スイートなスイーツ
王宮へ呼び出されてから、数日が過ぎた。ケイン王子は相変わらずわたしのアドバイザーと称してちょくちょく学園に現れ、その麗しい姿と気品と優しさで女生徒をうっとりとさせている。
ううむ、完璧イケメンめ!
わたしを攻略するのはやめて!
セディール兄さまと同じプラチナブロンドにアイスブルーの瞳をしてるから、余計にドキドキしてしまうんだから!
……あれ?
どうして、兄さまと同じだと、余計にドキドキしちゃうんだろう。
ええと、とにかく、わたしには侍女のカティもいるし、騎士のフレデリック・ユーゼリスもまるで忠犬のように(いいのか? ブレない姿が騎士らしく潔いが、こんなイケメンがわんこキャラでいいのか?)わたしの側に控えているし、フェルミー・リザリット辺境伯令嬢をはじめとするクラスメイトたちとも仲良くなっているので、もうアドバイザーは必要としていないんだけどね。
ケイン王子は、どうしていつまでもわたしに構うのかな。
マレイド先生は、相変わらず綺麗な顔に陰鬱な色をたたえて、黙々と授業を行なっている。それがカッコいいと言う女子もいるんだから、人の趣味もいろいろよね。
時折遠くから、こちらをじっと見ているのが気になるけど、わたしはああいうめんどくさそうな人は好みじゃないから放置している。
そんなわけで、シェリー・ラスタンの起こした事件はなんとなく沈静化したのだが、残念ながらシェリーは『王家の至宝』を煩わせた身の程知らずと思われてしまって、Bクラスでもクラスメイトから距離を置かれているらしい。
これが、わたしのAクラスでのことならば、鶴の一声で強制的に仲良くするように命令……ではなく、穏やかにシェリーがクラスに溶け込めるようにカバーしてあげられるんだけどね。
わざわざBクラスまで行くと、また騒動が起きそうだから、遠慮しているわ。
と、思っていたら。
「あ、アナベルさま! ちょっと待ってください」
わたしが廊下を歩いていると、シェリー・ラスタンの声が聞こえたので振り返ると、小さな袋を抱えたシェリーがこちらに駆けてくるところだった。
そして、その後から「シェリーさん、およしなさい! アナベルさまにご迷惑よ!」「でも、わたしは直接お詫びを……」「いいえ、いけません、身分の低いあなたがアナベルさまを呼び止めるだなんで、不敬ですわ」「これ以上話がこじれてしまったら、シェリーさんが困った立ち場になってしまいますわよ」とクラスメイトらしい女子の声も聞こえた。
しかし、シェリー・ラスタンは、制止の手をやすやすと振り切ってこちらにやってきてしまった。このあたりが、自分の信じる通りに行動して攻略対象者の好感度を上げる『ひたむきキャラ』補正なのだろうか。
「ア、アナベルさま、わたし、お詫びをしたいと思ってこれを」
シェリーはわたしに袋を差し出した。
「近寄るな!」
男爵が不服を申し立てたことで、シェリー・ラスタンのことをよく思っていないフレデリック・ユーゼリスが、わたしを守るように立ちはだかった。
「わたしは、アナベルさまに酷いことをしようだなんて、思っていません! ただ、お詫びをしたいと思っているだけなんです……」
フレデリックに近寄ろうとしたシェリーは、追いついた女子たちに止められた。
「シェリーさんたら、わたくしたちの忠告をお聞きになって」
「王家の方に、むやみやたらにそのような物をお渡ししてはならないのよ、シェリーさん」
「でも、これはわたしが心を込めて、あああーっ!」
親切心からシェリーを止めようとしていたらしい女生徒たちともみ合いになり、彼女の持っていた袋が落ちて、中身が見えてしまった。
「……これは……」
そこには、綺麗にデコレーションされた……いや、されていた、カップケーキがあった。白いアイシングが、まるでレース編みのように優美に施され、ピンクの小さな薔薇がちょこんちょこんと飾られている。淡いブルーでリボンが描かれていて、これを作るのに随分と手間と時間をかけたことが料理人のわたしにはわかった。
しかし、それらは今、無残に床に転がっている。幸い袋から飛び出していなかったものの、シェリーが心を込めて作ってくれたケーキは、薔薇のイメージの意匠をこらした素敵なケーキは、床におちてひしゃげてしまった。
「ケーキが……」
「あ……」
シェリーもフレデリックも友達の女子たちも、呆然と立ち尽くして哀れなケーキを見つめている。シェリーは、このアイシング細工をするのに寝不足になっているのか、いつもよりも濃い色になっているピンク色の瞳に、涙を溜めた。しかし、泣いたら友人を責めることになってしまうからか、口をへの字にして、ぐっと泣くのをこらえているようだ。
その姿を見て、わたしは寂しいのをぐっとこらえる時の妹のメリーを思い出してしまった。
可愛いメリーは、エマ母さんが忙しくても、決して文句を言わなかった。口をきゅっと結んで涙をこらえ、膝に乗せてあやしてやると「お姉ちゃん……好き……」とわたしにしがみついて、そのまま寝てしまったりした。
「ケーキが……ごめ、なさ……」
シェリーはしゃがんで、袋ごとケーキを手に取った。
わたしは前を阻むフレデリックを避けると、シェリーの前にかがんだ。まわりから「アナベルさま、なにを⁉︎」と声が上がる。
「シェリーさん、それはわたくしのために作ったケーキですの?」
すると、シェリーは顔を歪めて言った。
「ごめんなさい、こんなものをアナベルさまにお渡しできません、アナベルさまには、もっともっとがんばって、美味しい、ちゃんとしたケーキを……」
「シェリーさん、もうおよしなさい!」
「アナベルさまにご迷惑よ!」
そう、平民のシェリーが、『王家の至宝』として保護を受けているわたしに軽々しく食べ物を渡すなどとは、とんでもないことなのだ。
でも、わたしが食堂のアナベルだったら。
きっと喜んでケーキを受け取っている。
身分?
ふんっ、バカらしいわ!
わたしはわたしよ。
「あっ」
わたしは、シェリーの手からひしゃげたケーキを取り上げて、それを口に運んだ。
「アナベルさま!」
「アナベル姫、なにを⁉︎」
カティとフレデリックが叫んだ。しかし、わたしは肉料理に特化した肉乙女のアナベルだ。食材が安全かどうかのチェックも、身体に害のあるものを除去することも、お手の物である。なにしろ、魔物の肉の中には毒消しを念入りにしなければ食べられないものもあるし、そんな肉ほどとびきり美味しくて、体力向上効果が発揮されるのだ。
「とても美味しいわ」
一口かじったわたしは、シェリーに言った。
『王家の至宝』のポーカーフェイスでね。
心の中では(うっまー、まじうまーっ! なにこのケーキ、ヤバいっしょ、すっげー美味いんすけど! ふんわりしすぎないスポンジにトロッと口溶けのいい濃厚なクリームが挟まってる! でもって、あっさり爽やかなクリームでさらに包まれてる! 薄く挟まったベリーのジャムは、甘い中に酸味を加えて品良く仕上げてくるし、ヤバいな、匠の技だな! わたしが肉乙女なら、この子は菓子乙女だな! いやはや、リアルになった乙女ゲームって凄すぎ!)と叫んでいた。
お聞き苦しい点がございましたことをお詫びいたしますが。
本当に、すっごく、美味しかったの。
あ、もちろん、平静を装ったままなので、この感激は他の人には知られていないわよ。
わたしは何食わぬ顔でシェリーに言った。
「見た目が可愛らしいだけではないわね。このケーキは味もよくてよ」
ぽかんと口を開けてわたしを見るシェリーの目の前で、わたしは優美に……見せかけて、けっこうなスピードでケーキを食べる。うまうまうま。
「これは、ブルーベリーとラズベリーの風味かしら? 2種類のベリーがジャムに使われているわ。そして、ケーキの間にホワイトチョコの入ったクリームをサンドしてあるのかしら」
「ええっ、どうしてそれを……いえ、さすがです、アナベルさま!」
シェリーが頷いた。
「ミルクの風味とまろやかさを出すために、ホワイトチョコを溶かし込んでクリームにしてあるんです! そして、ベリーの爽やかさを感じるように、2種類を合わせて」
「さらに、レモンの香りも付けているのね」
「そうです! スポンジにはすりおろしたレモンの皮を加えて、クリームにほんの少し加えたレモンの果汁で全体の風味にさらに軽やかさを出して……アナベルさま、なんて素晴らしい味覚をお持ちなの⁉︎」
シェリー・ラスタンは、両手の指を組み合わせて、ピンクの瞳をキラキラさせて叫んだ。
「ああ、アナベルさまにはちゃんとしたケーキを食べていただきたかったです! こんなにスイーツのことをおわかりになるアナベルさまに!」
「あら」
カップケーキを完食したわたしは、何食わぬ顔で立ち上がると腕を組み、そっくり返って、悪役令嬢っぽいポーズをとってこほんと咳払いをした。
「シェリーさん、改めてちゃんとしたケーキを作り直して、持っていらっしゃっても、わたくしはかまわなくてよ?」
超上から目線ーっ!
『王家の至宝』、超偉そうーっ!
けれど、シェリー・ラスタンはそんなわたしに向かって嬉しそうに言った。
「はい、アナベルさま! アナベルさまには、わたしの渾身の作をいろいろと召し上がってもらって、できればご感想などいただけたら、とっても嬉しいです」
わたしは横を向いてふっと笑い、「あら、そんなにおっしゃるのなら、食べて差し上げてもよろしくってよ。遠慮なさらずに持っていらっしゃい」と言った。
いや、内心では(やったーっ! ヒロインの超美味しいおやつ、山ほどゲットだぜーっ!)とガッツポーズを取っていたんだけどね。




