第32話 狐の子(二)
「《僕》と同い年なのに、随分詳しいんだね。その話……誰に聞いたの?」
稔流の質問に、拓が怯んだ。クラス内から興味の気配が消えて、ぴりりとした緊張と脅えに変わった。
「別に。何となく覚えてただけで……」
「本当に?」
稔流は畳み掛けた。
「何となく?本当に?そんなに色々、はっきり覚えてるのに?《僕》でも、大人は誰も、何も教えてくれなかったのに?」
嘘は苦手だ。でも、不登校のカードをチラつかせて、孫を心配する祖父から情報を引き出した以上、無駄にはしない。
祖父が口にしたとは知られないように、祖父の名誉を守る。祖母も、曾祖母も、両親も、全部守ってみせる。
「《僕》が教えて貰えなかったのはそれは『何も無かった』、『誰にも言わない』って大人だけの秘密になったからじゃないかな?……それなのに、拓君はどうして知ってるの?」
おとなしそうな転校生が、東京から来た余所者が、宇賀田本家の《狐の子》が、無邪気に笑う。
笑いながら――――笑っていない。
「ねえ、本当の事を言ってよ。誰が拓君に話したのか、おじいちゃんに……『宇賀田の当主』に教えてあげなきゃ。誰が《約束》を破ったの?妖怪の河童だって《約束》だけは必ず守るのに……人間が、破っちゃいけないよね?」
「…………」
簡単に余所者なんて追い落とせると思っていた子供は、もう稔流の目を見ていなかった。
「うーん……、拓君が思い出せないなら、仕方がないかな」
俯いていた子供から、ホッとした気配を感じた。でも、稔流はさらりと新しい質問を切り出した。
「ああ、そうだ。拓君は、どこの宇賀田さん?」
「二番目……」
「ふうん、そう。《僕》の質問もこれで終わりにするね」
やっと安心して、宇賀田拓は思わず顔を上げた。
目の前で、きつね色の髪と瞳の少年が微笑していた。そのきつね色は金色に似て、この世のものとは思えない何か、に見えた。
金色の瞳が、全てを見透かすように、拓の目を射抜いていた。
全ての嘘も奢りも許さない。宇賀田稔流は何も言わないのに、そう言っていた。
――――人間じゃない。
怖いのに、その金の瞳から目を放すことが出来なかった。
身動き一つ、叶わない。呪縛のように。
――――神様が、いる。
神様が、怒っている――――
金色の目がスッと細められて、狐の子は言った。
「……次は無いよ。二番目の拓くん」
客人と村人ではなく、宇賀田本家の狐の子とたかが分家との対決にすり替えられた勝負は、宇賀田稔流が圧倒的な力を見せつけて終わった。
この噂は、数日で学校全体で共有されるはずだ。今後、宇賀田稔流を絶対に敵に回してはいけないと。
「先生」
稔流は、何事も無かったかのように担任を振り返った。
「《僕》の席はどこですか?」
31人クラスなのに、どういう訳か空席がランダムに五つある。
「あ、俺の隣来いよ。一応学級委員だからさ」
座っていても長身だとわかる少年が、手を挙げてニカッと笑った。
「俺も質問。稔流の好きな女のタイプは?」
「……え?」
これは、予想していなかった。でも当然に、稔流の頭をよぎったのは、さくらだ。
さらさらした雪の糸の髪。同じ色の長い睫毛。黒い宝石のようなつぶらな瞳と涼しげな目尻。
色白の頬は、冷たい雪ではなくほんのりあたたかく柔らかで、唇は血の気を透かして赤味を差して……
全ての面影を網羅するまで3秒。稔流は言った。
「綺麗な人」
「…………」
学級委員の少年は、笑い出した。
「ズバリ言うなー。ルックス重視?」
「さあ……。女子も背の高いイケメンとか思ってるから、別に良くない?」
「それな。ってか背の高いイケメンって俺じゃん」
「そうだね」
稔流は、ノリの良さそうな少年の隣の席に座った。
「俺は、鳥海雄太。大彦って呼ばれることもあるけど、どっちでもいいよ。って訳で、稔流の友達第一号は俺な。これからヨロシク」
さりげなく、稔流が最初に関わった宇賀田拓を外している……のは、拓を見放したのではなく、ふたりの喧嘩を無かったことにして、学級委員らしく庇ったのだろう。
「うん、よろしくね」
稔流は、長身の少年の一回り大きい手と握手をした。
波乱の自己紹介の後、担任が今日の予定を話し、始業式の為に体育館への移動となった。
隣を歩く鳥海雄太を稔流は見上げた。やはり、頭ひとつ分背が高い。
「さっき言ってた大彦って?」
「あー、長男とか、跡取りとか、王子とか、そんな感じ」
つまり、大彦を名乗れるのなら、鳥海雄太は《本家》なのだろう。
「王子って何?」
「アハハ、うちの家ってさ、天皇の前に大和の王様だった人の末裔っていう、盛りまくった設定なんだよな」
「案外、盛ってないかもよ?登美長髄彦の子孫って、あちこちにいるみたいだから、一族が分散して生き残っているのかもしれないね」
「あ?長髄彦知ってんの?」
雄太の目がキラキラになった。盛りまくったという割には嬉しそうだ。ご先祖様が大好きらしい。
「王の末裔の鳥海って聞いたから、面白そうだなって調べてみたんだ。神武天皇に従わなかったからって、第二次世界大戦まで逆賊って言われてたけど、今でも奈良の本拠地に住んでいる人は誇りに思っているんだよね。本当は長髄彦が大和の大王で、自分の国を守ろうとした英雄だったんじゃないかな」
「そーそー、大王って書いて『おおきみ』で英雄な!わかってんじゃん!」
喜ぶ鳥海雄太は、嬉しそうに稔流の背中をバンバン叩いた。今日は、何だかよく背中を叩かれる日だ。
こんなに喜ぶなら、本名よりも大彦と呼ばれるのが好きなのかもしれない。
(学校でも、友達が出来るといいねえ)
ふと、曾祖母の言葉を思い出した。大彦なら、いい友達になれる予感がした。
(お嫁さんはひとりしか選べないから、女の子と仲良くなる時には気を付けた方がいいねえ)
これも大丈夫だ。
小学生でモテるのは、足が速くてスポーツが得意なタイプだ。稔流は徒競走でビリになったことしかないので安心だ。
大丈夫です、ひいおばあちゃん。
どこまで気付いているのかわからないけど、俺の花嫁さんはさくらだけです。