第69話 学校で怪談(八)
平坂トンネルは、村と《外》を繋ぐ為に十数年前に作られたトンネルで、それまでは昔からある崖っぷちの道を通って迂回しなければならなかった。
そこで語られる心霊現象とは、雨の夜に《外》のタクシーが白いワンピースを着た長い髪の女に「天道村まで」と言われて不審に思いながら乗せると、平坂トンネルを通り抜けた所で「ここで停めて……」という声がして車を停める。
しかし、後部座席にはもう誰もおらず、代わりに座席がビッショリと濡れている。……というどこかで聞いたような話。
或いは、《外》から迷い込んだ車が、平坂トンネルの前、道路の真ん中で、やはり白いワンピースを着た女が佇んでいて、慌てて急ブレーキで止まる。
女が車の窓をコンコンと叩いて「乗せてください」と言うのだが、気味が悪くて振り切ってトンネルの向こうに走り、やっと村の集落の灯が見えてきてホッとする。
しかし、運転者や同乗者はギョッとすることになる。
何故なら、車の窓という窓に、手形がベタベタと残されていたから。……という、これもどこかで聞いたような。
「私って、いつも三つ編みだけど、髪を解くと腰まであるの……だからね、顔を隠し気味にしてちょっと乱れた感じにすると、貞子みたいになるのよ。《外》に出た時に、可愛い白いワンピースを勝ったから、せっかくだし暇な時に平坂トンネルの辺りに行ってみたんだけど、通る車がほぼ全部脅えて逃げるのよね。ちょっとやり過ぎたかしら……」
・・・・・・・・・・・・・・。
「お前かアアアアア!!」
「暇な時ってどんな時だよ!夜中に親父さんがわざわざ車出して送ってくのか!?」
「お前本当に優等生か!?愉快犯じゃねーか!」
「嘘よ」
……はい?と、皆目が点になった。
文子は、淡々と言った。
「どうして、私がそんなバカな遊びをしなきゃいけないの?結局、白いワンピースの女の人って、誰のなのかしら……」
「……………………」
「ああ……それから、比良の家って、元は平家の平から来てるって言われてるでしょ?元々は『多比良』って書いてたらしいの。でも、『比良』って日本神話に出てくるのよ。地上の世界と黄泉国の間を繋ぐ坂を、黄泉比良坂》って言うの。『ひら』は境目とか断崖絶壁とかいう意味よ。トンネルが出来る前の道は、崖っぷちの道だったから、昔から何度も転落事故が起きる場所だったの……本当に、あの世行きの道ね。……おしまい」
フッと文子が蝋燭を消した。
「次どうぞ」
「お、おう……」
今、文子が一番怖いと思った寺の息子・比良真二郎。兄は無免二ケツの原付で田んぼに突っ込んだ男・比良宗一郎。
宗一郎と真二郎は、伯父にあたる本家の跡取りの弟夫妻の子なのだが、その跡取り夫婦には子供が無く、一、二、三の分家に乗っ取られる危機に陥った。つまり、稔流が天道村に来る前の、宇賀田本家とそのナンバー付き分家のような関係だ。
宇賀田本家は、稔流とその父豊の登場で表向き上手く収まったが、比良は『本家と一番血筋が近い長男』の宗一郎が、本人が知らないうちに本家の養子に出されていて、自分の未来が坊主決定になってグレた。という、ちゃんと(?)訳ありの不良である。
「なあ。俺の兄ちゃんって、二ケツで原付飛ばしてカーブ曲がり切れなくて、事故ったじゃん?そんとき、兄ちゃんの後ろに乗ってた奴が誰か、みんな知ってる?」
「……………………」
皆、我に返った。
友人の兄弟姉妹など、当然に暗記しているはずの天道村の子供達が10人も集まっているのに、誰も答えられない。誰も知らないとは、どういう訳だ……?
「……だよなあ。だって、兄ちゃんも知らないんだもん。絶対に誰かと一緒に乗ってたって、兄ちゃんも目撃者も言ってんのに、二ケツのもう片方が誰だったのかってことだけみんな覚えていないし、思い出せないんだよ。誰かが行方不明になったっていう話も出て来ないしさ。兄ちゃんも『運転してたの俺だし、補導されんのはひとりでいーだろ』って言うし、今でも謎のままなんだよな。おわり」
真二郎はあっさりと語り終えたが、全員沈黙のまま、蝋燭の灯だけが頼りの夏の教室の気温が下がったような気がした。ふたりの中学生(?)が事故に遭ったのに、もうひとりは忽然と存在自体が消えたのだ。
これは、確かに怪談だ。だが、小学生時代からのヤンキー姫華の目が、蝋燭の灯だけでもわかるくらいキラッキラだ。
「宗一郎先輩カッケー!!『補導されんのはひとりでいーだろ』とか、惚れるしかないじゃん。あたし中学卒業したら、先輩の子供孕んで村に残るのもアリだわ。真二郎、平井寺って夜這いOK?」
「生々しい事言うなヤンキー!」
稔流は、ちらりと隣を見た。
まだ何も言っていないのに、さくらが言った。
「そうだよ。『人数が減ってるのに誰なのかわからない』は、座敷童の十八番だ。皆、交通事故に目が行っていて、妖怪の悪戯とは気が付かなかった。ああ、当然私ではないぞ。平井寺のシンだ」
座敷童って原付に乗るのか……そう言えば、さくらはバスやベンツに乗っていた。
(シン君がふざけて事故を起こしたの?)
「宗一郎が下手くそなだけだ。寧ろ、シンが助けてやったから宗次郎は無傷で済んだし、シンは数えを通り越して人間の満年齢15並の遊びをやったからと、満足して童ではなくなった」
子供でなくなったら、座敷童ではいられない。
だから、シンは、遠いどこかへ去ってしまったか、ただ風に溶けるように消えてしまったか――――
今の時代ではもう、手の指の数で足りるというほど、減ってしまった座敷童。
『ひとり減っていた』のに、天道村の住民にさえ気付いてもらえない座敷童という存在は、そうして時代の流れの中で減っていったのだ。
「そんな顔をしなくていいよ、稔流」
さくらの横顔は、懐かしそうに微笑していた。
「シンは、生前も比良の子で、生きていたら『信道』という立派な名を貰って坊主になるはずだった奴だ。今頃、菩薩にでもなって何処か修行してるだろうよ」
――――そうだ。去って行く座敷童だった者たちにも、未来はあるのだ。
稔流は、さくらの手に自分の手を重ねた。
今も未来も、孤独じゃない。さくらも、稔流も。