第4話 約束
稔流は、ありったけの勇気を振り絞って、さくらに伝えた。
「約束は、守る為にあるんだ。今度は、本当に、絶対に忘れない。だから、もう一度約束を結び直したいんだ」
稔流は、もう格好悪くても何でもいいと思いながら、勢いよく頭を下げた。
「さくら、俺が大人になったら……花嫁さんになって下さい!!」
「……………………」
最初の約束から、稔流は5年分大人に近付いたのに、今言う方が恥ずかしいのは何故なのだろう?
神隠しの時の方が、見かけだけは、さくらと釣り合いが取れていた。さくらの姿も見える者がいたならば、幼い子供同士の結婚の約束を微笑ましく思った事だろう。
でも今は、小柄でも一応小学校高学年男子が、必死になって幼女に結婚を申し込んでいる、という笑われそうに滑稽な構図。
沈黙がやけに長く感じて、さくらと再会してから今まで、セミの鳴き声を忘れていたことに気が付いた。
そして、返事が欲しいくせに、その返事が怖くて、顔を上げられない。
「稔流」
「……うん」
「手を握っていなかったら、土下座しそうな勢いだったな」
「……そうかも」
「いいから、男なら堂々と目を見て話せ」
格好悪くても、男らしくなくても、初恋の女の子に臆病者だと思われたくない。
顔を上げれば、自分の方が目線が高かった。
稔流は、早産で生まれた影響がまだ残っていて、かなり小柄だ。それでも会えなかった5年の間に、稔流の方が背が高くなってしまった。
さくらは、雪の糸のような髪も、同じ色の長い睫毛も、対を成すつぶらな黒い瞳も、背丈も、きっと何も変わってはいないのに。
稔流だけが、流れた時間分、さくらから遠ざかっていた。
「あの……返事、欲しいんだけど」
「ふむ。どうしたものか」
さくらは目を細めた。
「今のは、約束と言うよりも、今時の言葉でプロポーズとかいうものではないのか?」
「……………………」
うわああああああ、と稔流は脳内で叫んで頭を抱えたくなった。
恥ずかしい。猛烈に恥ずかしい。
でも、今度はさくらは笑わなかった。
「大人になるのは、お前だけだぞ、稔流」
困ったような、慈しむような、そんな表情だった。
「私は、妖怪だ。座敷童だ。人間どころか、生き物ですらない。存在しているけれども、生きている訳ではないんだよ。長い時を渡っても、大人には成長しない……そういう存在だ。だから、いつか大人になる稔流には、私を忘れてもいいと言った。稔流の約束も誓いも、嘘と思った訳では、ないんだよ」
子供の姿をしているのに、その口調も表情も、人間の子供のものとは違う。
追いかけても追いかけても追い着けないだなんて、キュッと胸が痛くなる。それでも、
「俺は、さくらがどんな姿でもいい。さくらは、さくらだから」
「どうして、私に拘る?」
この問いは、ただ単純に、不思議だという口調だった。
「人間は、人間と結ばれるのが世の理だ。稔流の両親のように、同じ時間を共に生きてゆける相手が良いのではないか?」
「……大抵の人は、そうなのかもしれない」
稔流は、はっきりと答えた。
「でも、俺はそうじゃない。俺のさくらは、ひとりしかいないから」
「…………」
またさくらが黙ったので、稔流は緊張した。また、自分は何か失言をしたのだろうか?
だが、さくらはふふっと風の様に笑った。
「俺のさくら、か。悪くない」
「…………」
稔流は、眩暈がした。
夏の日差しのせいではない。この村の気温は、真夏でも滅多に30度の大台には乗らない。
「稔流がそう言うなら、そうなのだろうな」
さくらは悪戯っぽくそう言った。
『幼馴染』よりも、ずっとずっと、ご機嫌な笑顔だった。
「……さくら」
「何だ?」
「俺は、からかわれるのは好きじゃないんだ。勇気を出して言ったことを、はぐらかされるのも」
「…………」
「さくらから見れば、俺は子供すぎて、まともに答える価値もないかも知れないけれど、……そう思われるのは自分で自分が悔しくって――――傷付くんだ」
こんな告白は、格好悪いし情けないかもしれない。でも、伝える相手がさくらだから、正直になりたい。
「俺は、どうせ傷付くなら『嫌だ』とか『無理だ』とか、はっきり断られる方がいい」
小さなお姉ちゃん、みたいな少女の思わせ振りを楽しむような余裕など、今の稔流には無いから。
「3度目の正直だよ。4回言う勇気はないから」
稔流は、ゆっくりとひと呼吸して、言った。
「さくら。俺が大人になったら、結婚してください。俺が知っているような結婚にはならなくても」
さくらの、赤味を差した唇が、答えた。
「喜んで」
「……………………」
「何故、豆鉄砲を食らった鳩になってる?」
茹で蛸から鳩になった。多分赤い鳩だ。
「だ……って、喜ぶの!?」
「私も童女だぞ?ずいぶん長い時を渡ってきたけれども、名無しの私に春の花の名前を付けたいと思い付いたのも、『俺のさくら』と言ってのけたのも、私に求婚したのも稔流だけだ。それも三度だ」
「…………」
稔流は、自分は何て大胆なことをやってのけたのだろうか、と魂が半分くらい抜けそうな気がした。……ところに、さくらが稔流の肩にぽふっと顔を埋めてきたので、心臓が止まるかと思った。
「それに……私という妖も、さくらという名前も、約束も、全部思い出してくれて、稔流の中から私を消さずにいてくれて、……嬉しい」
「……うん。俺も嬉しいよ」
稔流は、そっとさくらを抱き締めた。
その力は、そっとそっと、何も傷付けないように。
こんなに、あたたかいのに。仄かに、花のようないい匂いがするのに。
さくらを見えない者の方が多いなんて、存在はしているのに生きている訳ではないなんて、信じられない。
でも、さくらは確かにここにいる。想い出も今この瞬間も、全て現実だった。
「俺を、ずっと覚えていてくれて、ありがとう、さくら」
幸せだと、思った。
生まれて初めて、永遠を願った。