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初陣 4月 -5-

「できると思ったんだけどなぁ」


 サナはそう嘯きながら、頭頂部を摩った。テツトは彼女の言葉を額に手を当てながら聞いていた。白刃取りの空振りで喰らった薙刀の斬撃は、未だに頭の内側まで響いているようだ。氷嚢で冷やし続けていたが、氷はとうに解け切ってしまっている。


 西の空は黄色に滲みだしていた。二人は川端鴨川河川敷に降りて、北に向かっていた。サナは試合装束かレギンスとデニムジャケットのラフな格好に着替え直している。河川敷に等間隔に並び座る二人組をみて、蹴りたい背中と腐していた。


 ジュンヤとカエデの二人とは、五条扇塚公園で別れていた。テツトはサナを連れて、四条大橋の管轄局へ赴き、ファイトマネーの清算を行う予定を立てていた。ついでに、サナの着替えもそこを借りる手はずをしていた。現に、試合の小道具の他は、管轄局に設けられているロッカーに預けていた。


「面白かったわあ」とカエデは言い、膝を少し曲げてサナの頭を柔らかく撫でた。「最初の一本は、実に見事だった」とジュンヤは感想を伝えた。テツトは「惜しかったな」と口先だけを動かした。サナはしきりに首を傾げさせながらも、「どうも」と掠れた声で応えていた。まんざらでもないようにテツトには見えていた。


 武蔵坊弁慶や五条橋組合からの評判も悪くなかった。軽やかな身体捌きと、初手の一撃に、いたく感激している男も居た。その男と苦笑いでサナは握手を交わしていた。総轄すると――ユニークな存在、であると見られている。テツトはそう踏んだ。


 確かに、サナは凄かった。弁慶の突きや斬撃を舞うようかわす。或いは側転や捻りを加えた宙返りを見せてくれた。


――でも、あれは勝てる戦いだったろう。


 その考えが頭の隅に渦巻いている。試合が始まる直前までは、まともに戦えるかも訝し気だったのに、勝手なものだとテツトは自嘲した。それで吹き飛ぶほど、軽い靄ではなかった。滓のように残っている。


 ファイトマネーは五千円との取り決めだったが、実際にテツトの手元に届いたのは二千円だけだった。「ありがとうございます」と受付にいうも、放つ音に鈍い濁りがあるのを、自分でも嫌になるぐらい感じた。諸々の準備や交通経費を考慮して計算し直せば、足が出る。


――最初はそんなもの。


 自身の胸の内に、必至とそう言い聞かせる。黒字化まで残金は持つのか。その不安はまるで拭えない。テツトの頬はますます強張っていった。


 管轄局では中継動画の視聴数も教えてもらっていた。新人ながらも好調のようで、深宮綾乃のデビュー戦よりも瞬間視聴数が多かったと聞いた。後日、地方局のフラッシュニュースで、ちらとサナが紹介されていた。

 ただし、深宮綾乃はデビュー戦で勝利している。それも二本とも一分も使わない、鮮烈の秒殺劇だったと、テツトは記憶している。


 サナが着替え終わって管轄局から出たころに、片桐禎和からメッセージが届いていた。「とても良かった」と簡潔に記されており、来週の火曜日にまた社に来るようにとの指示が付け加えられていた。

了承の返信を送り、テツトはスマホをポケットに挿し込んだ。


 風が身体に染みこむようだった。春の四月といえども、日が暮れれば冬の名残があるようだった。ぼうと滲むような夕色の西空に、テツトは眼を細めて眺めていた。


「大丈夫だよ。何とかなるって」


 サナはそう言った。――気安く言ってくれるな。真っ先にその言葉が喉元を駆けあがってきた。テツトは口をふさいでこれを堪えた。鼻で大きく深呼吸をして、自身をなだめさせる。


「そうだとえぇな」


 四月が始まって、もう二週間が過ぎている。呑気に過ごしていたつもりはない。稼いだ額は六万二千円。月額の家賃にも届いていない。この試合をみて、どれほど声がかかるだろうか。楽観的な計算は、テツトにはどうしてもできなかった。

 月払いではなく、年払いでもない。三年で三百六十万。その約束を提示してきた父に、テツトは微かながらも感謝を覚えた。


「そんな怖い顔をしないでよ」

「そうか?」


 確かに強張っているかもしれない。そう自身で判っていながらも、手で払いのけるようにサナの言葉をあしらった。


「せっかく隣を歩いていても、これじゃあ、楽しくないよ」


 諸手を挙げて、不平を放つ。テツトは当然のように聞き流した。俯き加減で、自分の爪先でも見るようにして歩を進めていく。時に首裏を掻き、下唇を噛む。


「ねぇってば!」


 サナが急に前に出た。テツトは咄嗟に脚を止めて、サナの顔をみる。上目遣いながらも、白目の具合から、睨まれている覚えだった。


「ちょっとは付き合ってよ。楽しくやろうよ」

「楽しく、ねぇ」


 鈍いため息混じりの返事が出てきた。


「そう、楽しく。ほら、おカネは寂しがり屋さんなんだから、明るく楽しい処の方が転がってくるよ。きっと」

「そういう意味の言葉と違うと思うけどな」


くるりと器用に踵を回転させて、サナは身体を向き変えて歩き出す。


「楽しく笑っていればいいことあるって。絶対」


 もうまもなく夜となる。テツトの視線の先には黒くなった北山の景があり、稜線だけを残して闇に消えゆく比叡山がある。少しばかり身を窄めさせた。風が冷たかった。


「そうだとえぇな」


 御池大橋のすぐ傍に地下鉄への入口がある。そこから東西線に乗って、西大路御池駅に向かう。


「随分、歩かされたけど、三条駅でもよかったよね」

「経費削減や」


 サナが言い終わるのが先か。テツトは淡とそう応えた。似たり合わせて百円は浮く。そんなことばかりが頭を支配している。


 駅のホームで列車の到着を待っている最中に、カエデからメッセージが届いた。彼女の両親からもサナと弁慶の試合が好評だった旨、伝えてくれた。特に、母親がサナを相当にお気に召したようで、可愛い可愛いと感歎を言い続けていたそうだ。そして、髪結いの小物に、試合用の服も是非にでも仕立てたいので、来週中に訪ねるようにとの声をかけてきた。


「よかったなあ」

「ハイ、喜んでと応えておいて」


 そう言いながらも、僅かに頬が引き攣っているように、テツトは見受けられた。


 メッセージはまだ続いていた。市瀬呉服商が懇意にしている墨竹扇堂から、サナに会ってみたいと声をかけてきたそうだ。


――平手打ちでは、自身の手が痛かろう。


 そう言っていたとカエデは自身の母からの伝聞を記している。

 テツトはすぐに返事をだしておいた。


 カエデとのメッセージのやり取りをしている内に、西大路御池に着いた。ここからさらに十五分ほど歩く。


「ありがとうね」


 白い街灯を頼りに北へ向かっていく。二本となりの大通りでは激しくクルマが行きかっているが、二人が歩く路は閑散としている。


「どうした、急に」

「おカネとか、そういった営業周りのこと。私のためにやってくれているんだよね」

「――」


 返事は出なかった。


「だから、ありがとう。頑張ってくれて」


 すっかり気温も下がったというのに、頬がじわりと熱を帯びてくる。テツトはそっと暗がりに入り込むよう、足先を変えた。


「試合を組んだら、頑張るよ。頼まれたことは、ちゃんとやるよ」


――よく言うよ。


 サナの顔はちょうど、街灯の逆光となり、影に隠されていた。三白眼の瞳はテツトをどう見ているのか。

 テツトの脳裏を過ったのは、弁慶との試合だった。初陣であの動き。テツトも一本目の彼女の一挙手一投足に見惚れていた。彼女に緊張感はなかったように見えた。


――遊んでいる?


 眼差しを厳しくしていた。テツトにはサナが何を考えているのか、判らなくなった。


「頑張って稼ぐよ。稼いで自転車を買うんだ。そしてら、京都観光もやり易いだろうし」

「バスと地下鉄を使えばええやろ」

「仁和寺から石清水八幡宮まで行ってみるのが夢なんだ」

「『徒然草』ねぇ。南北に一直線や。ついでに双ヶ岡と吉田神社も詣でたらどうや」


 他愛のない話に変わった。口が軽くなっていた。


――判らない。何が正解か。


 引き続き、彼女を広告媒体として売り込んでいくしかない。ツテを頼って営業して、試合を組んで彼女の名前を広める。

 それをどれほどすれば良いのだろうか。テツトには暗がりの夜道よりも心細く感じられた。

 そして、飄々と前を歩くサナの姿に恐れを覚えた。

 テツトにはこの帰路がとても遠くに感じられた。

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