不穏
そして、翌日。
授業を終えたわたしはいったんリシュレー伯爵家に戻って着替えてから、ミレーヌさんに会うためにカティを連れて王宮に行った。
ミレーヌさんはすでに人払いをしてくれていたので、わたしもカティを別室に控えさせてミレーヌさんとふたりきりになった。ゼールデン国の王太子妃が過ごすのにふさわしく、部屋にはたくさんの花が飾られ、テーブルには午後のお茶を楽しむためのティーセットやお菓子が整えられている。
「ええっ、『肉乙女』ですって⁉︎」
上品にソファーに座ろうとしたミレーヌさんが、ずっこけた。
「肉? なんで肉なの? 『恋のスイートまじっく!』よ、『ミートまじっく!』じゃないのよ?」
「あら上手、はい、座布団一枚……じゃなくって。わたしは肉料理のエキスパートなのよ。両親を亡くした時に、食堂をやっている親切な夫婦がひきとってくれてね」
エルスタン国の人間であるわたしがもてなす側になるので、雑談をしながらティーセットの用意されたテーブルでお茶を入れる。
「裕福なうちではなかったから、小さい時から食堂で一緒に働いていたら、そっちの方向に才能が花開いちゃってね。なんか、気がついたらスイーツじゃなくて肉料理専門になってたの」
「どうぞ召し上がれ」と白地に薄い水色で薔薇の模様が施されたティーカップを置くと、ミレーヌさんは一口飲んで「まあ美味しい! お茶を入れる腕も一流なんて、さすがは『恋のスイーツまじっく!』の……『王家の至宝』じゃなくて『肉乙女』なのね……なんか力が抜けちゃうわー」と言ってちょっと間抜けな顔をした。
わたしはそんなミレーヌさんに向かって、腰に手を当てて偉そうに言った。
「仕方ないでしょ! もちろん『王家の至宝』業もそこそここなしてるわよ。でも、ここが乙女ゲームの世界だなんて気がつかないうちに、肉料理の奥深さにはまってそうなっちゃったんだもん。お肉、美味しいし……あ、そうなのよ、わたしの肉料理は超美味しいわよ。ミレーヌさんも食べたい?」
「たっ、食べたい! 超マジ食べたいですっお願いしますっ!」
脱力していたミレーヌさんは、勢いよく起き上がった。
なんだ、肉好き女子なんじゃないの。
肉だけに、食いつきがいいわね。
「じゃあ、あとで、ひとっ走り森に行って、いい魔物を狩ってくるわね。ねえ、牛っぽいのはお好き? ローストビーフが好きだったら『紅薔薇の舞』がオススメよ。ご飯にたっぷり乗った柔らかくて肉汁がたっぷりの肉と、特性のガーリックオニオン焦がしショーユソースのハーモニーにあなたのハートは釘付けよ」
「それ! それをお願いしたいわ! でも聞き捨てならないんだけど、どうして魔物を狩るところからなの⁉︎」
「肉の美味しさを引き出すためには、下処理をしっかりすることが大事なの」
「……アナベルが、狩るのね?」
「そうよ。この国の騎士団のメンバーがもう誰も相手にならないくらい、包丁……じゃなくて、片手剣は得意なの」
見た目は巨大な包丁である『肉切り包丁・改』だけど、片手剣だからね。
ミレーヌさんは、再びソファーに沈んで「なんて無駄にハイスペックな悪役令嬢キャラなの……ギャップ萌えでは片付けられないレベルよ……」と呟いた。
そして、わたしはこれまでのエピソードと、セディール兄さまを好きになってしまったこと(きゃ、恥ずかしい♡)をミレーヌさんに話して、ゲームの内容と照らし合わせてもらった。彼女は腕を組んで「うーん、もはやゲームのストーリーは無茶苦茶になってると言えるわね」と言った。
「わたしの『恋のミラクルまじっく!』も、前世の記憶が戻った時からストーリーが変わって行ったけれど、それでもレンドールさまのことが好きだったし、婚約もしていたし……ちゃんとヒロインもいじめてたから」
「そこはちゃんとしちゃダメなとこね」
ミレーヌさんは舌を出して「えへ」と笑ってごまかした。
「でも、メイリィにはきちんと謝って、今では仲良しになったもん……あ、『もん』って言っちゃったわ。ゲームでのアナベルの場合は、ヒロインが選んだルートに合わせて婚約者が変わるのよ。攻略対象者は、ケイン王子、騎士のフレデリック・ユーゼリス、魔法の教師のシェーゼ・マレイド、年下の可愛い系レクタル・キーン、それから、2周目にはクラスメイトの兄のゼアス・リザリット、リザリット辺境伯の長男ね、その人が隠しキャラで出てくるわ」
フェルミーさんのお兄さんが、隠しキャラだったのね!
「今回は、ケイン王子のルートだったはずだけど、ゲームには名前しか出てこないセディール・リシュレーがストップさせたわけか……」
「ねえねえねえ、セディール兄さま、脈があるかしら⁉︎」
「なっ、落ち着いて!」
わたしが迫ると、ミレーヌさんはソファーでのけぞった。
「ミレーヌさんは、経験豊富な人妻だからわかるでしょ! ねえ、どうかな? 兄さまは少しはわたしのことを女性として意識しているかな? それとも、単なる妹? あーもうっ、どうしよう⁉︎」
「どうどう、落ち着いて。わたしが『どうしよう』だわ」
ミレーヌさんは、ため息をついた。
「わたしもそんなに恋愛は得意じゃないのよ……むしろ、不器用な方よ。でも、同じ悪役令嬢としてアナベルさんの恋は応援したいと思ってるからね。しばらくはエルスタンにいるから、セディールさんをどうしたら攻略できるか、作戦を立てましょう!」
ミレーヌさんが親指を立てて、力強いドヤ顔をキメてくれた。
頼もしいわ!
そんなこんなで、わたしたちはリアルな『乙女ゲーム攻略』に取り組むはずだったのだが。
「風邪ではなく風土病、だと?」
リシュレー伯爵家に王宮から、イリアスおじさまが突然倒れたという知らせが届いた。
エルスタンに流行している風邪について対策を取るために、調査を行なっていたおじさまが、自分も罹患したというのだ。しかも、それはただの風邪ではなかった。
「もしかすると、イリアスさまからセディールさまやアナベルさまに移っている可能性もあるので、屋敷で待機するようにと」
王宮からの使いの人が、兄さまに書類を渡した。
「これは……」
「どうやら『悪魔の天秤』のようです」
使いの人が青い顔で言い、兄さまも表情を変えた。わたしは兄さまの隣に立ち、彼が読み終わった書類を片っ端から取り上げて目を通す。
「なんてことだ……百年前に猛威を振るった『悪魔の天秤』が、また流行し始めたなんて……」
ふたりが真っ青になるのは当然である。
この『悪魔の天秤』という病気は、かかった人によってその症状が変わり、軽い人は単なる風邪程度で治るのだが重い人は肺炎を起こして命に関わる状態になる。そしてその発症の仕方は、年齢性別体力にはまったく関係ない。かかってみなければわからないし、治すための薬もない。自分の体力で治すしかないのだ。
この病気は、エルスタンの国民だけが重篤な発症となる。
「エルスタンの人だけが重くなるなら、免疫の有無とは思えないわね……体質……遺伝形質……そんなところかしら」
わたしは考えた。
病を重くする何かを、代々受け継いでいる人がエルスタンに多くいるのだろう。
しかし、治療方法がないというのはやっかいである。
そこでわたしは思いついた。
まさか、これはなんらかの、ゲームのイベントだということはないだろうか?
だとしたら、治療方法が存在するかもしれない。
「兄さま、わたしはこれから王宮に行って、ミレーヌさんとお話ししてきます」
「待て、アナベル! 移っている可能性が……」
「たぶん、大丈夫よ。昨日の夜にくしゃみと咳が少し出たけど、肉料理を食べたら治っちゃったわ」
魔物肉には体力増強効果があるのよね。元々軽い方の体質だったみたいだから、数時間で治っておしまいになっちゃったわ、ラッキー。
「兄さまも、お肉を食べて……え? 兄さま?」
「ダメだ……油断しては……」
「兄さま!」
わたしを止めようとしたセディール兄さまが、ふらついたので、慌てて身体を支えた。服越しに熱が伝わってくる。
高熱が出たのだ。
「そんな、兄さま⁉︎ こんなことって……」
兄さまが発症した。
しかも、重い方だ。
イリアスおじさまから、その体質を引き継いでいるのだろう。
つまり、兄さまは、兄さまは!
「カティ、兄さまをお願い!」
兄さまのそばにいて、看病したい。心配で心配で離れたくない。
わたしはそんな気待ちを押し殺して、カティや、家令たちにセディール兄さまを預けた。そして自室に駆けて行って素早く動きやすい服に着替え、飛び出す。
だって、このままでは、『悪魔の天秤』が、兄さまの死に傾いてしまうのよ!
「ベルさまーっ!」
叫ぶカティに、玄関から出ようとしたわたしも叫び返す。
「兄さまはわたしが絶対に助けるから、カティは看病をお願い! いい、水分をできるだけ摂らせるのよ、わかった⁉︎ 水分をね!」
「水分をですね、承知いたしました!」
「大丈夫よ、わたしは『王家の至宝』、運命を味方につけてみせるわ!」
わたしは、いつのまにか頬を流れていた涙を拭ってカティに頷いた。そして厩に行き、愛馬に飛び乗った。魔法で結界を張り、誰にもぶつからないようにして王宮への道を猛スピードで走った。
待ってて、兄さま!
絶対に助けるから!
神様お願い。
わたしの恋なんてどうなってもいいから、兄さまを助けて!




