第六話 どう考えても勝てない状況でも、人は気づかない。あるいは、気づきたくない
イベルタは、距離を取りながら矢を放ち続けていた。
ひゅん、ひゅん、と乾いた音。
だが、命中しているのは胴体の外縁だけだ。無数の蛇が弾かれ、切り裂かれ、何匹かは地面に落ちて痙攣する。
効いてない。
いや、正確には、効いてはいるが、足りない。
ゴーゴンは吼え、身体をうねらせ、蛇の塊を盾のように使って矢を受け止める。一本、また一本。確実に削ってはいる。
だが、再生が早い。
削った分だけ、別の蛇が前に出てくる。
(……これ)
胸の奥に、嫌な既視感が込み上げた。
当たらない。
でも、少しずつ近づいている気がする。
もう少しなんだ、ここまで来たら引けない。
パチンコ屋の、閉店間際。
財布には、残り二千円。
理性では分かってる。
当たるわけがない。
それでも、ゼロになるまで突っ込む。
「……っ!」
イベルタの肩に、蛇の一本が噛みついた。血が飛ぶ。彼女は歯を食いしばり、無理やり引き剥がす。
「まだ……!」
息が荒い。
腕が、震えている。
(ダメだ)
完全に、それだ。
俺は判断した。
「逃げるぞ!!」
山に響くほど、声を張り上げる。
「今すぐだ! こいつは勝てない!!」
イベルタは、こちらを一瞬だけ見た。
その目は、濁っていた。
「……ダメです!」
即答だった。
「今日は……借金の、返済期日なんです!」
胸を殴られた気分になった。
(ああ)
間違いない。
(末期だ)
理屈じゃない。
勝算でもない。
今日じゃなきゃ意味がないという、あの思考。
金がないと分かっていても、給料日前日に突っ込む。負けると分かっていても、「今日だけは違う」と信じる。
だが、今回は金じゃねぇ、賭けているのは命だ!
「バカ野郎!!」
俺は、地面を蹴った。
視線を伏せたまま、一直線に駆ける。蛇の動く気配が、すぐ横をかすめた。背中に、嫌な冷気が走る。
イベルタの手首を、強く掴む。
「賭け方が、間違ってんだよ!!」
そのまま、引き倒すように身体を引いた。
「離してください!」
「離すか!!」
彼女は抵抗する。弓を握ったまま、なおもゴーゴンの方を向こうとする。
「今引かなきゃ、全部終わる!!」
蛇が地面を叩く音が、すぐ後ろまで迫っていた。もう一瞬遅れたら、終わりだ。
俺は、無理やりイベルタを抱え込むようにして、斜面を転がり落ちた。
土。
枝。
石。
背中に、腕に、痛みが走る。
だが、止まらない。
転がり、起き上がり、また走る。
背後で、ゴーゴンの咆哮が響いた。
追ってくる気配は、ない。
……追う価値が、なくなったのだ。
どれくらい走ったか分からない。
ようやく、木々の陰に身を潜めたところで、俺はイベルタを地面に下ろした。
彼女は、肩で息をしていた。まだゴーゴンのいた方を見ている。
「……なんで」
掠れた声。
「なんで、引いたんですか」
俺は、少し間を置いて答えた。
「当たらねぇ台はな」
息を整えながら。
「粘るほど、負ける」
イベルタは、唇を噛んだ。悔しそうに、情けなさそうに。俺は空を見上げる。
(最悪だ)
異世界初の本格戦闘。
結果は、逃走。
だが、それでも。
さっきよりは、マシな賭け方をした。
俺は自分に言い聞かせるように、呟いた。
「……生きてりゃ、次がある」
その言葉を、俺自身が一番信じきれていなかった。
しばらく、二人とも言葉を失っていた。
木々の間を抜ける風の音。
鳥の鳴き声。
さっきまでの咆哮が、嘘みたいに遠い。
イベルタが、ふと声を漏らした。
「あ……あれ」
震えの残る指先が、前を指す。
俺は、ゆっくりと視線を上げた。
そこにあった。
山の奥。ひときわ太く、異様な存在感を放つ一本の木。
幹はねじれ、根は地表を割るように這い、まるで山そのものに喰らいついているかのようだ。葉は深い緑で、風に揺れるたび、かすかな光を反射している。
「……神木、か」
思わず、息が漏れた。
俺たちが目指していた場所。
命懸けの依頼、その目的地。
イベルタは、何も言わず歩き出した。
さっきまでの執着が嘘のように、足取りは慎重で、静かだった。
神木の周囲を、ぐるりと回る。
足元。
根の隙間。
岩陰。
俺も、視線を落として探す。
(……頼むぞ)
命張ったんだ。
逃げて、転げて、引きずって。
ここに何もなかったら、それこそ笑えない。
そして。
「……あった」
イベルタが、しゃがみ込んだ。
俺も駆け寄る。
神木の根元。
湿った土の中から、ひときわ強く光るものが、顔を出していた。
緑。いや、新緑だ。
まるで春の若葉をそのまま結晶にしたような、澄んだ輝き。陽の光を受けて、きらきらと淡く瞬く。
「新緑鉱石……」
イベルタの声が、かすれる。
間違いない。
依頼書に書かれていた特徴、そのままだ。
俺は、しばらく黙って見つめていた。
(……あった)
逃げた先に。
間違えた賭けの、救済みたいに。
イベルタは、そっと手を伸ばした。
一瞬だけ、躊躇してから、慎重に掘り出す。
土が崩れ、鉱石が完全に姿を現す。
数は――
一つ。
二つ。
三つ。
十分だ。
いや、過分だ。
イベルタは、へたり込むようにその場に座った。
「……よかった」
それだけ言って、深く息を吐いた。
俺は、神木を見上げる。さっきまで、死神みたいな存在だった山が、今はやけに静かだ。
(皮肉だな)
命を張って逃げた先で、目的を果たす。勝負から降りたら、当たりを拾うなんて。俺は、苦笑した。
「なあ、イベルタ」
「……はい」
「さっきのは、勝ちじゃない」
彼女は、黙って聞いている。
「でもな」
新緑鉱石を、一瞥する。
「生還して、依頼を果たした」
少しだけ、声を低くした。
「それは、負けじゃねぇ」
イベルタは、鉱石を見つめたまま、しばらく黙っていた。やがて、小さく笑う。
「……旅人さん」
「なんだ」
「ギャンブラーですね」
俺は、否定しなかった。
神木の葉が、ざわりと鳴る。
その音はさっきまでより、少しだけ優しく聞こえた。
※今回の前半終了パターン
「バカ野郎!!」
俺は、地面を蹴った。
視線を伏せたまま、一直線に駆ける。蛇の動く気配が、すぐ横をかすめた。背中に、嫌な冷気が走る。
イベルタの手首を、強く掴む。
「賭け方が、間違ってんだよ!!」
そのまま、引き倒すように身体を引いた。
「離してください!」
「離すか!!」
彼女は抵抗する。弓を握ったまま、なおもゴーゴンの方を向こうとする。
「今引かなきゃ、全部終わる!!」
蛇が地面を叩く音が、すぐ後ろまで迫っていた。もう一瞬遅れたら、終わりだ。
「放して!!」
俺はイベルタに振り解かれ、倒れた。
無防に突っ込むイベルタに、ゴーゴンは容赦なく襲いかかる。
ゴーゴンの一撃に、イベルタの体はありえない角度に折れた。
そして俺は、ゴーゴンと目を合わせてしまった。
R.I.P




