第五話 この異世界にも、戦場(カジノ)は存在しているというのならば、話は変わる
イベルタは、少し先を歩いたまま、こちらを見ずに口を開いた。
「……昔、パーティ組んでたんです」
まるで、天気の話でもするみたいに。
「ちゃんとした冒険者のパーティ。前衛も後衛も揃ってて、仕事も回ってきて。報酬も、悪くなかった」
足元の小石を蹴る。
「で、その人たちに誘われたんですよ。大都市・エーテルディアのカジノ」
俺は何も言わず、歩き続けた。
「最初は、見るだけのつもりでした。ほんとです。スロットってやつ、音が派手で、絵が綺麗で……」
イベルタは、少しだけ笑う。
「一回だけ、って思って回したら。出たんです」
淡々とした声。だが、その一言に、すべてが詰まっていた。
「それからは、早かったですね。勝った記憶だけ、残るんです」
負けた記憶は、消える。
俺は、それをよく知っている。
「パーティの報酬、前借りして、
足りなくなって、街の銀行に行って、
それでも足りなくて……」
言葉が、少しだけ途切れた。
「仲間に、借りました」
視線は前のまま。振り返らない。
「最初は、心配してくれたんです。もうやめろって。次の仕事で返せるだろって」
俺は、無意識に歯を食いしばっていた。
重なっちまった、あの頃の俺と……
「でも、返せなかった」
それだけで、十分だった。
「そのうち、仕事に誘われなくなって。街でも、名前が通るようになって」
イベルタは、肩をすくめる。
「“金借りのイベルタ”」
軽く言う。
だが、軽くはない。
「近くの村でも、同じです。宿、断られたり。装備屋で、前金要求されたり」
そこで、ようやくこちらを振り返った。
「強くても、ダメなんですよ。信用がないと」
当たり前の事実を、当たり前の顔で言う。
胸の奥が、妙に冷えた。
「……それで、俺か」
イベルタは、にこっと笑った。
「はい、見慣れない顔だったから」
即答。
「それに……」
少しだけ、言い淀う。
「一人で、仲間もいなさそうだったから、組んでくれるかもって」
覚えがある。
場末の賭場で。
負けたあとで。
誰とも目を合わせなかった時間。
「誰でもよかったんです」
正直な言葉だった。
「一緒に歩いてくれる人が、欲しかった」
沈黙が落ちる。
風が、木々を揺らした。
俺は、ゆっくり息を吐いた。
理解した。完全に。
コイツは悪ではない。
金に関してはダメな奴ってだけだ。
だが、俺の目は別の意味で輝いていた。
(正直、イベルタがどうなろうと、どうでもいい)
冷たい思考が、頭を占める。
(問題は――)
「なあ」
声を抑えきれなかった。
「その大都市、エーテルディアって、どこにある?」
イベルタは、目を見開いた。
「……そこです?」
「そこだ」
間違いない。この世界に賭場がある。
スロットがある。銀行が金を貸すほどの仕組みがある。
イベルタは、呆れたように笑った。
「旅人さん」
「なんだ」
「やっぱり、変な人ですね」
俺は否定しなかった。
異世界だろうが、命懸けだろうが、賭けの匂いを嗅いだ瞬間、俺はもう引き返せなくなっていた。
イベルタは、俺の顔をじっと見た。
試すような目で。
「……私、もう行かないつもりです」
「へえ」
「負けるって、分かってるので」
胸が、ちくりとした。
分かっている。負ける。
それでも行く、それが末期ギャンだ!
「だから」
イベルタは、視線を逸らす。
「旅、続けて。借金返して。今度こそ、真面目に――」「信じてる?」
俺が遮った。
「え?」
「自分の、その言葉」
一瞬、黙る。答えは出ない。
それが、答えだった。
俺は乾いた笑いを漏らした。
(同じだ)
勝てないと分かっている。それでも、勝てる可能性を捨てきれない。
俺と、この女は。
違う世界で産まれても、同じ穴を覗いている。
「安心しろ」
俺は歩き出す。
「今は、山だ。依頼優先」
「……はい」
「鉱石取って、金をもらう」
「はい」
「カジノの話は、その後だ」
イベルタは一瞬、目を見開き。
それから、ゆっくり笑った。
「……旅人さん」
「なんだ」
「今の言い方、行く前提じゃないですか」
俺は答えなかった。
山道の先、木々が深く重なっている。その向こうに、神木がある。
そして、そのさらに向こうに――
(賭場がある)
俺は、知らず知らずのうちに拳を握っていた。
異世界に来ても。勝負の匂いは、消えない。
問題は一つだけだ。
(次は、賭け方を間違えるな)
それが守れるかどうか。
俺自身が、一番信用できていなかった。
不意に、足が止まった。
「……待ってください」
イベルタの声だった。
いつもの間延びした調子じゃない。
軽さが、完全に消えている。
俺も立ち止まり、振り返る。
イベルタは、背中に回していた弓を静かに手に取っていた。姿勢が変わる。呼吸が浅く、速くなる。
――狙っている。
俺の視界の端で、何かが動いた。
四足歩行の“何か”。
だが、形が定まらない。
(……なんだ、あれ)
毛皮でも、鱗でもない。
身体全体を覆っているのは……
蛇。
無数の蛇が、絡み合い、蠢き、塊になっている。
一本一本が生きていて、それぞれが勝手に頭をもたげていた。
(いや……)
背筋が凍る。
(あの蛇の塊自体が、本体なのか?)
次の瞬間。
――ひゅん。
空気を切り裂く音。
イベルタの放った矢が、蛇の塊の中心に突き刺さった。ぶしゅっ、と湿った音。赤黒い血が噴き出す。それと同時。
「ギャアアアアアアアアアアア!!」
耳を裂くような、けたたましい雄叫びが山道に響いた。身体中の蛇が、一斉に暴れ出す。地面を叩き、木の幹に絡みつき、石を砕く。
「……うるせェ!!」
思わず一歩、後ずさる。
「旅人さん!」
イベルタが叫んだ。
「絶対、奴の目だけは見ないでください!!」
その瞬間、理解した。
(ゴーゴンだ)
石化。視線。一瞬でも目が合えば、終わり。
喉が、からからに乾く。
(やばい)
想像していた何倍も、何十倍も、
これは手頃な依頼なんかじゃない。
新緑鉱石。
中リスク・中リターン。
そんな評価は、完全に間違っていた。
イベルタの依頼関係なしで、こんな奴がいる山だったなんて。
地面が揺れる。ゴーゴンがこちらに向き直る気配がした。俺は視線を地面に落とし、必死に目を伏せる。
(逃げろ?)
無理だ。この距離、この地形、この速度。
(戦う?)
なお無理だ。昨日までスライムを踏んでた人間が、どうにかなる相手じゃない。
イベルタは、すでに次の矢をつがえていた。
表情は、真剣そのもの。迷いがない。
(……ああ)
胸の奥で、嫌な感覚が弾けた。
(さっそく、賭け間違えた)
この女、やっぱり地雷だった。
蛇の擦れる音が、すぐそこまで迫る。俺は、拳を強く握りしめた。
(次の一手を、外したら)
ここが、俺の最終レースになる。




