65.シベリア抑留
ショウのベッドの横でマーシェリンが椅子に座っていた。
「どうかしら、ショウは起きたかしら。」
「お目覚めにはなりました。でも、食事を摂って頂けません。」
テーブルの上には冷めた食事が手つかずのまま置かれていた。
マーシェリンと私の護衛達には部屋から出てもらいましょう。ショウと二人だけで話したいわ。
「ショウ、ごめんなさい。今日は辛い過去を思い出させてしまったようだわ。でも決して悪気があったわけじゃないのよ。喜んでもらえると思ったの。」
反応がない? 何も言わずにここを逃げ出すのかしら。しばらくの沈黙のあと、
「アドリア―ヌ、」
「なに?」
「たくさん、人が死んだ・・・・・・・ 守りたかった人も死んだ。 俺は生き残った・・・・・ 」
「一体、何が・・・・・ いえ、聞かないわ。話したかったら話して。でも無理はしないで。辛かったら話さなくてもいいのよ。」
「以前に、俺の前世の話を聞きたいって言ってたよね。」
以前に95歳まで生きてたって、言ってたわね。長く生きてれば辛いこともたくさんあったんでしょうね。どんな人生だったのかしら。
「俺、昭和一桁世代なんだ・・・・・ 正って名だった。匠って兄貴がいて・・・・・ 兄貴に赤紙が来たんだ。」
「あかがみ?」
「召集令状だよ。戦争に民間人を強制的に兵隊として送り込むんだ。」
「兄貴はもう結婚していて、結さんが・・・ 義姉さんが・・・ 肩を震わせて、声も出さずにぼろぼろ涙をこぼしてた。」
「結さんは・・・ 正ちゃん、て呼んで可愛がってくれてた。 大好きだったんだ。結さんを泣かせたくなかった。」
ショウって名はそこからだったのね。
「わしがアメ公をぶっ殺しに行ってやる。兄貴は大工でもやっとけっ!! そうやって啖呵切ったんだ。」
「大工?」
「ああ、親父が大工で、親父について兄貴も俺も大工だった。 俺はまだ15歳だったけど、兄貴の栄養が全部弟に廻っってるって言われるぐらい大きかったんだ。身の丈5尺8寸の大男とか言われていたよ。」
5尺8寸がどれくらいか分からないけど、話の腰を折れないわ。すごく大きかったと思っていいのね。
「普通に考えて身代わりで兵隊に行くなんてありえないんだけど、国中がゴタゴタしてたからな、 匠として戦争に行くことになった。 人を殺したかったわけでも、戦争に行きたかったわけでも無かった。 結さんが泣くのを見たくなかったんだ。」
まさか、戦争経験者だったなんて思いも寄らなかったわ。
「フィリピンへ行く船の中で、鬼軍曹が新兵に訓練だと言って、銃の手入れをさせたんだ。 銃弾は入っていないはずだった。でも、後ろの奴の銃が暴発して 俺の脚を撃ち抜いた。」
「その後、傷が化膿して、生死の境をさまよったらしい。 意識が朦朧としてその時の記憶が残ってなかった。 意識が戻った時には、もう輸送艦は帰路についてた。」
怪我はしたけど、戦争は行かずに済んだのね。
「輸送艦は満州国へ向かってた。物資補給だと思う。満州国で関東軍の将校が、俺が大工だと聞いて、関東軍で預かる、と言われて強制的に満州国に残ることになった。」
「15歳って言ってたわよね。そんな若くて大工さんの仕事はできたの。」
「尋常小学校出てから3年以上大工やってたから、仕事は覚えた。」
「そんな小さい時から働いていたのね。」
「子供だって、皆普通に働いていた時代だったかな。」
「建物建設や修理工事に、民間の職人達と携われた時は楽しかったよ。親元にいた時に覚えられなかった仕事も、たくさん教わったしね。」
「そんな中での日本の敗戦。そこにつけ込んだソ連軍が満州に侵攻してきた。その前からソ連が攻めてくるって話はあったんだ。」
「関東軍は民間人を避難させるために徹底抗戦したんだ。後方にいた兵隊達も列車に詰め込まれて前線に送り出された。けど、戦闘は終わっていて、そのまま列車から降ろされることもなく西へと走った。まわりの皆が、もう日本に帰れない、って絶望してた。」
「ソ連軍は民間人まで連れてったんじゃないかな。特に女達をね。」
「その後は捕虜としてシベリアに抑留された。地獄だったよ。俺たちはただで使える労働力として連れてかれた。扱いは家畜以下だったんじゃないかな。食糧配給はろくなもんじゃなかったし。豚もそっぽを向くような食い物しかなかった。」
「夏の満州で捕まって、シベリアで冬を迎えた。持ち寄った米でなんとか食いつないで昼飯に握り飯を持って作業に行くんだ。あまりの寒さに握り飯が凍ってた。凍った握り飯を噛み砕きながら生き延びたよ。それだけの寒さの中、弱い奴から空腹と寒さでバタバタと倒れていったよ。
・・・・・だから・・・・・ 俺の中で握り飯は・・・・・ 恐怖の思い出が強いんだ。」
ごめんなさい。そんな辛いことがあったなんて。私の出したおにぎりで思い出したくない過去を思い出させてしまったのね。涙ががこらえられない。
「隣にいた仲間が倒れて動けなくなった時に、ソ連兵に身振り手振りで助けてくれって訴えたんだよ・・・・・ 俺はいきなり蹴り飛ばされて、仲間は銃床で殴られて息を引き取った。ソ連兵が何か言ってた。理解はできなかったけど、埋めとけとでも言ったんだろうと思う。」
「埋める前に、死人の身ぐるみを剥いで裸にして埋めるんだ。死人に服は必要ないからね。生き延びるためにはそのくらいは平気になってたな。」
「長い抑留生活が終わって日本に帰ってくることができたけど、俺の見慣れた町並みは崩壊していたよ。」
「今にも吹き飛びそうなバラック小屋が立ち並ぶ間をさまよい、父さんや兄貴、結さんを捜し歩いた。」
「自分が住んでた家が、どこにあるのか分からなかった。見当を付けて歩き回るしかなかった。」
「声を掛けられた。『兵隊さん、遊んでいかないかい。』
とても女郎には見えなかった。薄ら汚れた服で、顔色は悪く、頬はこけ、今にも倒れそうな女は・・・・・ 結さんだった。」




