1.伯爵家のシオン。
ハイペースで行きます。
リターナが貧困街の少年――ダイスを連れてきた話は、あっという間に貴族たちに広まっていった。しかもダニエルも最後には折れて、本当に養子にしたのだから驚きである。
そんなこんなで、貴族の間でのシンデリウス家の株は急落していた。
「いいんですか、リターナさん」
「良いに決まっているでしょう? ダイスはもう、私の弟ですから」
しかし、そんな風聞など知ったことではない、というリターナ。
彼女はダイスを連れて、新しい服を買いにやってきていた。彼の髪は元々、どこか癖があるタイプだったらしい。それでもある程度キレイにしたら、なかなかに素材は良かったようで、あとは服装を整えれば立派な貴族といった雰囲気だった。
もっとも、周囲の目は厳しいものであるが。
「いいえ。やはり、ボクを貴方の家に引き入れたのは悪手だと思います。このままでは、養父様にも迷惑がかかってしまう」
そのことを察したのは、意外にもダイスの方だった。
少年は十余歳という年齢ながら冷静に、周囲の客の視線、その機微を感じ取っている。その上でリターナに、考え直すように提案していた。
「いいえ、これで良いのです。ダイスの能力は、私が一番理解しているつもりですから。それに――」
だが聖女はそう言って、スッと声を潜める。
そして、少年にだけ聞こえるような声でこう言った。
「これは、この国の将来のためでもあります」――と。
その言葉に、大人しい少年の瞳に光が宿った。
その時である。
「おやおや、誰かと思えば――面汚しの一族の娘、息子じゃないか」
二人を見て、そう言った青年が現れたのは。
声のした方を見ればそこには、青髪に煌びやかな服装をしている美男子の姿がある。髪の色と同じく、綺麗な青の瞳を輝かせる青年は、ニッと口角を釣り上げた。
そんな彼に、リターナはこう答える。
「あら……。貴方は伯爵家のシオン様。お久しぶりですね」
「あぁ、そうだね。俺がキミに婚約破棄を言い渡して以来だから、ちょうど一年振りくらいか。どうやら、とうとう貧民にしか相手にされなくなったらしい」
すると男性――シオンは、心底おかしそうに言った。
ダイスを見下ろして、鼻で笑った後に続ける。
「それで? 今日はその人形に、服を仕立てにきた、と」
「ええ、そうですね。人形のように愛らしい私の弟ですから」
「…………ふん」
皮肉交じりの言葉に、リターナが愛想笑いで返した。
それが気に入らなかったのか、シオンは明らかに不機嫌な顔をする。そしてもう興味を失ったのか、あるいは元からバカにするためだけに声をかけたのか。
そのどちらかは分からなかったが、あっさりと背を向けるのだった。
「……相変わらず、口の減らない女だ」
そして最後に、そう言い残して立ち去る。
場には静寂が降りていた。
「……リターナさん」
それを破ったのは、ダイス。
少年は小声で義姉の名を口にすると、こう言った。
「間違いありません。あの人です」――と。
それを聞いたリターナは、静かに目を細める。
そして、こう言うのだ。
「それでは、餌を撒きましょうか」
彼女の浮かべた笑みは、聖女には程遠いそれであった。
◆
「ふん……! 相も変わらず、生意気な!」
シオンは悪態をつきながら、自身の屋敷へと戻ってきた。
そして、自室に閉じこもって椅子に腰かける。
「初めて会った時もそうだ。あの女は俺のことを、小汚いと罵りやがった!」
怒りは収まらないのか、独り言のような声が響いた。
思い出すのは、リターナと婚約して初めて会った時のことである。初めて会ったにもかかわらず、彼女はシオンを見て軽蔑の眼差しを向けたのだ。
そして、彼の口にしたような罵りを浴びせたのである。
「いつか、痛い目に遭わせなければ、と思っていたが……」
シオンは、そこでふと言葉を切った。
かと思えば口角を歪めて、こう続ける。
「せっかくの機会だ。あのガキを利用しよう」――と。
くつくつと笑って、舌なめずりをするシオン。
その姿は、悪魔にも似た様相を呈していた。