。
「天羽々斬剣。神を斬ることが出来る剣だ。これでお前を斬れば、祟りも斬ることが出来る」
狭依は、アメノハバキリ、という響きだけは、ぼんやりと聞き覚えがあった。多分、日本神話に出てくる剣だ。でも、どんな謂れのあるものなのかは知らなかった。
それよりも、この真っ赤な鬼が、自分を斬ると言った、その言葉にカタカタと身が震えた。
「選ばせてやろう。この剣で斬られて、祟りも病も全て断ち切り生き延びて、長い余生を神の妻としてお天王様を祀り続けるか。……それとも、このまま死んで病の苦しみと重過ぎる宿命を終わらせ、村中に祟りを撒き散らすか」
「…………」
「この私を、鬼を、信じるか信じぬかはお前が選べ。斬られてみるか否か、今すぐ決めろ。決められぬならば私は去る。私には、果たさなければならぬ《約束》がある。お前の迷いに付き合ってやれるほどの時間は、私には残っていない」
もうすぐ、自分の命は尽きるのだと、この恐ろしい姿をした鬼女は言っている。
でも、狭依には分かった。この鬼は、稔流と共に巫女舞を舞っていた少女だ。
狭依を見上げた時の顔は赤い色の般若のようだと思ったけれども、本当はとても美しい少女のはずなのだと。
「…き、って……」
狭依は、掠れた声で答えた。
鬼は、すぐにでも稔流の元へ帰りたいはずなのに、狭依を訪れた。
稔流が狭依を選ぶことはない。稔流を愛するこの鬼が、残り少ない命の時間を、ただ狭依を殺す為に費やすとは思えなかった。
狭依は、ただ、鬼になってしまった少女の、稔流に対する一途な想いを信じた。
「生き…なきゃ。私は…、この村を、あきらめちゃ、いけない、の…」
「…年端も行かぬ小娘が、よく言った」
鬼が、少し笑ったような気がした。
「ならば、生きろ」
鬼が剣を振りかざした。狭依はギュッと目を瞑った。
怖い。でも、この鬼は、狭依がまだ童女に過ぎないということを、解ってくれていた。
狭依の胸に、剣が突き刺さった。
…これでいい。狭依は血を流しながら、意識を失った。