表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/32

初陣 4月 -2-

 カバンに荷物を積めて、立ち上がる。その際、テツトはカエデに先に帰って、彼女の両親にこれから訊ねる旨を伝えておいて欲しいと頼んだ。京都管轄局へ寄るためである。カエデはつまらなそうに唇を尖らせたが、了承した。ジュンヤにも、ここで別れること挨拶をしたが、首を振った。


「せっかくだからオレも着いていく」


 そう頑として譲らなかった。


「管轄局にいけば、深宮綾乃が居るかもしれない。こういう機会を逃すのは、悪やからな」

「さよか」


 万が一でもないと思えたが、相手をすることは止めた。ただテツトの寄る処はそれだけではなかった。


 鴨川東沿い、河原町から三条大橋を渡った先に広がる鴨東は、すぐ南に祇園が控えている。古門前通りの骨董街まで、歩いて五分も要しない。そこをテツトの父である秀幸が見逃さない。


「親父の馴染みの骨董屋で一つ品を引き取ってから、管轄局に寄ることにになるからな」

「そら仕方ないね」

「で、カエデの処に寄ってから、午後六時には四条烏丸のテナントで商談やから。あんまり時間は食えへんぞ」

「そらそうよ。あくまで付き添いや。判っとる。それに、今日だけやないやろう」

「そら、まあ、そうやけど」


――ならば、わざわざ今日に着いてくることもあるまい。


 心内でそう呟きながらも、口に出してまでして、わざわざ言い返すことはしなかった。言葉の含みを考えれば、今日以外でもついてくるとの宣言でもあった。


 知恩院へと向かう古門前通りに出る。春の午後二時過ぎだというに、薄暗い路であった。陽の前に雲があるのも関わっているだろう。顔を上げて見やれば、電線が空を断つように張り巡らされている。ひびの入ったようなアスファルトの色と相まって、通り全体が黒ずんでいるようである。幼少の頃より、行き来していた路ではあるが、未だに慣れをテツトは覚えなかった。


「まあ、ギオンは社会人に成ってからってことか」

「そもそも骨董街を歩く学生というのが異端や」

「ここが祇園っていうのか」

「もう少し、もう少し南を踏み込んだ方がいいんやろうけどな」


 ジュンヤとテツトがまっすぐに歩いているのに対して、サナは幾歩も後ろで、左右にふらふらと振られながら骨董屋の棚頭を眺めまわしていた。


「これホンモノ?」

「博物館で観たことあるけど、これ売りモノなの?」


 そんなことを逐一、口を開けて言い放つサナに対して、テツトは面倒を覚えていた。毎年のように誰かしらはそんな反応をしている。始めは丁寧に相手していたが、今は後に約束がある上に、煩わしさがあった。適当な相槌を投げやりながら、歩を進めた。若冲の掛け軸だろうと、金襴豪華な鍋島焼の大皿だろうと、三千年昔に造られた饕餮青銅器だろうと、骨董屋が棚に置いていれば真贋に関わらず商品となる。


「そういや、オレも昔はああだったな」


 ジュンヤがそう漏らしていた。テツトは無視を決め込み、相手にしなかった。中学生の頃から彼はテツトの後に着いてきていた。有難い反面、心内に納まりの悪い感情が澱として落ちていくのを覚えていた。


 目的の骨董屋は灰色のテナントビルの中にあった。埃だらけの階段を上っていき、曇りガラスの扉を開く。


 店内はさっぱりとしていた。塵やごみは見当たらず、解れもない。木彫の壁紙で、いたって清潔にされている。十畳ほどの広さに、棚には拳ほどの大きさの椀や小壺が並べられている。金色の亀裂の入ったものや、仏が刻まれた石も置いてあった。テツトの後ろに控えていたサナはするすると奥に入っていき、陳列の品を眺めていった。石仏に手のひらより地位かな観音立像も据えられているが、茶碗が多く並べられている。ナリも大小も色合いも。箱と共に陳列されているものもあれば、金の亀裂の走った茶碗が無造作に置かれている。


「こんにちは」


 テツトがそう声をかけると、髪を短く刈り上げた老年の男が奥から顔を出してきた。


「おお、桑嶋のぼんか。いらっしゃい。お友達も一緒とは、商売繁盛やな」


 言いながらのっそりとした動きで身体を表す。男は色剥げた作務衣を着ていた。


「せっかくだから、奥で茶でも飲んでいくか?」


 無造作な口ぶりで、顎を振って男は現れた先を促した。テツトは両手を受け止めるように出して、淡々と頭を下げて断った。


「これから別の用事がありまして。お誘いはありがたいのですけれど」

「そうかい。なら、仕方ないな」


 テツトが慇懃に返事をした。男に表情の変化はなかった。


「親父の遣いやろ。ならコレや。持って行ってくれ。払いはいつもの通りの振り込みでええと伝えておいて」


 ごそごそと手元を探り、一つの木箱を取り出した。緑の紐でくくられた拳より一回り大きな木箱であった。


「じゃあ、森末さん。一応、検めさせていただきます」


 テツトは受け取るや、紐をほどいて箱を開いた。森末は腕を組んだまま、テツトの手元に眼を向けるだけで、特に何も言わなかった。

 どんぐりを大きくしたような楕円形の容器が織りの瀟洒な袱紗に包まれていた。クリーム色のような蓋が添えられている。触るまでもなく、テツトにはそれが象牙であると直感的に察していた。


「茶入やな」

「京焼の茶入や。父の連絡通りです」


 軽く見回した後、袱紗に包み直した。箱に戻す際には、蓋の表裏をちらと確認する。


「そういうことして、大丈夫なの?」


 サナが声をかけてきた。


「昔、箱に違うものが入っていたことが何度かあったんや」


 男がしゃがれた声で恬淡と言った。

 何年前の話だろうか。夜更けだったのを覚えている。――なんで確認せんのや、と耳をつんざく怒号は今でもテツトの脳裏に残っている。


「その度にぼんが、走らされてな。申し訳ないとは思っているけど」


 従来ならば、箱を渡してそれでおしまいだった。二か月後に品の代金が振り込まれているまで、何も言わないでも通っていた。


「店頭に出しっぱなしだとは思いませんでしたよ」

「あの時はホント申し訳なかった」


 その時は冷たい風が吹いていた。電車を使うにも、バスを使うにもテツトは財布を持っていなかった。円町から祇園までを走って往復した。肺腑の底から饐え蒸した息だけが出てきていた。ふらふらと三条大橋を渡る際には、涙が出ていた。叫ぼうにも喉から音が出ず、痛みだけが身体を襲った。以来、テツトは必ず物の中身を確かめるようになった。


「それでは、こちら父に渡しておきます」

「ねえ、これって幾らなの?」


 無邪気な声だった。サナがひょいと首を出して、テツトが手元の箱を指さしていた。途端に森末の口元がにやりと歪んだ。ジュンヤは渋い顔を作り、テツトはため息を吐いた。


「お嬢ちゃん、幾らだと思う?」


 森末はそう返した。サナはしばらく木箱と森末の顔を交互に見比べた。腕を組んで考え込んでいるようにではない。ひたすらに戸惑っている。テツトは一目でそう察した。


「幾らなら買う、それでもええ」


 助け舟のつもりで、サナに声をかけた。


「なら、一万円ぐらい」

「安く鑑られたもんや」

「だって、茶入なんて持っててもどうしようもないし…」

「そら違いない」


 正直に話すサナに対して、森末は両肩を小刻みに揺らしながら笑っていた。


「森末さんの仕入値は三十万ぐらい。父はそれを茶会の入用だと訴えるご婦人に五十万で売る。で、四十万を森末さんの口座に振り込む」


 木箱をカバンの中に納めながら、テツトが呟くように応えた。


「さすがやな。まあ自分の取り分もそんなもんやろ」

「決まっていないんですか?」

「決まっとらんよ。それが自分と碧山堂さんとの信用や」

「はあ」


 サナが生返事をする。森末はにっと笑みと携えていた。


「決め手はなんや? やっぱり、秀幸さんが買う、からか」


 テツトは口を噤んだ。箱の中身の茶入れだけならば、自分は幾らと応えていただろうか。そんな余計な問答が脳裏を過った。箱の蓋裏に墨書きの花押があった。見覚えはある。どこかの、何代か前の家元の花押である。瞬間的に、数人の顔が浮かんだ。父の知り合いであり、茶道を嗜んでいる、高齢者の男女の顔である。


「――そうですね」

「森末さんが売りにいけばいいのに」


 噛み締めるように応えるとともに、サナが口を出してきた。森末は笑みに苦みを含ませた。


「それができたらしているよ。自分はまだ信用が足りていないからな。だから、秀幸さんを頼ったんや」


 森末の言葉に、サナはふうんと鼻を鳴らした。


「そろそろ行こか」


 カバンを持ち直して、森末に頭を下げた。森末は小さく手を振って応えてくれた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ