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Live for Win 8月

 座っていても、汗が流せるような酷暑だった。窓を開けて、風を通すように努めていても、舌を出してまでして冷を求めたくなっていた。

 朝の早くから尖りを持って燦々と輝く陽と、抜けるような青い空が広がっていた。五時に起きても空が青かったのだから、敵わない。テツトは頭を掻きながら、帳簿とスケジュールの確認を行っていた。

 ちらと横目でガラスに映る自分の顔を見てやれば、犬のような情けない顔をしていた。


 テツトはモニタを切って立ち上がった。帳簿の整理をしていた。両手を組んで、つま先立ちで伸びをする。


 資金は三十万円を切っていた。楽観はしていない。しかし、必要以上に急いてもいなかった。


――もう終わりかな。


 サナに帳簿と出納の推移グラフをみせると、そんな言葉を漏らしていた。


――これから始めるんや。


 テツトはそう言い返して、サナの瞳を睨んだ。曇っているワケでもない、凪のようでもない。落ち着いた穏やかな色をしていた。彼女自身も終わったとも何とも思っていないと、テツトはそう察した。

現に、テツトの持ってくる仕事に対して、彼女は一切拒まず、表情も歪めずに、精力的に引き受け、こなしている。評判は良好だった。


――時運の趨く処、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、や。

――以て萬世の為に太平を開かんと欲す? 止めてよ。未だ始まっちゃいないんでしょ。


 そんな言葉を交わしていた。笑っているのか嘲っているのか判らない、引き攣り顔を見せ合っていた。


――そうやな。これからや。これからがいよいよ勝負やな。

――今度は負けないよ。

――そこは、勝つって宣言してくや。


 サナと綾乃の試合は評判となった。良くも悪くも、サナは有名となった。管轄局より一か月間の試合停止を受けているが、広告媒体として起用したいとの旨のメールが十件ほど届いている。

 スポーツジムや道場からの声掛けが多かった。試合で繰り広げたフィジカル面を高く評価されての結果であった。

 条件やサナの要望を組して、スポーツジムと契約を交わした。週に一度、一時間以上ジムのメニュー通りにトレーニングを行い、ダイエットの結果を出すこと義務付けられたが、サナは喜んで引き受けた。

華奢とは言わないが、無駄のない身体をしているサナにどこまでダイエットが必要なのだろうか、とテツトは訝しげに思えたが、本人が乗り気なので、契約書に印を捺した。


 また学校からも毎月一定額がサナの元に振り込まれる運びとなった。理事長や教師の有志がカンパするそうだ。その代わり、積極的に鴨東高等学校の名前を売ること、校風のイメージ良化を厳命された。


 これで無駄遣いさえなければ、支出より収入の方が多くなる。借金の返済計画も卒業までに完遂できるよう組めている。気を緩めるつもりはないが、目途が見えてきた。


「テット、今日の予定は?」


 風が抜けるように窓を開けっぱなしにしていた。そこにひょいとサナが顔を出した。ランニングから帰ってきてシャワーを浴びた後なのだろう。タンクトップとショートパンツの雑な格好をしていた。頭にはバスタオルをひっかけたままであった。


「午後からイベント参加や。鴨川の清掃活動」

「こんな炎天下で? また汗まみれになるの? シャワーはもう浴びたよ」

「そうだよ。片桐ホールディングスのCSRとしての参加や。シャワーぐらい、帰ってきてからもう一度、浴びればええやん、そんなん」


 綾乃との試合後、二人して片桐禎和から長い説教を貰った。胸に片桐ホールディングスの社章をつけての、喧嘩じみた苛烈な試合を仕掛けたのが問題だった。


――会社のイメージ戦略も兼ねて器用なのは判っているんやろうな。


 声を荒げたりはしない。むしろ冷ややかで、喉元に剃刀でも当てられている心地だった。熱戦、好試合をいくら評判が良くても、それで片桐ホールディングスが荒っぽい会社と思われたら適わないと、嘆息を吹かれた。


 市瀬呉服商と墨竹扇堂は困った顔をしていたが、二人でひたすら頭を下げて、契約継続となった。カエデからの言葉も効いたのだろう。ただ華麗でアクロバティックな試合の方がええな、と耳に痛い注文が入った。


 美容室からは七月いっぱいで契約を継続しないこととなった。最後に、サナのモザイクのような無造作に刈られた髪をこざっぱりと整えてもらった。これはこれで需要があるかもしれないけれど、ねと苦笑いを浮かべていた。

 サナは洗髪に時間がかからない、幾ら水を被ってもすぐに乾いて涼しいと、刈り上げ頭を気に召したようだったが、彼女を見た目で採用しようとする処は難色を示していた。


 カメラマンもサナの髪を見て、渋い顔を作っていた。彼女を起用して京の四季の風景写真を叙情的に撮っていた。

――ウィッグ、つけてもらえるかな。

 その費用はテツトが出すことになった。それで手打ちとなった。

 また、高校卒業までは、整えることはあっても、髪を切ることは厳禁と、サナに命じた。楽チンなのにと不服を告げていたが、テツトは取り合わなかった。


「朝ごはんの準備やな。ちょっと待っとってな」


 階段を下りていくも、先ず向かったのは洗濯機である。これを仕掛けてから、台所へと入った。


 夏休みである。平日ながらも、ゆっくりとした時間を覚えた。牛乳、卵を取り出して、フレンチトーストを焼くことにした。後、サナのためにハムエッグを用意する。


「私も手伝う」

「ゆっくりすればええのに」

「ヒトが働いているのを眺めているだけって、気分悪いじゃん」

「そんなもんか?」

「そんなもんだよ」


 そう言いながらも、手伝うのは、皿の用意と、コーヒーメーカーのボタンを押すぐらいである。テツトが、手元の内側に入られるの嫌っているため、そういう手伝いばかりとなっていた。それで十分、テツトも感謝していた。


 準備が整い、居間に運ぶ。テツトは新聞を開きながら、サナはスマホとテレビを観ながら、済ませていく。会話は特にない。ここの処、広告媒体としての仕事も営業も、そして家に帰っても。四六時中ともに過ごしている。敢えてふるような話もなかった。それがテツトには過ごしやすい時間でもあった。


 地方面を開くと、深宮綾乃の写真が大写しで掲載されていた。浴衣姿で、背後には水面が見える。花火大会の告知であった。


「やっぱ、華やかやな」


 ぼそりと零れてしまっていた。二条城のアートアクアリウムの広告塔も彼女が勤めると聞いている。これからも、京都管轄局内では彼女が中心となりそうだ。


「これからそういう仕事もとってきてよ」


 サナが顔も向けずにそう返してきた。スポーツイベントの特別参加枠や、武道の特別講師、演武披露の声はかかるが、こういった依頼は未だ届いていなかった。


「頑張ってみるよ」


 苦笑いを浮かべながらテツトはそう返した。


 壬生新撰組の統括を仲介にして、二人して我妻興業には菓子折りをもって詫びを入れにいっていた。試合会場で頭を下げてはいたのだが、それでも行けと厳しい口調で命じられていた。


――こういうもんはカタチだけでも、ちゃんとやっておくもんや。


 そう言っていた。我妻興業も、当然といったように二人を受け入れ、謝罪を確認していた。この時、綾乃は居なかった。


――未だ、会えないかな。


 サナは自嘲を浮かべて、呟いた。


――綾乃もそう言っていたな。二人して何を遠慮しあっているんや。おい、その内、一緒に仕事を組むぞ。


 彫の深い顔の男が、テツトに顎を振りながらそう言い放つ。テツトは力強く、二つ返事をした。


 朝食が済み、片付けも済ます。台所はテツトが、食卓はサナと役割分担をして、さっさと終わらせてしまう。


「洗濯物の干しが終わったら、管轄局に寄って、仕事やな。いい頃合いやろ」

「ん、わかった」


 そう言って、サナは洗濯機の中のものを籠へと移して、縁側へと持ってきた。

 陽射しは良好。新聞にも降水確率は0の快晴と記されていた。繁る緑と石灯籠。塀の間際と木陰には苔が設けられた十畳ほどの庭がある。

 物干し竿を用意して、洗濯物を伸ばしながら止めていく。


「私のランニングウェアと、テットの下着を一緒くたに洗われるのは、良い気がしないかな」

「なら、自分で洗濯することやな」


 テツトは庭に降りていた。サナは縁側で腰を下ろしている。


 こうして作業している内にも額から汗が浮かんでくる。そんな暑さがあった。その中で時折吹き抜けてくる風は、量が含まれているようで、心地よかった。

 風の音に混ざって、蝉の鳴き声が聞こえてきた。

 テツトは手を止めて、振り返った。

 丁度、椿の木が生えていた。その葉には、蝉の抜け殻が一つ付いていた。

 また鳴き声が聞こえてきた。益々、盛んに鳴くのだろうと、テツトは蝉の音を探すように、青い空を見上げた。


<完>

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