第七話 どうしようもない奴だけど、俺も同じ類の人間だからほっとけねぇ
山を降りる頃には、空はすっかり橙色に染まっていた。
木々の影が長く伸び、さっきまでの静けさが、別の意味を帯び始めている。昼の山と、夜に近づく山は、まるで別物だ。
(……まずい時間帯だな)
俺は、空を一度だけ見上げた。
イベルタも同じことを考えていたらしい。新緑鉱石を革袋にしまいながら、落ち着かない様子で周囲を見回す。
「……急ぎましょう」
声が、少し低い。
「日が落ちると、この辺り、アンデッドが出ます」
「出る?」
「沸く、が正確ですね」
冗談みたいな言い方だったが、表情は笑っていなかった。
骸骨。
ゾンビ。
名前だけ聞いても、ろくな想像が浮かばない。
俺は、無言で頷いた。
ゴーゴンから逃げ延びたばかりだ。
これ以上、賭けを重ねる気はない。
「町まで、どれくらいだ?」
「走れば……日没前、ぎりぎりです」
それ以上の会話はなかった。俺たちは、足場の悪い山道を一気に下り始めた。疲労が脚に溜まっている。だが、立ち止まる理由はなかった。
夕暮れの山は、やけに音が多い。
風に擦れる葉。
小石が転がる音。
どこかで、何かが折れる気配。
全部が、敵に聞こえる。
(……嫌な時間帯だ)
賭場で言えば、閉店間際。
負けたまま席を立つか、もう一勝負いくか、迷う瞬間。
俺たちは迷わなかった。街道が見えたとき、思わず息を吐いた。
舗装された道。人の手が入った痕跡。
それだけで、胸の奥が少し緩む。
「……見えました」
イベルタが言う。
太陽は、すでに地平線に触れかけていた。空の色が、橙から赤へ、赤から紫へと、刻一刻と変わっていく。
「急ぎましょう」
彼女の言葉に、いつもの軽さは戻っていなかった。
俺たちは、ほとんど無言のまま、町へ向かって歩調を速めた。
背中に、夜が迫ってくる。アンデッドが沸く前に、俺たちは町へ戻った。
新緑鉱石を革袋に入れたまま、俺たちは町の酒場へ向かった。
夕方の喧騒が戻りつつある。冒険者、商人、日雇い。誰もが一日の結果を、酒に変えようとしていた。
受付カウンターに近づくと、例の受付嬢が顔を上げた。
「依頼の報告です」
「はい、番号をどうぞ」
俺は、革袋から新緑鉱石を一つだけ取り出し、カウンターに置いた。
淡い緑の輝きが、ランプの光を反射する。
受付は、ちらりとそれを見て、すぐに書類に目を落とした。
「……確認しました。新緑鉱石の採取ですね」
視線が、俺とイベルタを行き来する。
「依頼人名義は――」
紙をなぞり、少し首を傾げた。
「末期ギャンさん」
その場の空気が、一瞬だけ止まった。
「……すごい名前ですね」
受付が、心底どうでもよさそうに言った。イベルタが、俺を見た。
「……ほんとに、その名前なんですか?」
「登録名だ」
「登録名……」
何か言いたげだったが、結局何も言わなかった。受付は、木箱から小袋を取り出し、カウンターに置く。
「依頼成功。報酬、五百ゴールドです」
袋の中で、硬貨が乾いた音を立てた。
俺は、それを受け取る。数字の重みが、手のひらに伝わる。受付が、ふと顔を上げた。
「イベルタさん」
「はい?」
「今回は、同行者ですが……依頼人ではないので、失敗扱いになります」
淡々とした宣告。イベルタは、一瞬だけ目を瞬かせた。
「……そう、ですか」
それ以上、何も言わなかった。
失敗。
その言葉に、言い訳も、抗議もない。
俺は、少しだけ間を置いてから、カウンターに革袋を置いた。
「あと二つ、あるんだが」
受付女が、袋を覗き込み、すぐに首を振る。
「依頼は一件ですので。納品は一つまでですね」
「だよな」
想定通りだ。余剰分は依頼の外。つまり、自由に処分できる。
酒場を出ると、外はすっかり夜の気配を帯びていた。
イベルタが、ぽつりと言う。
「……道具屋なら」
「ん?」
「買い取ってくれますよ。新緑鉱石」
声に、いつもの軽さはない。だが、実務的だった。
「相場は?」
「……一つ、350ゴールドくらいです」
「十分だ」
俺たちは、そのまま道具屋へ向かった。
年季の入った店だった。武器、防具、薬草、雑多な素材。天井まで積み上がった棚の奥で、店主がこちらを睨む。
「鉱石の買取か」
革袋を開け、残りの新緑鉱石を二つ、カウンターに並べる。店主は無言で手に取り、光にかざし、重さを確かめた。
「……本物だな」
短く、そう言った。
「一つ、350。二つで、700だ」
即断だった。
「頼む」
硬貨が、また袋に落ちる音。
合計1,200ゴールド。
俺は、無言で袋を受け取った。
イベルタは、その様子を横で見ていた。
依頼は成功。だが、彼女個人の結果は失敗。
勝ったのは、俺だけだ。
店を出たとき、夜風が頬を撫でた。
(……数字は、嘘をつかねぇ)
道具屋を出て、路地に入ったところで、俺は足を止めた。
「で」
振り返る。
「お前の、今日の支払い。いくらだ?」
「……え?」
イベルタが、きょとんと目を瞬かせる。
「ゴーゴン討伐なんて依頼だ」
俺は、淡々と言った。
「全部出しても、どうせ足りねぇだろうが……謝って済む、ギリギリのラインは出してやる」
自分でも、少し意外だった。
だが事実だ。イベルタがいなければ、あの山で俺は確実に詰んでいた。
(仮に取り立てが2,000として、3割出して土下座でもすりゃ1日、2日は猶予できるだろ……1,200の半分、600くらいなら)
そう思っていた。
「……500Gです」
小さな声。
「……500G」
一瞬、理解が追いつかなかった。
「は?」
思わず、素っ頓狂な声が出る。
「ゴーゴン討伐だろ?安くねぇか、それ」
イベルタが、視線を逸らした。
「いえ……ゴーゴン討伐そのものは、2,400Gです」
「……」
嫌な予感が、背中を這い上がる。
「まさか、お前」
俺は、言葉を区切った。
「余剰分で……」
イベルタは、何も言わなかった。
否定もしない。
言い訳もしない。
沈黙が、答えだった。
(……やりやがったな)
そのときだった。
「見つけたぞ、イベルタ=ローキンス!!」
怒鳴り声。路地の入口に、柄の悪い男が立っていた。革の外套、荒れた顔。目が、金の色をしている。
「今日が返済期日だって、言ったよなぁ!?」
イベルタの肩が、びくりと跳ねた。
「500Gだ!!払えねぇなら風俗で働いてもらう!!逃げ場はねぇぞ!!」
空気が、一気に冷えた。
俺は、一歩前に出た。
何も言わず、懐から革袋を取り出す。口を開き、硬貨を掴み、男の手に押し付けた。
500G。乾いた音がした。借金取りは、一瞬だけ目を見開き、それから鼻で笑った。
「……ふん」
俺を値踏みするように見てから、吐き捨てる。
「誰か知らんが、その女と関わるのはやめとけ」
金袋を揺らす。
「ま、立て替えてくれる奴がいるのは、ありがてぇがな」
そう言い残し、男は踵を返して去っていった。路地に、静けさが戻る。イベルタは、呆然と立ち尽くしていた。俺は残った硬貨を数え、彼女に差し出す。
「……ほら」
「……え?」
イベルタが、戸惑いながら受け取る。
「100G」
「……ギャンさん?」
「折半だ」
俺は、淡々と言った。
「取り分は600。さっきの500で、残りが100」
一拍、間を置く。
「あと、ギャンさんってなんだよ」
イベルタは、少し困ったように笑った。
「だって……末期ギャンさん、ですから」
「略すな」
そう言ったのに、否定する気は起きなかった。
数字だけ見れば。
結果だけ見れば。
今日は、勝ちだ。
だが……こいつ、ほんとにどうしようもねぇ。
そして同時に、思ってしまった。
(……他人事じゃねぇな)
夜の町は、相変わらず賑やかだった。
賭場の灯りも、どこかで瞬いている。
俺たちは、まだ賭けの途中にいる。




