67.ウルカヌス おまえは凄い
「ごめんなさあーい。辛い過去を思い出させてしまってぇ―――っ!!」
泣いているアドリアーヌに抱きしめられて俺も我慢ができない。大声で泣き始める。
「結さん、結さんっ 結さ―――んっ!!」
どのくらいの時間が過ぎたのか。泣き続けたおかげだろうか。いや、人に聞いてもらったおかげかもしれない。なんだか俺の奥底に重くのしかかっていた物が軽くなったような気がした。
「ずっと聞いてくれて、ありがとう。」
「つらかったでしょう? いつでも私の胸で泣いていいのよ。」
「結さんと妙は、生まれ変わって幸せに暮らしてるんだろうか。」
「きっと、幸せに暮らしてるわよ。もしかしたら匠さんと家族になってるのかもしれないわよ」
「うん、今の俺にはそう願うしかできない。」
偶然にもこの世界に生まれ変わっていたとしても、顔を合わせても認識はできないだろう。みんな幸せになっている事を祈ろう。
「結さんは自分が死んだら読んで欲しいと、親方の娘、はつゑに俺達の秘密を手紙に託してたんだ。」
「もう家庭を持つなんて考えもしなかったけど、はつゑに押し切られるような形で嫁にもらうことになった。」
「その後は、十分に幸せな人生だったかな。子をなして、その子供達も家庭を持ち、孫ができ、曾孫の顔も見れた。」
「結さんが死んだ時は自分の人生も終わってもいいと思ったんだけど、はつゑのおかげでいい人生を送れたと思う」
「でも、長生きなんてするもんじゃないな。大事な人がみんな俺より先に死んでしまうんだ。はつゑも看取ったし。」
「それはしょうがないことでしょう。ショウも誰かに看取ってもらったんでしょう。順番なのよ。」
「いや、俺はマラソンで完走メダルを首に掛けてもらった後の記憶が途絶えてるから、誰にも看取られてないな。」
「なに、マラソンって。」
「趣味で市民ランナーをやってたんだ。好きなことやってたじじいが突然死したんだよ。それはそれで、幸せって言えば幸せだったかな。」
「そっ、そうね、そこまでの年齢で好きなことをやり続けるなんて、簡単にできることじゃないわね。素晴らしい人生を送ったんじゃないの。」
そうだ、その人生の中で体験した・・・ あの世界では理解できない事・・・
この世界には魔法がある。アドリアーヌに聞けば説明が付くかもしれない?
「その長い人生の中で、一度だけ恐怖体験をした事があるんだ。あの世界ではあり得ない事が目の前で起きたんだよ。」
「あり得ない事って?」
「あの時はまだ若かったな。高度経済成長からバブル景気に移り変わる頃だったと思う。
空間が裂けたとしか言えないような事が目の前で起こったんだ・・・・・ 真っ黒な亀裂が空間を走ったんだよ。なんの音もしないで、目の前に見えてる風景が紙のようにべりべりと裂けていったんだ。」
「そんな、空間が裂けるだなんて、この世界でもあり得ないわよ。」
「そうかな。普通に魔法がありふれたこの世界なら、空間を引き裂く魔法もあるのかもしれないだろ。」
「そんな危険な魔法、聞いた事もないわ。」
「有るか無いかは問題じゃない。俺の目の前で起きたんだよ。そこに通学途中のセーラー服の女の子が巻き込まれた。」
「ちょっ・・・・・ どうなったのよ、その子。」
「危ないっ!!、って声を掛けたんだ。それ以外の言葉を発する間もなかった。その女の子はポカーンと俺を眺めたまま、まっぷたつに裂けたよ。」
「死んじゃったの?」
「ああ、俺は警察に連行されて事情聴取という名の取り調べだよ。おまえがやったんじゃないのか、ってね。最終的には人の手でできる事ではないと疑いも晴れたけど、この世界で考えればあれは魔法だったんじゃないかって思える。」
「そんな事件聞いた事はないわよ。」
「テレビや新聞でも『まっぷたつに裂けた少女』として取り上げられたけど、あっという間に人の口に上らなくなったな。都市伝説にもならなかったみたいだ。その後に流行った『口裂け女』がもしかしたら『裂けた少女』を元にしてるのかもしれないんだけどね。」
「あ、知ってる。『口裂け女』は聞いた事あるわ。」
扉がノックされる。
「夕食をお持ちしました。」
マーシェリンが入ってきてテーブルの上に置かれた手つかずの冷めた昼食を片付け、暖かい夕食を用意する。
「アドリアーヌ様もこちらで食事をされると思いまして、用意致しました。」
「ありがとう、気が利くわね。」
アドリアーヌと一緒に泣いてスッキリしたおかげなのか、空腹感を強く感じる。昼食食べてなかったしな。
「ショウ、おなかすいたでしょう。頂きましょう。」
「いただきまーす。」
「イブリーナの弟、バーミリオンがショウとお話をしたって言ってたわ。」
「いけなかった?」
「はっきりと、しゃべってはいけないと止めてなかったし、まあしょうがないと諦めたわ。バーミリオンは他の友人にその話を広めてしまったし、もう秘密にはできないと思って、子供部屋にいた全員に教えてきたから皆ショウと話したがるわよ。」
「それもまた面倒だな。もう子供部屋は行くのをやめよう。」
「駄目よ。人との会話は重要よ。せめてアルディーネ様がいらっしゃるまでに上品な言葉使いを覚えて欲しいわ。」
また扉がノックされる。マーシェリンが来客を告げる。
「アドリアーヌ様、ウルカヌス様がいらっしゃっています。入って頂いてよろしいでしょうか。」
珍しい来客だ。ウルカヌスはめったに俺の所には来なかったのに。アドリアーヌが止めてたのかな?
アドリアーヌが複雑な視線を俺に送りながら、マーシェリンに答える。
「入れてちょうだい。」
ウルカヌスが一人で部屋に入ってくる。お付きの者は外で待機のようだ。
テーブルまで歩いてきて、母親に座ってもよいかと尋ね、アドリアーヌもどうぞ、と答える。
まだ5歳の子だよ。大人用の椅子は高さが低いだろ。座布団置いてやれよ。
触手で座布団を取ってきて椅子の上に乗せてやる。二枚もあればいいか。
ウルカヌスが息を飲み、目が俺とアドリアーヌの間をさまよう。
「ショウ、気を遣わせてしまったわね、ごめんなさい。
ウルカヌス、そこへ座っていいわ。どうぞ。」
「・・・・・ い、今のは、ショウがやったのですか。」
「ええ、ショウはあなたの考える範疇には収まらないわ。とても優秀な子供だって、子供部屋でも言ったはずよ。」
「そんな冷たい言い方するもんじゃないでしょ。アドリアーヌの愛する分身だよ。もっと優しく接しなさいよ。」
「お母様っ!! 本当にしゃべるのですねっ。」
「立ち話も何だから、さっさと座れば。座布団乗せてあげたんだから。」
ウルカヌスがよいしょと椅子によじ登る。触手を繰り出し座布団がずれないように抑えてやった。母親がやるべき事じゃないか?
「ウルカヌスは夕食は?」
「もう頂きました。」
「それで、俺に用なの? アドリアーヌに用なの?」
「両方です。今日、子供部屋でショウがとても優秀な子供だとお母様に聞きました。そんなに優秀な子供を養子に迎えたのです。次期領主として迎えたのかと思いました。」
「無い無い。そんなもの押しつけられたら、さっさと逃げ出してやる。」
「私はショウに嫉妬しました。それをお母様に言ったら、お母様もショウは逃げてしまうと言いました。」
「アドリアーヌはよく分かってるじゃない。」
「でもっ、私よりも優秀な子供なのでしたら、私ではなくショウがこのテルヴェリカ領の領主になるべきだと気付いたのです。」
何言ってんだ? こいつ。俺に面倒事を押し付けようとしてんのか。押し付け合いになったら、俺は逃げ出せるけど、ウルカヌス、おまえはどこにも逃げられないんだぞ。
どうすんだよこれ、なんとかしろよ、って顔でアドリアーヌを見たら、ようやく口を開く。
「ウルカヌス、私は優秀さだけで領の運営ができるとは思っていません。あなたには権力者側の傲慢さを身につけないように教育してきたつもりです。これからもテルヴェリカ領のよい領主となれるように教育していくつもりです。」
「では、私はショウを超えられるのですか。」
「ショウと競い合うのではないのです。自らがショウより劣ると思うのなら、ショウに学ぶ事も必要です。あなたを指導してくれる優秀な先生にもなりますよ。」
「なに勝手なことを言ってるんだよ。そんな煩わしいことやんないぞ。」
「あら、アルテミスには文字を読む指導をしてあげてたじゃない。おかげで絵本は全て読めるようになったみたい。」
「アルテミスに? ショウ、私にも何か教えて頂けるのですか。」
「俺は何もしてないよ。アルテミスが自分で努力したんだよ。ウルカヌスだって人に教わるばかりじゃなくて、自分で調べて答えを導き出せるような努力はするべきなんだ。」
「努力してもどうにもならないこともあります。」
「それは自分で壁を作ってしまっているんだ。目の前に立ち塞がる壁を見て、乗り越えられないと決めつけているんだろう。」
「壁?」
「そう、壁。その壁が見上げる程の壁だったとしても、越えるべき壁だと認識するか、こりゃ無理だと諦めるか、本人の考え方次第だよ。」
「魔力操作のしかたを、5歳になって教えられるようになりました。さっきショウが魔力を使って座布団を取ってくれました。私ではあんな自在に魔力を操ることができません。これは努力して乗り越えられるものなのですか。」
「・・・・・・・限りない反復練習だな。俺が教えても、」
さっと手が上がりアドリアーヌが俺の言葉を止める。
「ショウには魔力操作を聞くのはやめなさい。」
「お母様、何故ですか。あれほど鮮やかに魔力を操れるのですよ。教えて頂いてもよろしいのではないでしょうか。」
「危険なのです。」
危険ってなんだよ。そんなに危ないことやってないぞ。
「以前に城内で巨大な魔力のうねりが起きたのを覚えていますか。」
「ええ、神が降臨なされたのでは、と噂になっていました。」
「ショウが一人で引き起こした事です。」
あー、そんなことあったね。
ウルカヌスが息を飲んで俺を見る。
「あれは、些細な事故だ。」
「どこが些細なのっ!! あれを止めるためにショウの命を消す覚悟で、あなたの元へ走ったのよっ!!」
「アドリアーヌになら殺されてもいいって言ったろ。」
「待って下さいっ!! お母様もショウも、命を消すとか殺されるとか。家族なのですよ。」
「ショウの魔力の扱いは、そのくらい危険なのです。」
「その時だけだよね。」
「天空に魔法円が輝いたのも、ショウのやった事でしょう。」
「・・・・・あれは、原初の女神のトラップにはまったんだ。俺のせいではないと思うよ。」
「原初の女神とはなんなのですかっ? 書物には載っていません。」
「12神の上、上位存在がいらっしゃった、とショウが確認したようです。」
「・・・・・・・上位存在・・・・・ですか。」
「それは、徐々に人々に周知させていくつもりです。突然発表したら混乱が起きるでしょう。」
「その存在から生まれたのが、近くにいるぞ。」
お出掛けしていたアシルが帰ってきた気配があるけど、ウルカヌスがいるのを見て遠慮しているようだ。
「アシル、ウルカヌスに挨拶していいよ。」
「えー、いいの?」
カーテンの陰から跳んできてテーブルの上に立つアシル。顎が外れたかのように口が開き凝視するウルカヌス。
「あたしはアシル、よろしくねっ。」
ウルカヌスが大きく見開かれた目と口で、ギギギッと音が聞こえそうな感じで首をアドリアーヌに向け、またアシルに顔が戻る。
「原初の女神様の魔力より生まれいでた、本の精霊『アッシュールバニパル』様です。ウルカヌス、ご挨拶をなさい。」
はっと我に返ったウルカヌスが慌てて椅子を降りる。
貴族としての礼を尽くし、腰を折る。
「テルヴェリカ領領主、アドリアーヌ・テルヴェリカの長子、ウルカヌス・テルヴェリカにございます。」
「堅いよっ!! あたしはもっとフランクがいいよっ!!」
「え?」
「それはしょうがないと思うぞ。貴族として生まれてきて、貴族としての教育を徹底的に詰め込まれたその結晶が、このウルカヌスなんだから。俺とは違うんだよ。」
「ショウにも貴族としての教育を始めますよっ。」
「えーっ、あたしのショウがつまんない奴になっちゃうじゃない。」
「それはしょうがないのです、アシル様。ショウがこの先、生きていく上で貴族同士の付き合いも必ずあります。その時のために必要な事なのです。」
「まあ、そういうことらしい。けど、いつから俺はアシルのショウになったんだ?」
アシルが、えへへと笑ってごまかす。まあいいか。それよりもウルカヌスだ。ポカンとした顔で直立不動のまま固まってる。
「ウルカヌス、もういいから、座れば。」
「あ、はい。」
今度はアドリア―ヌがひょいと抱き上げて椅子に座らせる。
「私はショウを弟として可愛がってあげたかったのですが・・・・・ 神の上位存在とか、精霊とか、普通の人が考えも及ばない・・・・・ ショウは、普通からかけ離れた存在だったのですね。」
「そうね、私が最初に顔を合わせた時から普通ではありませんでしたからね。」
「お母様、最初とはいつなのですか。」
「巨大な魔獣を追ってイクスブルク領からテルヴェリカ領に侵入して、その巨大な魔獣を倒した時ですね。」
「赤ちゃんですよ。どうやって・・・・・ まさかっ、神の御使い様では、」
「違うよっ!! 普通の赤ん坊だよっ!! 普通に接してくれていいよっ!!」
「そんな、普通の赤ちゃんはいませんよ。私ではどんなに頑張っても、ショウに追いつくことさえできないと分かりました・・・・・
では、失礼します。」
椅子から降り、うなだれたまま、とぼとぼと扉に向かうウルカヌス。慌ててアドリア―ヌが後を追う。
うん、母親なんだから愛息にフォロー入れるべきだよね。ちゃんとウルカヌスを持ち上げとけよ、と思っていたら扉のところで振り返って、釘を刺された。
「明日はヴァネッサが来ますからね。ちゃんと朝、起きていてね。」
そうだよ。教育係が来るんだよ。赤ん坊は睡眠が重要だと思うのに、朝起きて待ってないといけないって、幼児虐待だよね。ウルカヌスもアルテミスもこの虐待をクリアしてきたのか? それは誇ってもいいぞ。ウルカヌス、おまえは凄い。




