第136話 王の街
「変わった?」
オトが、自分の手のひらを不思議そうに見下ろしている。
DPを注いで【人化】を覚えさせたのだが、見た目はほとんど変わらなかった。
「あんまり変わってません!」
「元が元だからな」
もともとオトには、ゴブリンの面影がほとんどない。
細くて色の黒い、少し病弱そうな少年にしか見えないのだから、人化したところで変わりようがないのだ。
肌の色が健康的になったくらいだ。
「行き先は王都だ。オルレアスのダンジョンの、目と鼻の先にある」
地図の上で、ひときわ大きな街を指す。
王様のお膝元を見ておかなければ、東を見たことにはならない。
「支配域の外に穴を開けるから、そこから先は歩いて入れ。チュウタは付けないし、俺はお前の目を借りて見るだけで、こっちから声はかけられない。軽く見て、危なそうなら、すぐ戻れ」
「うん」
返事は、いつもと同じ調子だった。
「オトなら心配いらん」
兄のアニがそう言うのだから、たぶん心配はいらないのだろう。
それから一週間、偵察への準備を進めた。
王都の下まで支配域を伸ばす。
王都からかなり離れた場所で、地上に向けて支配域を伸ばすが、地表は支配域化されていた。
「どこまで支配域にしてるんだ、これ」
オトの安全のために、正確な情報が必要だ。
一マスずつずらして確認していき、やっと支配域の端を発見した。
「ああ、ダメだ。目を閉じても支配域化UIが見える」
「まさかマスターに固有能力が!?」
「違う、UIの見過ぎだ」
そして、潜入当日。
穴は、支配域の境目から十歩の所。
地上に上げるのは、オトだけだ。
「オト、危なくなったらすぐ戻れ。軽い偵察だ、街の様子がわかればそれでいい」
「わかった。行ってくる」
感覚を繋ぐと、世界の見え方がチュウタとはまるで違った。
オトの目には、景色より先に人の視線が見える。
誰がどこを見ているのか、どこが誰の目にも入っていないのかで、世界が明るいところと暗いところに塗り分けられているのだ。
穴から出て少し歩けば、その先は支配域になる。
他の場所では、支配域に出て十秒で敵が来た。
だが、オトは種族特性でエーテル感知と視覚をすり抜ける。
オトの能力が通用するかどうか。
オトが、その境目をまたいだ。
息を止めて数を数える。
十まで数えても何も来ず、二十を過ぎても、草が風に揺れているだけだった。
「……来ない」
「来ませんか!」
「来ない」
王都の門は、荷馬車と旅人でごった返していた。
オトは荷馬車の陰に寄り添って歩き、衛兵の視線が荷台の樽に向いた一瞬で、するりと門をくぐり抜ける。
「入った」
「さすがオトさんです!」
ぽんこには何も見えていないはずなのに、なぜか得意げだ。
石畳の大通りには店がずらりと並び、パンの焼ける匂いと荷車の軋む音が入り混じっている。
子供たちが歓声を上げて路地を駆け抜け、母親が後ろから、外には行くんじゃないよと怒鳴っていた。
その後も、オトは店に入ったり、街を歩いたり、街の様子を観察していた。
規模は違う、危ない場所もある、しかし平和な街だった。
街で生活する人間達の笑顔は、アウル村の連中と変わらないように見えた。
「マスター、アウル村の人達は結構疲れた顔してますよ?」
「うるさい」
「しかし、もう十分だな。そろそろ帰って来て欲しいところだが」
「声は届きませんからねぇ」
次に入ったのは、探索者ギルドだった。
昼間から酒の匂いがする酒場を兼ねた広間は、探索者で埋まっていた。
オトは壁際の柱の陰に立ち、耳だけをそばの卓に向ける。
「大迷宮の五層、また潜ったのか」
「おう。きつかったが、その分、拾えるもんがいい」
「あそこは罠が意地悪じゃないんだよな。見抜けりゃ、ちゃんと避けられる」
「死にかけても、帰り道だけは妙に分かりやすいしな」
「稼ぐなら、大迷宮だ。ほかの迷宮には行く気がしねえ」
男たちは、迷宮の話をしながら笑っていた。
怖がってはいるのだが、それ以上に、儲かる場所として評価している。
受付の前に、依頼の札を持った探索者の列ができた。
受付嬢が二人がかりで応対に追われている隙に、オトは列の後ろから受付台の脇をすり抜け、奥の事務机の陰にしゃがみ込んだ。
机の上に、書類が積まれている。
一番上の紙に、短い通達が書かれていた。
『大迷宮について、探索者から要望があれば、それとなく聞き取ること。聞き取った内容は支部長へ直接上げること。本部への報告は厳禁とする』
「……要望って、誰に出すんだ、これ」
聞き取ってどうする、ダンジョン側に要望を出す?
嫌な想像に、血の気が引く。
しかし、そんな俺とは裏腹にオトは気にせずに奥へと進んでいく。
「ちょっ、オト、戻れ」
しかし、当然その声は届かない。
職員用通路を通り、職務室を覗き、ある廊下の前まで来て、引き返す。
その廊下の先には、『ギルド支部長室』の文字。
あそこは危険と判断したようだ。
危険の判断が遅すぎる。
次に向かったのは、教会だった。
「まて、教会はまずい」
誰でも入れる礼拝堂を素通りして、オトは祭壇の横の、関係者用の小さな扉をくぐる。
扉の向こうは、石の廊下だった。
厨房から湯気が漏れ、どこかで鍋の蓋が鳴っている。
すれ違う若い神官たちは、廊下の端に立つ少年に一度も目を向けなかった。
洗濯物を抱えた神官が二人、並んで歩きながら話している。
「大迷宮、また奥が深くなったらしいね」
「ノード様のお恵みだよ。人が試されて、強くなるための場所なんだから」
「探索者の中には、ダンジョンに主がいるなんて言う人もいるけど」
「主?ダンジョンに?」
「酒場の与太話でしょう。ダンジョンはノード様がお作りになるものだって、司祭様もおっしゃってたし」
二人は笑いながら、角を曲がっていった。
教会は、平和な場所だった。
王都とはいえ、ここは地区の支部らしい。
裏にあるのは、神官たちの生活の場だけだった。
「マスター、さっきから顔が忙しいです」
「見てるこっちの身にもなってくれ」
結局、オトが引き返してきたのは、日が傾いてからだった。
穴から戻ってきたオトは、出ていった時と何も変わらない顔をしていた。
「戻った」
「……怖くなかったか」
「見られなかったから」
それだけ言って、オトはアニの隣に戻っていった。
得たものは、山ほどあった。
だが、いちばん気になったのは、そのどれでもなかった。
見られなかったから。
それはつまり、見られた時は、困ったことになるということじゃないのか。
「マスター」
オトがこちらを振り返る。
今まで見たことのない、晴れ晴れとした笑顔だった。
「潜入、楽しいね」




