第五話:リユースショップ
コーポ・ルミナスの駐車場22番。
そこには、フロントガラスに「不正改造車」と書かれた真っ赤なお札を貼られたまま、魂を抜かれたように佇む白いシルビアがあった。
「うにゃあ……お巡り特製のキョンシーのお札、早く剥がさないと15日の期限が過ぎてシルビニャが本当のスクラップにされちゃうにゃ……」
直人は焦っていた。
期限まではあと数日。しかし、前回の倉庫清掃で密輸しようとした緑のやつ――『TE〇N』の『M〇NO RACING』は、粕谷編集長にガッチリ没収されたた。
現在のシルビアの足回りには、オイルが抜けきって限界突破した『D-〇AX』のピンク色のサビた鉄屑が突っ込まれたままである。当然、車高は最低地上高9センチに遠く及ばない。
「ヤフオクでまた探すにゃ? ……だめだにゃ、今から落札して発送を待っていたら確実に期限切れでお巡りにシルビニャを召し立てられちゃうにゃ! こうなったら、直接『実店舗』に行って現物をこの手で毟り取ってくるしかないにゃ!」
とはいえ、肝心のシルビアは現在、完全に走行不能の休眠状態。
埼玉県南東部の某アパートから、目ぼしい中古パーツショップがある場所まではあまりにも遠い。電車移動などという、自分の意志で加減速もできない鉄の箱に運賃を払うのは、車クズとしてのプライドが許さなかった。
駐車場で「うにゃー」と頭を抱えて唸っていた直人は、ふとアパートの裏手にある、ゴミ捨て場横の雑草エリアに目を向けた。
そこには、彼がこのアパートに入居する遥か昔から、雨風に晒されて静かに朽ち果てていた、ボロボロでピンク色の「ママチャリ」が転がっていた。
「……そうだにゃ。アパートの裏に、神が僕ニャンに残してくれたピンク色のセカンドカーがあったにゃ。何年も放置されてるってことは、この子は地球の所有物。地球のものは、僕ニャンのものにゃ!」
直人は、チェーンが茶色く錆びつき、サドルが裂けて中身のスポンジが露出しているピンクのママチャリを引きずり出した。
前カゴはサビで茶色い網のようになっており、前輪のブレーキパッドは摩耗しきって金属が剥き出しになっている。
辛うじて空気が残っているタイヤに、直人は自分の愛車用(!)の高圧空気入れで限界まで空気をブチ込んだ。
「よーし、シルビニャの代わりに、このピンク・チャリニャンで東京の練馬にある『アップガレージ練馬店』まで遠征だにゃ! 距離にして片道約25キロ……! 余裕だにゃ、これでも僕ニャンは中学はサッカー部。僕ニャンの心臓は1.5リッタークラスの肺活量を誇るにゃ!」
直人は白髪ウルフマッシュの流し前髪をかき上げ、ブルーの瞳をキラリと輝かせると、ピンク色のママチャリに跨り、全力でペダルを漕ぎ出した。
キィィィィ、コトコトコトコト……!
錆びついたチェーンが悲鳴を上げ、1速固定(変速機なし)のママチャリが、埼玉のバイパスを激走する。
ママチャリで25キロの道のりを走るというのは、常人であればただの苦行でしかない。だが、脳のガソリンが常に沸騰している直人は、狂ったようにペダルを回し続けた。
「ふしゅー! ふしゅー! 坂道は実質、登り勾配5%のヒルクライムステージだにゃ! 立ち漕ぎは過給圧1.2キロのスクランブルモードにゃあああ!」
白髪を風になびかせ、汗だくになりながら、国道298号線から笹目通りを南下すること約3時間。
東京・練馬の『アップガレージ練馬店』の駐車場に、1台のピンク色のママチャリが凄まじいブレーキの金属音を立てて滑り込んだ。
「き、にゃぁあ………着いたにゃ……! 僕ニャンのツインカム脚、完全にオーバーヒート寸前だにゃ……」
膝をガタガタと震わせ、全身から強烈な汗と錆びたチェーンオイルの臭いを漂わせた直人は、ゾンビのような足取りでアプガレの店内へと侵入した。
他のお客や店員が「なんだあのヤバい奴は」と一斉に距離を置く中、直人はまっすぐに足回りコーナーへと突進した。
今の直人にとって、サーキットの減衰力特性だの、スプリングのバネレートがどうだのといった高尚なこだわりは二の次だった。
「とにかく、今すぐ自力で車高が上げられて、明日の再車検に通る、そこそこまともなネジ式の車高調」であれば、なんでも良かった。
棚の奥までブルーの瞳を皿のようにして捜索していた直人の手が、ある緑色の箱の前でピタリと止まった。
「にゃ、にゃにぃっ!? 定価の半額以下で投げ売りされてるにゃ……!」
そこに置かれていたのは、信頼の黒と赤のブランド『BL〇TZ』が誇る、全長調整式車高調『Z〇-R』だった。
しかも、ラベルには信じられない文字が書かれていた。
『減衰力電子制御システム・DSC付き(動作未チェックのためジャンク扱い)』
「DSC付き……! 運転席のコントローラーから、モーターを介して車高調の減衰力をミリ単位で調整できる、あの電子制御システムがセットになって、この投げ売り価格だにゃ!? ジャンク? 知らないにゃ! 僕ニャンのゴッドハンドにかかれば、どんな電子基盤も一瞬で息を吹き返すにゃ!」
直人は、財布からなけなしの野口英世たちをかき集め、レジへと叩きつけた。
「これ、買うにゃ! 箱はいらないから、中身をこのゴミ袋に詰めてほしいにゃ!」
無事に購入を済ませた直人だったが、本当の地獄はここからだった。
総重量20キロを超える鉄とアルミの車高調4本と、DSCの配線ユニットを、あのサビサビのママチャリの前カゴに無理やり押し込んだのだ。
「うにゃっ、フロントヘビーすぎてハンドルが1ミリも動かないにゃ……!」
前カゴが重さでひん曲がり、前輪が地面にめり込んでいる。
だが、直人はそのピンク色のサドルに再び跨った。
「ふん、フロントミッドシップの荷重移動だと思えば、むしろコーナリングの頭の入りが良くなって最高だにゃ! 帰路スタートだにゃ!!」
フラフラと蛇行しながら、前輪が段差を越えるたびに「ガツン!」と底突きするママチャリを必死にコントロールし、直人は再び埼玉へとひた走った。
何度も前方に一回転してひっくり返りそうになりながらも、驚異的なバランス感覚でそれをねじ伏せ、アパートに辿り着いたときには、時刻はすでに夕方の4時を回っていた。
「ふしゅー……! 帰ってきたにゃ! 休んでいる暇はないにゃ、今からシルビニャの緊急オペを開始するにゃ!」
直人は息を整える間もなく、工具箱を開けてシルビアをジャッキアップした。
アパートの駐車場22番。もちろん、外したタイヤや古いピンク色の車高調は、当然のように両隣の21番と23番のスペースに散乱し、ピットエリアを拡大させていく。
直人はツナギを油ギトギトにし、顔に黒いグリスを塗りたくりながら、驚異的なスピードで作業を進めた。
固着した『D-〇AX』を力任せに引き抜き、新調した『Z〇-R』をボルトオンで組み込んでいく。
今回は「合法車検仕様」にするため、あらかじめきっちりとスプリングシートの位置を測定し、最低地上高9センチを確保する高さに調整して装着した。
「よし、足回りの装着は完了だにゃ! 次は『DSC』の配線だにゃ!」
直人は車体の下に潜り込み、4本のショックアブソーバーの頭に取り付けた小型モーターから、細い配線を這わせた。
配線をエンジンルームからバルクヘッド(隔壁)を通して室内へと引き込み、インストルメントパネルの真ん中へ。
追加メーターの配線と複雑に絡み合うスパゲッティ状態の配線群の中に、DSCの液晶コントローラーを無理やりタイラップで固定し、シガーソケットから電源を引っ張る。
「カチッ……」
キーをACCに回すと、DSCの液晶画面に「BL〇TZ」の文字が青く浮かび上がった。
同時に、前後の足回りから「ウィーーーン、ウィーーーン」と、精密なモーターが減衰力のダイヤルを電子制御で回す、最高にメカニカルな作動音が響いた。
「動いたにゃ! 動いたにゃあああ!! ジャンクなんて嘘っぱち、僕ニャンのシルビニャに適合するための、完璧な合法ギミックだにゃ!!」
時刻はすっかり夜の帳が下り、暗くなっていた。
全身オイルと汗と泥でドロドロになった直人は、グラデロゴのバケットシートに深く腰掛け、暗闇の中で青く光るDSCのコントローラーを嬉しそうに何度も指で突ついていた。
「ウィーーン、ウィーーン」と車体の下から響く小さなモーター音を聴くたびに、彼のブルーの瞳が、まるで暗闇の猫のように怪しく、そして幸せそうに輝く。
「これで明日の再車検は、100%合法でパスできるにゃ。お巡りどもが『ぐぬぬ……どこをどう突ついても、車高もマフラーも完璧に合法だ……!』と泣き崩れる顔が今から目に浮かぶにゃ!」
直人は嬉しそうに、お気に入りのノンアルコールビールを喉に流し込んだ。
明日の朝、陸運局の検査ラインで大暴れする瞬間の妄想が止まらず、彼の全身からは心地よいアドレナリンがこれでもかと噴き出している。
アパートの窓から、隣の中島さんが「また夜中に車の中で不気味にニヤニヤしてやがる……」と恐怖の目で見つめていることなど、今の直人にとっては、ただの道端の雑草ほどの意味も持たないのであった。




