第26話 にゃおとの地上波デビュー
都内某所にある、少し築年数の浅い小綺麗でシックなマンションの一室。
金曜日の深夜、お洒落な間接照明だけが灯るリビングのローテーブルを囲み、長谷川紗夜と折田祢苑の二人は、だらしない姿勢で座椅子にもたれかかっていた。
テーブルの上には、コンビニで買い込んできたハイボールのロング缶や、アボカドのディップ、そして乾き物のスナック菓子が乱雑に散らばっている。
隣のシマである『ジャム・セッション』編集部での、過酷な締め切りロードを乗り越えた彼女たちにとって、これは週に一度の「完全なる無礼講」の家飲みだった。
「ふぅ……。今週も、あのキツい進行管理を乗り越えたのじゃ。わっちの脳みそのピクセルが、ストレスで崩壊するかと思ったのう」
白狐を思わせる艶やかなロングヘアを後ろでゆるくまとめ、スウェット姿で足を崩した紗夜が、グラスのハイボールを一口煽って、ふはー、とため息をついた。
「いや、マジで長谷川先輩、お疲れっすよ。ウチも今週、同人の割付ラフの確認だけで、目がブルーライトに焼かれて完全にドライアイっす」
黒狐を思わせる漆黒の髪を揺らしながら、祢苑は手元にあるテレビのリモコンを、だるそうに親指でポチポチと操作し始めた。
画面の中では、バラエティ番組、深夜のグルメ情報、海外の通販番組が、目まぐるしく切り替わっていく。
「あー、なんか面白い番組やってないっすかねー。……お、先輩、これどうっすか?」
祢苑がボタンを押すのを止めた画面には、重々しく、かつどこか大仰なテロップと、低く響くお馴染みのナレーションが響き渡る特別番組が映し出されていた。
『列島警察激録24時! 執念の追跡、無法者たちへの鉄槌スペシャル!』
「おお、これは警察24時ではないか。実によいのう。他人の愚行とお上の怒号を、こうして冷えた酒を飲みながら高みの見物とする。これぞ、現代の究極の娯楽じゃ」
二人は、テレビの画面に視線を固定した。
番組は、お決まりの構成に沿って淡々と、しかしスピーディーに進んでいく。 最初のコーナーは、北関東の地方都市で発生した『変人犯罪系』のドタバタ劇だった。
万引きを疑われて逆上し、近所の畑を自転車で爆走して逃走する自称自営業の男。警察官たちに取り押さえられながら、「俺は畑の土と対話していただけだ!」と意味不明な供述を叫ぶ男の姿に、紗夜は「実によい壊れっぷりじゃのう」とハイボールを喉に流し込んだ。
続いてのコーナーは、新宿の夜を揺るがす『トー横キッズ』たちの補導劇だった。
深夜の広場にたむろし、スマートフォンの画面の光に照らされながら、警察官の呼びかけに対して「うるせーな、親でもないくせに」と反抗的な態度をとる少年少女たち。家出少年のバッグから出てきた大量の市販薬の空き殻に、ナレーションが重苦しく警鐘を鳴らす。
『孤独な闇に逃げ場を求める少年少女たち。だが、そこに待つのは、決して光のない転落の罠であった――』
「こういうのは、ちょっと生々しくてウチらの領域に近いっすねー」と、祢苑がポテトチップスをかじりながら呟いた。
そして、不穏な効果音と共に、番組はCMを跨ぐ手前の緊迫した瞬間へと移行する。
『番組は、深夜の高速道路を震撼させる、あの暴走集団の闇へと切り込む! 緊迫の追跡劇は、CMのあと!!』
テレビ画面が一度暗転し、缶ビールの爽やかなコマーシャルが数本流れた。
CMが明けると、お決まりの演出として、CM直前の最後の5秒間の映像が、全く同じテロップと排気音を伴ってリピートされた。
ここからのコーナーは、視聴率が跳ね上がる人気コンテンツ『密着!高速道路交通警察隊』のセクションだった。
まずは、週末の深夜にパーキングエリアの出口を封鎖し、凄まじい爆音を響かせて蛇行運転を繰り返す『暴走族』の一斉検挙の様子が、臨場感溢れる手持ちカメラの映像で映し出された。
火花を散らしながら逃走を図る改造バイクを、パトカーが先回りしてガッチリと挟み込む。
若者たちが「何するんだよ!」と警察官の腕を振り切ろうとするが、あっという間にコンクリートに組み伏せられていく。
暴走族の逮捕劇が一段落すると、画面は一気に、都心を囲むあの「高架上のサーキット」へと切り替わった。
『だが、夜の高速道路を這い回る無法者は、彼らだけではない。都心を一周する首都高速道路、通称・C1。そこに、漆黒の闇に紛れて徘徊する、喧騒の獣たちがいた。彼らは自らを「走り屋」と称し、違法な改造を施した鉄の塊を駆り、夜の静寂を暴力的な音で切り裂いていく。そこにあるのは、自らの歪んだ自己顕示欲に塗れた、極めて危険な暴走行為のみであった――』
番組お馴染みの、妙に文豪チックで、かつ改造車をこれでもかと悪者として描写する、重厚なナレーションが、薄暗いリビングに響き渡る。
映像には、深夜の首都高を制限速度を大幅に超過して疾走する、様々なスポーツカーのテールランプがスローモーションで映し出されていた。
『高速道路交通警察隊の、覆面パトカーによる極秘追跡。彼らは静かに獲物をロックオンする――』
画面は、高速隊の覆面パトカー(トヨタ・マークX)の助手席からのカメラへと切り替わった。
車内は静まり返り、隊員たちの鋭い眼光だけがフロントガラスの先を見つめている。
彼らの前方で、車高を極限まで落としたいくつかの走り屋の車が、車線変更を繰り返しながら、まるで獲物を追うように急加速していく。
『隊員たちの前に、不審な挙動を見せる、一台の白いクーペが姿を現した』
隊員が、フロントガラス越しに、前方を走る白い車体を指差した。
「前方の白いクーペ、速度超過、車線変更時の合図不履行(ウィンカー無し)」
「追跡を開始する」
覆面パトカーのルーフから、ピカピカと回転する赤いパトランプが、ギミックと共に姿を現した。
ウーーーーー、と低いサイレンが鳴り響き、マークXのエンジンが過給音を響かせて急加速を開始する。
前方の白いクーペは、混雑する深夜の本線で、ウィンカーを一切出すことなく、車列のわずかな隙間を縫うようにして激しくスラローム走行を繰り返していた。
そのあまりにも滑らかで、かつ危険な「縫うような走り」に、ナレーションが一段と語気を強める。
『車間距離を極限まで詰め、他の一般車を障害物のように扱いながら進む、危険極まりない暴走行為。だが、お上の執念の追跡からは、決して逃れられはしない!』
覆面パトカーは、白いクーペの背後にぴったりと張り付き、速度測定を開始した。
「速度測定を開始……3、2、1。……よし、計測完了。制限速度60キロの区間を、大幅に超過」
ウーーーーー!!! と、サイレンの音が一段と高くなり、覆面パトカーが白いクーペの側面に並びかけた。
「前方の白いシルビア、左の路肩に停車しなさい! 警察車両が誘導します!」
白いクーペは、大人しくハザードランプを点滅させ、緩やかに本線から外れ、非常駐車帯へとスピードを落として停車した。
『無謀な暴走の果てに待っていたのは、冷たいお上の取り締まりであった』
覆面パトカーから、制服を着た二人の警察官が降り立ち、白いクーペへと歩み寄る。
それは、ボロボロの白いボディに、だっさいミサイル仕様のハーフエアロがくっつき、フロントガラスにまだ何も貼られていない、あの懐かしい状態のS14型シルビアだった。
警察官が、運転席の窓をコンコン、とノックする。
ガラスがゆっくりと下がっていく。 カメラが運転席の内部を捉えた。
映し出されたのは、顔面に、あの犯罪特番でお馴染みの「四角い粗い青色のモザイク」をガッツリと貼られた、一人の若い男の姿だった。
だが。 そのモザイクの隙間から覗く、白髪で毛先が少し黒いウルフマッシュの流し前髪。
夜の闇の中で、モザイクの奥からキラリと輝く、どこか不気味なほど綺麗なブルーの瞳。
そして、ツナギの胸元。
「ぷーーーーっ!!!」
紗夜は、口に含んでいたハイボールを、喉の筋肉を破壊せんばかりの勢いで吹き出した。 黄金色の液体が、液晶テレビの画面全体に「霧吹き」のように激しく吹きかかる。
「げほっ! げほっ! ごほおっ!!」 祢苑は、食べていたポテトチップスが気管に入り、喉をかきむしりながら激しく咽び返り、座椅子の上でのたうち回った。
「あ、あれは……! 隣のシマの、あの『障害者雇用の義務』の白猫ではないかえ!?」
「ま、マジっすか!? モザイクかかってるけど、あのウルフマッシュの流し前髪と猫耳のシルエット……! 完全に202号室の藤野先輩っすよ!!」
二人は、咳き込みながら、画面に食い入るように顔を近づけた。
画面の中の「直人らしき男」は、警察官から運転免許証の提示を求められ、大人しく財布から免許証を差し出していた。
測定された速度は、一発で長期の免許停止処分(免停)になる手前の、絶妙なスピード違反。
「違反点数3点」という、まさに首の皮一枚でつながった、極めてスレスレの数字だった。
警察官が、切符を切りながら、直人に対して説教を始める。
「君ね。こんなところでウィンカーも出さずに車列を縫うように飛ばして、もしタイヤがバーストでもしたらどうするんだ? 大事故になるよ?
自分の命だけじゃない、周りの人の命もかかってるんだぞ」
普通のヤンキーや走り屋なら、ここで不てくされた態度をとるか、「すみません」と頭を下げるか、あるいは警察官に対して大声で抗議するかのどれかだろう。
だが、モザイクの奥の直人は、全く違っていた。
彼は、ヤンキーのような威圧的な態度など微塵も見せず、ただヘラヘラとした、どこか他人事のような緩い笑みを浮かべ、首をコテンと横に傾げながら、ボソボソとした口調で答えていた。
「にゃは~。流してるときでよかったにゃ。アタック中(本気のタイムアタック)だったら、完全に最初のコーナーでリアフェンダーを壁に叩きつけて、僕ニャンもシルビニャも死んでたにゃ」
その言葉に、説教をしていたベテラン警察官も、一瞬だけ言葉を失って「ア、アタック……?」と、呆れた顔で直人の顔を見つめた。
説教が終わり、青い切符(違反切符)を切られた後、番組の取材班が、車外に出てリヤフェンダーのサビを爪でカリカリと削っていた直人の元へとマイクを向けた。
『違反点数3点。あと少しで免許停止処分となる状況だが、本人は全く悪びれる様子はない――』
記者が、マイクを突き出す。
「もしもし。今回、かなり危険なスピードで走っていましたが、3点引かれるというのは、ドライバーとしてかなりヤバい状況だという自覚はありますか?」
直人は、モザイクの奥で、再びヘラヘラとした甲高い不気味な引き笑いを漏らした。
「にゃははは。こんなん大したことないにゃ(笑)。点数はまた時間が経てば回復するにゃ。ゴールド免許なんて、お上品にファミリーカーを運転してるおじさんたちのためのコレクションアイテムにゃ」
「しかし、事故を起こしてからでは遅いんですよ? 全く反省していないように見えますが」 記者が、悪びれもしない直人の態度を問い詰めるように、語気を強めた。
すると、直人は面倒そうに頭を掻き、片手を振った。
「わかった、わかったにゃ。次から、ちゃんとGPS機能付きのレーダー探知機をダッシュボードに装着するにゃ。そうすれば、お巡りのステルス測定も一瞬で見抜いて、エレガントに減速してパスできるにゃ」
記者は、この男に道徳的な反省を求めるのは不可能だと判断したのか、呆れたようにため息をつき、話題を変えた。
「……君のこの車、メーターのところに小さなデジタル画面が追加されていますが、これは何ですか?」
「にゃ? ああ、これにゃ?」
カメラが、直人のシルビアのメーターフードの下に設置された、小さなデジタルスピードメーター(最高速メモリー機能付き)をアップで捉えた。
直人は、その画面のボタンを「ポチポチ」と押し、過去の最高速データの数値を液晶に表示させた。
「最高速?
……あー、コイツ(シルビニャ)、まだヤフオクで落札して手元に届いてから手をあんまり加えてない状態だから……。バイパスの直線で全開にしても、まだ【167km/h】しか出てないにゃ。実質、カタツムリにゃ」
記者が、一般公道での「167キロ」というあまりにも非常識な数字に、絶句したような沈黙を保った。
だが、直人はその沈黙を「遅さに呆れている」と勘違いしたのか、悔しそうに前髪をかき上げた。
「いや~、こんなん全然早くないにゃ。200km/hもろくに超えない僕ニャンなんて、本物の車乗りから見たら、ただのノロノロ運転の遅い猫にゃ。もっと過激なタービン(T400M)を組んで、お巡りの覆面パトカーなんかバックミラーのチリにしてあげるのが、僕ニャンの本当の完成形にゃ」
そこで、ナレーションが重々しく締めくくった。
『身勝手な暴走行為を「遅い」と言い放つ、歪んだ若者の特異な思考。だが、お上の包囲網は、彼らの無謀な夢を、決して許しはしない――』
VTRが終了し、画面はスタジオのMCたちの「いや、本当に危険ですね……」という、引きつったコメントへと切り替わった。
リビング。
紗夜は、テレビ画面を凝視したまま、震える手でティッシュを引き抜き、液晶のハイボールを拭き取りながら呟いた。
「……ホンモノじゃ。ホンモノの、本物の犯罪者がおったのじゃ……」
「長谷川先輩、ウチ、明日からあの猫に会社の廊下で遭遇したら、絶対に目を合わさないようにするっす。ガチで法律の餌食(狂人)だったっすよ……」
祢苑は、喉を抑えながら、恐怖の眼差しでテレビを見つめ続けた。
一方。
同じ日の深夜、コーポ・ルミナスの202号室。
直人は、自分の部屋の、地デジチューナーを付けた小さなブラウン管テレビ(ビデオデッキを繋ぐためだけに置いてあるやつ)の前に正座し、画面を凝視していた。
「……にゃ」
直人は、顔面を真っ赤にし、怒りで全身の白毛を逆立ててプルプルと震えていた。
「にゃ、にゃんでだにゃあああああああ!!!
なんで、あんなボロくて遅い、ヤフオクで落札したばかりの『初期ミサイル仕様』の時の僕ニャンの姿を、全国地上波のゴールデンタイムで放送するにゃああ!!」
直人がキレていたのは、自分がスピード違反で捕まった恥ずかしさではなかった。 むしろ、その逆だった。
「取材班、センスが足りないにゃ! 取材するなら、今夜、安田のおっちゃんのところで『TO〇EI Arms T400Mタービン』と『D-M〇X デュアルフロントパイプ』を組み込んで、C1外回りで【6分13秒】を叩き出した、最高に男前で合法的な僕ニャンの勇姿をカメラに収めるべきだにゃ!
あんな、167キロしか出ない、ハブベアリングがガタガタだった過去の黒歴史を全国に流すなんて、僕ニャンとシルビニャの美学に対する、最大の侮辱だにゃ!!
撮り直してほしいにゃ!!」
直人は、部屋の畳を狂ったように叩きつけ、テレビに向かって「シャァァァァァッ」と激しい不満の鳴き声を上げ続けた。
そして。
同じ放送を、自宅の居間でビールを飲みながら眺めていた、RED ZONEの名物編集長、粕谷。
彼は、液晶画面に映し出された、青いモザイクの奥から「にゃはは〜」とヘラヘラ笑う直人の姿を見た瞬間、持っていたビールのアルミ缶を「ペキッ」と握りつぶし、目を皿のようにして凝視した。
「……おい。藤野、お前……。こいつルーレット族の『なりたて』だったのかよ……!」
粕谷編集長は、直人が「C1のタイムアタックが〜」と普段から偉そうに語っていたくせに、テレビで捕まった当時はまだ200キロすら出せない「初心者マークの盆栽走り屋」であったという、あまりにも衝撃的で、かつ哀れな真実を知ってしまった。
「おのれ藤野ォォォォォ!!! 普段から玄人ぶって『NAのZ33は遅いにゃ』とか言っておいて、お前自身がただのド素人のミサイル乗りじゃねえか!!
明日の朝、会社の廊下で、C35ローレルのフロントバンパーでその生意気なお尻を引っ叩いてやるからな!!」
粕谷編集長の、喉が張り裂けんばかりの怒号が、静まり返った自宅の居間に響き渡った。




