狭霧さんイベ
「ふふっ……くくく、あーはっはっは!」
鉄扇で口元を隠し、狭霧は本当に愉しそうに、そしてどこか冷ややかに声を上げて笑った。腰に巻きついた銀の尻尾が、その愉悦を表すようにゆっくりと、しかし力強く波打つ。
「場違い、ときたか。まさか我を前にして最初に出る言葉が、世界の理に対する畏怖ではなく、その『世界観のズレ』への指摘とはな……。やはり人間とは、どこまでも予想を裏切る面白い生き物じゃ」
彼女は、貴方の足を絡め取っている尻尾の力を少しだけ強め、さらに距離を詰めてくる。触れ合う肌から、氷のような冷たさと、微かな熱が伝わってきた。
「東方感……? ほう、そなたの住む世界では、我のように和歌を詠み、鉄扇を掲げ、弾幕……もとい『スペルカード』のような呪理を操る者をそう呼ぶのか。
いいだろう、教えてやろう。アパートの他の娘たちが『おにーさん、大好きっ♡』と甘やかな恋に現を抜かす中、我だけが『不老不死の因果』や『万物融解の毒』などという、どこぞの幻想郷にでも転がっていそうな重苦しい設定を背負っている理由をな。
……それは、我の生きる時間が『永劫』だからじゃ」
狭霧は茶人帽の端を指先で弄りながら、萌葱色の瞳を怪しく細めて貴方の顔を覗き込む。
「他の獣人どもは、人間に交じり、数十年という短い時間を健気に、あるいは必死に生きようとしておる。ゆえにその姿も口調も、そなたたちの日常に馴染む。
だが我は違う。自ら禁忌の薬を調合し、終わらない時間を手に入れた流浪の観測者。数百年、数千年の歴史の興亡を、ただ冷ややかに見下ろしてきたのじゃ。まとう空気の濃度が、そこらの小娘どもと違って当然であろう? むしろ、この我をただの『ケモ耳お姉さん』の枠に収めようなど、百年早いわ」
フッと鼻で笑い、彼女は鉄扇をパチンと閉じて、貴方の胸元を小突いた。
「それに、場違いというなら『世界の軸をひっくり返す堕天使』や『血を啜る妖刀使い』も同類のはず。我が少しばかり『和風伝奇のボスキャラ』のような、圧倒的な格上のオーラを放っているからといって、そう怯えるな。」
茶人帽の縁を指先で優しく整え、萌葱色の瞳を細めた狭霧が、音もなく貴方の背後に現れる。彼女が歩くたび、羽織の隙間から覗く白い長い脚が艶めかしく揺れ、冷ややかな空気が周囲を満たした。
彼女は、貴方の腰を銀の尻尾でねっとりと絡め取ると、持っていた鉄扇で貴方の顎をクイと持ち上げ、冷徹な微笑を浮かべる。
「ふっ……『水ダウ』に『重音テト』ときたか。そなた、我を前にして随分と現代のサブカルチャーに脳を焼かれておるな」
狭霧は呆れたように、しかしどこか満足げに萌葱色の瞳を細めた。貴方の足を縛り付ける銀の尻尾が、楽しげにピコピコと小さく揺れる。
「4月1日の嘘、すなわちエイプリルフールというやつじゃな? 我を『東方の新作ボス』と偽ってネットの海に放流するとは、大きく出たものよ。
『東方因果毒 〜 The Absolute Observer.』とでも銘打って、それらしいZUN絵風の立ち絵と、1面の道中で流れていそうな和風ゴシックなBGMを添えてみせよ。確かに、あの界隈の目の肥えた人間どもですら、一瞬『おや?』と首を傾げるかもしれんぞ。我のこの完成されたビジュアルと、無駄に重厚な設定ならばな」
彼女は鉄扇をパチリと手のひらに打ち付け、愉しそうに言葉を続ける。
「だが、現実はそなたの言う通りよ。
今のネットの人間どもは、騙されたと知るや否や、一斉に手のひらを返して大炎上を起こす。
『新キャラのくせに世界観を私物化しすぎ』『不老不死とか妹紅や輝夜と被ってんだよ』『設定が盛りすぎでキツい』などと、無数の匿名の毒を吐き散らすのじゃろう? ふふっ、人間が放つ因果の毒、我の魔術などよりよほど陰湿で醜悪、そして最高に退屈しのぎになる」
狭霧は一歩、貴方との距離を詰め、茶人帽の端を弄りながら妖しく微笑んだ。
「テトのように逆輸入されて、数年後に太鼓の達人で我がスペルカード曲が叩かれる未来など、万に一つもないわ。……いや、待てよ? もし万が一、その大炎上の果てに我が本当にその『幻想の郷』とやらに逆輸入されるような、圧倒的な『理の歪み』が発生したとしたら……」
一瞬、彼女の瞳の奥の呪術回路が、ゾクリとするほど美しく、狂気的に明滅した。いつもの絶対的な余裕が一瞬だけ瓦解し、古の化け狐としての、悍ましくも美しい執着が顔を覗かせる。
「……くくっ、それはそれで、この永劫の退屈が消し飛ぶほどの傑作じゃ。そなたが着火した炎で、我が世界ごと融解していく様……想像するだけでゾクゾクする。
なぁ、人間。水曜日の説検証とやらでも、炎上上等のデマ作戦でも何でも良い。我を使って、その『ネットの海』というやつを盛大にハッキングして狂わせてみせよ。そなたが仕掛けたノイズなら、我、喜んでその炎の中に飛び込んでやっても良いぞ?」
狭霧は鉄扇で口元を隠し、くくくと喉を鳴らして 嗤 ( わら ) った。腰に巻きついた銀の尻尾が、今度は獲物を品定めするように、貴方の足元をゆっくりと、愛撫するように這い回る。
「秋葉原の電気街口を出た先の巨大看板に、我がこの姿でデカデカと飾られる、か。……ふふっ、デマで炎上するよりは、確かに幾分か『無難』であり、かつ極めて俗っぽい現実味があるな」
だがしかし、その言葉が飛び出した瞬間、狭霧の美しい眉がピクリと跳ね上がった。それまで彼女が醸し出していた「東方のボスキャラ」然とした大物オーラが、一瞬にして『令和のオタクカルチャー』というあまりにも俗世的な重力によって、地上へと引きずり落とされる。
「……そなた、今、何と言った? 『PCエロゲ化』……?
待て。我を、あの、人間の男どもが己の破廉恥な欲求を満たすためだけに買い漁る、あの薄汚い18禁の遊戯の看板娘に仕立て上げようというのか!?
しかも、あのアキバという街の駅前や電気街のビル壁面に、我が鉄扇を掲げて艶然と微笑む巨大な姿がデカデカと晒されると……?
『不老不死の妖狐と紡ぐ、永劫の純愛伝奇ADV!』などという安直な煽り文句と共にッ!」
狭霧は持っていた鉄扇を、かつん、と音を立てて激しく閉じ、茶人帽の端を指先で引きちぎらんばかりの勢いで弄り始めた。萌葱色の瞳の奥で明滅していた古の呪術回路が、驚きと、それ以上に「あまりにも解釈の一致した無難な商業展開」への困惑で、パチパチと異常な回転を見せ始める。
普段の「すべてを見通す冷徹な傍観者」としての余裕が完全に瓦解し、古の化け狐としての本当の狂気――ではなく、生真面目な世界観の構築者としてのプライドが、ノイズまみれになって焼き切れていく。
「お、おい、人間、ちょっと待て。確かにそれは……炎上するデマ検証などより、よほど『現実的』で、よほど『性質が悪い』ぞ……!
あのアパートにいる祢音というガチオタの狐小娘が、日々液タブに向かってブツブツと、ウチのサークルでエロ同人を描くだの何だのと言っているのは知っていたが、我がまさかその本家本元の主役に据えられるとは、我が数千年の観測記録にも存在せぬバグじゃ!
いいか、よく考えよ。我がPCエロゲのヒロインになるということはじゃ。
最初は冷徹で、そなたの命を『詠む一首の間に砂へと還る』などと見下している我が、シナリオの中盤でそなたの異常な執着(あるいは課金か?)によって『攻略』され、終盤の重要なイベント CG において……あ、あり得ぬほど顔を真っ赤に染め、涙目で、その、肌を晒してそなたに組み敷かれるということではないか!
我がそんな、人間の身勝手な妄想のパッチワークのようなシナリオに、大人しく 50 ギガバイト超の容量で収まっていると思うてかッ!?」
彼女は激昂している……ように見えて、その実、腰に巻きつけた銀の尻尾は、先ほどから獲物を捕らえた肉肉しい締め付けを忘れ、完全に「どうしてくれようか」と激しく左右に、バタバタと波打っている。その毛並みはいつも氷のように冷たいはずなのに、今の彼女の肌は、明らかに自身の言った「イベント CG」の光景を脳内で計算してしまい、ほんのりと熱を帯びて赤くなっている。
「う、ううむ…し…しかし……」
狭霧は急に声を潜め、鉄扇で口元を隠しながら、萌葱色の瞳を怪しく、そしてどこか羨ましそうに細めて貴方の顔を覗き込んだ。
「……しかし、そなたが、どうしても我をその『エロゲ』とやらの世界で、他の誰にも触れさせぬ『完全限定版の家宝』として独占したいと、脳髄が狂うほどの執着を見せるのであれば……。
ふん、そのゲームの『初回限定特典』の抱き枕カバーとやらに、我がこの銀の尻尾でそなたの全身を夜な夜な絡め取る呪理を、描き下ろさせてやらぬこともない。
……どうじゃ? ネットの海でただ燃え盛る砂の数字になるよりは、そなたの部屋の PC の中で、我と永劫の退屈を舐め合う方が、よほど『無難で、濃厚な』因果の毒だと思わぬか?」




