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初陣 4月 -4-

 桜の枝は青々とした葉が咲いていた。はらはらと散り舞う花びらに視線は踊らされてしまう。

 4月も中旬を迎えようとしているのに、風は多分に冷たさを孕んでいる。カーキー色のブレザー姿のテツトは、知らずの内に腕を組んで身を窄ませていた。最適な服装がわからなかったので、制服姿で臨んでいた。平服が最も無難であるとテツトは考えていた。


 鴨川にかかる五条大橋のほど近く。五条扇塚公園の一角が指定された場所だった。芝の茂ったサッカーコート半分ぐらいの場が設けられている。


「まさか初手から野外試合とはね」

「祝儀で組んでもらった試合や。注文はつけられんやろ」

「……それもそうだね」


 掠れた声でそうサナは返事をした。


 テツトの視線の先には、市瀬呉服商から提供された赤い長羽織をさっぱりと巻いたサナが居る。両脚、膝をまっすぐに伸ばし、背は低くとも仁王立ちの構えである。

 相対するは、白い裏頭に黒い裳付衣姿の大男――武蔵坊弁慶が居る。


「鹿の角が生えた杖でも持たせたら、空也上人になるかな? 南無阿弥陀仏って」

「それには腹が出すぎや」


 そんな馬鹿なやりとりの後、すっと彼女が前に出ていったのである。


「ちょうどいい長羽織があって良かったわあ」


 テツトの背後にはカエデが居た。隣にはジュンヤがカメラを構えている。三角コーンと虎ロープで囲われた一角。その中心に、サナと弁慶、そして審判が立ち、他は外に追いやられている。観客は四、五十人ぐらいか。五条橋組合の面々が殆どで、あとは野次馬半分に集まった程度。――パパ、頑張れ、という声も聞こえてきた。


「まあまあ集まっているん違うか?」

「まあ、新人の女子高校生のデビュー戦や。これも祝儀やろうな」


 秋庭佐那は京都出身ではない。しかし、五条橋組合の担当者や弁慶は歓迎しているようだった。何より二年連続で高校生が広告媒体として登録し、活動をする。京都市内で、より活発になるのではないかという期待感が強かった。熊のような大きな手が差し出されたので、テツトはそっと手を出し、握手を交わした。それからルールにファイトマネーの取り分と、諸々の取り決めを行っていた。


 審判がサナと弁慶の顔を交互に確認しながら、メモを読み上げる。サナの首が深く縦に動いた。そして、踵を返して、テツトの元に寄ってきた。ひらりと風で長羽織を躍らせるように脱いだ。


「でも、内に着こんどるのが、バッテンやねえ」


 白い上着と黒いハーフパンツ。襟と袖周りにうっすらと緑なのは、高校指定の体操着であるから。そして、背中には片桐ホールディングスのロゴである丸に鷹の割羽が橙色に大きくプリントされている。


 サナは淡々と袖を通したが、テツトは顔を歪めさせていた。しかし、これしか用意できないのだから仕方がない。片桐禎和と市瀬呉服商には詫びの電話を入れていた。


「時間がなかったんや。言わんでくれ」

「なら、こんど可愛いのを用意してあげんとなあ」


 おっとりとした口調でカエデが続ける。どうやら先日の着せ替えですっかりお気に召したようであり、メッセージでは、次はいつ連れてくるのか、と催促をしてくる。すでにホームページ上では、サナをモデルとした商品画像をアップロードしていた。


「――試合コスは片桐さんとこが仕立てたいって」

「あら、それは残念。でもウチでも仕立てさせてな。母も喜ぶやろうし」

「おい、それより、弁慶が相手やろう。大丈夫なんか?」


 ジュンヤが訝し気に訊ねてきた。テツトは僅かばかり首を傾げさせて応えた。弁慶は薙刀を構えて控えている。一方の体操着姿のサナは軽く飛び跳ねるなり、肩入れや腰まわしやらストレッチをしながら、中央へと寄っていく。


「まるで弁慶が体操着の高校生を襲うカッコウや。これはもういっそ、ケーサツ呼んだ方がいいんちゃうか?」


 返せる言葉が見つからなかった。サナは朝から飄々とした態であった。今こうして、拳二つ分も違う、それも薙刀をとった大男を前にしても、雰囲気に変化を見受けられなかった。

 そもそも試合が決まり、ルールを定める際であっても、サナはどこか外野にでもたっているような、他人事として居たようにテツトには感じられた。


――三本勝負で、弁慶が薙刀で打ち込む。サナは、平手打ち。


 それでええのか、と五条橋組合が目を丸くした。無論、テツトは何度もサナの顔を見た。三白眼の乾いた表情で、それでいいよ、と払うように応えた。


「まあ、見もの、やね」


 ぼそりと呟くように吐き捨ててから、テツトは眉間に皺を寄せて、サナの背中を睨んだ。


 審判の手が降ろされた。試合開始の合図である。途端に薙刀の切っ先が伸びてきた。サナはひらりと身体を捻ってかわして弁慶の背後に回り込む。

 追撃と横に振り回してくるのを、今度は飛び込み、薙刀を上回って、ゴロリと前回りをきめて見せる。姿勢をまっすぐに伸ばしたまま立ち上がり、踵を使ってクルリと廻って、改めて弁慶と相対する。体操選手のように整った動きだった。

 意外と驚き、眼を広げると、ちょうどサナと視線が合った。彼女は手を振ってきた。テツトはさっと視線を逸らした。頬がじわりと熱くなるのが判った。


「へえ。オモシロイやん」

「でもまあ、いつまで保つかな」

「テットはんがいう言葉やないやろう。それ」


 テツトの猜疑とは裏腹に、サナは躍動を続けていた。縦から横からと繰り出される薙刀の攻撃を、飛んでは撥ねて、身を捩じらせて、背を反らして、時にはべったりと地につくほど伏せたかと思えば、両手を着いての側転でかわして見せる。

 ぱちぱちと手を叩く音が聞こえてきた。テツトやカエデたちではない。目を凝らして見やれば、三人から向かい側の観客が拍手をしていた。


 弁慶が声を上げて薙刀を振りかぶった。テツトにはその刹那、サナの眼差しが鋭い刃のように見えた。

 袈裟斬りに放たれた薙刀をスウェーバックで避けるや、腰を捩じって身を回転させて、右足でしたたかに弁慶の足を払った。


 予想外の攻撃だったのか。弁慶は無造作に受けて前のめりに倒れこんだ。すぐに両腕をぐいと身体を起こそうとするも、サナの両手が弁慶の背中を着いていた。体操のあん馬の代わりにでもするのか、サナはそのまま弁慶の背中にするりと倒立を決めてから、捻りを入れて着地する。弁慶の顔はちょうどサナの腰のすぐそばにあった。

――乾いた音が響いた。サナの平手が弁慶の頬を打ち抜いていた。


「一本!」


 審判の手が上がる。おぉと唸りの声が低く響いた。拍手があがったのは、その後からだった。背後のカエデも手を叩いている。


「和装なら裾周りを気にしないといかんねえ。ひらひらしたもんつけたら、キレイやろうなあ」

「なんや。やるやん」


 カメラを構えるジュンヤの言葉が聞こえてきた。


「そうやな」


 テツトはまばたきをしながら、そう応えた。


 サナと弁慶の二人が中央に戻される。構えてと審判が声を上げた。一拍の間をおいてから再び手が振り下ろされる。二本目が始まった。


――後もう一本。


 そうすればファイトマネーに加えて勝利者賞が受け取れる。現金か、五条橋組合の食事券かは不明だが、稼ぎにはなる。

 握り拳に力がこもり、眼差しを細くして、試合を見守る。


 空気が変わった。風にさらに鋭さが帯びたようにテツトは感じた。サナではない。弁慶の構えに端然とした美しさがあった。サナに半身で向かい、切っ先を顔の高さに合わせて、動かない。

 サナは泰然自若と揺るがない。構えるそぶりすらみせない。脚を開き、両手をだらんと提げて、直立のままである。首の角度だけが僅かに上向き、弁慶の顔を三白眼で睨んでいるような姿勢であった。


 先に動いたのは弁慶だった。身体を捻って突きを繰り出す。サナは悠々とかわしてぐるりと軽やかな足さばきで弁慶の背後に回る。

 一本目と似たような展開になった。違うのは、弁慶の素早さであった。面撃ちに突き、胴払いに脚薙ぎと組み合わせ自在に緩急を交えて放っていく。一方のサナは、腰を反らし、身を屈めて、時には飛んでと、一撃ごと器用に避けてみせる。しかし、一本目の如く体操選手のような動きはなくなっていた。


「さすがは、弁慶やな」

「身体がおっきいだけやないねえ」


 それでも、弁慶の繰り出す薙刀の業に追いついていけるサナに、テツトは感心していた。隙を伺い懐に入り込んで、もう一撃を叩き込む。そう予想した。


 勝負はあっけなくついた。


 サナが足も縺れらせた。両手をぐるぐると振り回して、倒れこむことはなかった。両脚をともに地につけて、身体が大地に立ったと確信したのか、両腕を一直線に伸ばして「セーフ」と息を吐いた。その隙だらけの姿勢の際に、ぽんと薙刀が彼女の頭に乗った。


 ジュンヤはカメラを胸元におろして、シャッターを切るのを忘れていた。カエデは「あらら」と呟いていた。そして、テツトは、口をぽかんと開けていた。


 これで一対一となった。


 三本目の合図が示された。


 今度は途端に弁慶が薙刀を振り下ろしてきた。

 サナはその場で膝を曲げて、腰を落として構えた。


「はあ?」


 テツトの声があった。それ同じくして、サナの両手が薙刀の刃に向かった伸びていった。


――白刃取りか。


 サナの両手は空を切り、自身の手をしたたかに叩いて乾いた音を鳴らした。そして、薙刀はサナの頭頂部を叩いていた。


 喉が渇く心地があった。口は開いたまま、言葉が出てこない。


 サナの初陣は敗北で終わった。

 そして、今日の稼ぎはファイトマネーの五千円だけとなった。

 テツトは呆然と、頭頂部を抑えて蹲るサナを見つめていた。

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