第93話 受け継がれる想い
あの落雷の火事から、奇跡的に助け出されたのは、太郎ひとりだけだった。
しばらくして、どこからともなく、火事の炎の中に『火のように赤い子供』がいた、という噂が立った。
しかし、行方知れずになっている子供はいない。
そこから、燃えた波多々の家の座敷童なのでは、という噂が広がった。
その《赤い座敷童》が、天神様の化身であり、雷を呼んだのではないかと。
偶然にも、その噂は事実に近かった。でも、違うのだ。
波多々の家の座敷童は、天神の化身ではなく、太郎と同じ末裔で、太郎の姉だったのだから。
悲しみと絶望に泣き叫ぶ座敷童という童女には、その魂に秘められていた大きな力を、どうすることもできなかったのだから。
赤いならば、座敷童と言うよりも鬼を連想する者もいて、いつの世にもそうであるように、噂はひそひそと無責任に広がり、幾通りもの怪談が出来た。
そのうちのひとつが、
『座敷童は白い座敷童と赤い座敷童がいて、白い座敷童は家を栄えさせるが、赤い座敷童は家を皆殺しにして滅ぼす』
というものだった。
元々、座敷童が居着いた家は栄えるという伝承があったので、赤い座敷童と対になるように『白い座敷童』という言葉が生まれたのだろう。
激しく燃えた家の跡からは、太郎の家族、そして使用人と思われる遺骨が断片的に掘り出されたが、最早どれが誰なのかわからなかった。
だから、まとめて大きな穴を掘ってまとめて埋めて、その上に石を載せた。
その時代の村には石工はおらず、の墓は何処の誰のものでも、そのような粗末なものだった。
しかし、火傷の傷が癒えた後、太郎はひとりで墓参りに行って、気付いたのだった。
ちょうど見頃となった椿の木の下に、小さな土の山が固められており、墓石らしき小さな石が載せてあった。
その石には、うっすらと『つばき』と彫られていた。
太郎は、泣いた。
母は、本当は分かっていたのだ。初めて授かった子は、もう死んだのだと。
産まれた時には、生まれ変わりなのだと母が思い込みたかった元気な赤ん坊は、失った子とは違う娘なのだと。
母が『つばき』の名に殊更に思い入れを持ったのは、母の名前が『ましろ』だったこともあっただろう。
雪が降り積もった、真っ白な朝に生まれたから『ましろ』。
そして、椿は、雪の中でも咲く花だ。
本当に生まれ変わりなのであれば、墓を大切にする必要はない。
墓の周りが綺麗に保たれているのは、両親が時折ひっそりと訪れていたからだ。
ただ、両親には座敷童を見る力が無かった。
だから、『つばき』がずっと一緒に暮らしていたのだということを、知ることができなかった。
神主の役目を叔父の家に譲った太郎は、鳥海の村長に頼みに行った。
『つばき』という名前は、亡くなった自分の姉妹で最後にして欲しいと。今後村の娘に『つばき』という名を付けてはならない、という決まりごとを掟のひとつに加えて欲しいと。
座敷童だった姉のつばきは、住処にしていた家が無くなってしまったのだから、きっと炎の中で消えてしまったのだろう。
そして、妹のつばきも、自分の名が死んだ姉の名前だったことを、知らずに死んでしまったのだろう。
火傷の跡が酷く残り、太郎は一生独り身で家族を弔いながら生きていこうと思ったが、《約束》を守って嫁いできてくれた許嫁と所帯を持った。
ひとりだけ生き残ったことに罪悪感を抱いた日々だったが、妻の言葉に救われた。
「きっと、つばき姉様の加護が、太郎さんを守ってくれたのよ」
そして、太郎の血は脈々と子孫に受け継がれた。真実の物語と共に。
『つばき』という座敷童は、太郎という弟を可愛がり、弟をさいごまで守ってくれた、優しい姉だったと。赤い炎の中で泣いていた座敷童は、ただ母が恋しかった悲しい童女だったのだと。
その物語は、表に出ることなく、太郎の子孫に口伝で残された。
そして、長い長い時が経った。
『波多々の太郎の家』という屋号の家に、喜代という娘が生まれ、宇賀田に嫁いだ。
喜代は三人の男児とふたりの女児を産み、そのうち一男一女を流行病で亡くした。
跡取りの喜一と残ったひとりの娘に、太郎とつばきの物語を託し、そしてもうひとり、座敷童を見ることが出来る曾孫にもその話を伝えた。
老い先短くなった喜代にも、稔流の傍に寄り添う美しい座敷童の姿が、時折見えるようになったから。
「…ひいおばあちゃん、本当に死んでしまうの?」
「曾孫のお嫁さんに会ってから死ねる女は、そうそういないよ。私は幸せ者だ」
人間は、いつか死ぬ。
きっと、さくらは死んでゆく人間を、羨ましいと思っていただろう。
さくらは、同じ家に暮らす人々を、何人も見送るばかりで、いつも取り残されてきたから。
「…ひいおばあちゃんが幸せだって言ってくれるのなら、俺は泣くかも知れないけど、それでいいよ」
「ありがとうね、稔流ちゃん。稔流ちゃんも、幸せになりなさいね。死ぬのは年の順であって欲しいと願うものだ。特に、親になるとね。でも、そうは行かない時もある。いつどんな時にも、幸せだと思って逝けるように、我慢することを当たり前だと思ってはいけないよ。好き合った人がいるなら、一緒に幸せになることを、諦めてはいけないよ。せっかく、昔よりもずっと、人生を選べる時代になったんだから」
「…うん」
稔流も微笑を返した。
「ありがとう、ひいおばあちゃん」
さくらを待つ。信じて待とう。
帰って来たなら、話してあげたいことがたくさんあるから。
もう一度、この椿の花を届けたい。
真っ白な髪も、母親の『ましろ』という名前の、本当に雪の白だったことを、教えてあげたい。