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第十話 知らない者たちの朝

呉自動車のシャッターは、朝から半分しか開いていなかった。

理由は単純だ。

「……お前なあ」

呉福造は、深くため息をつきながら、セリカのフロントを睨んでいた。

睨まれているのは車だが、実質的に睨まれているのは、その横に立つ加賀練斗である。

「どうやったら、ここまで無言で壊せる?

 事故ったにしても、説明ってもんがあるだろ」

加賀は何も言わない。

言い訳もしない。

ただ、視線を逸らしている。

ボンネットは歪み、フェンダーは裂け、

見た目だけなら“まあまあ派手なクラッシュ”だ。

だが、呉には分かる。

「……これ、普通の事故じゃねえな」

加賀の沈黙が、それを肯定していた。

「はあ……」

もう一度、ため息。

「説教は後だ。

 直す」

加賀が、わずかに顔を上げる。

「ただし」

呉は、人差し指を立てる。

「常連価格だ。

 しかも“超”常連」

言葉の意味が分かると同時に、

加賀の肩から、ほんの少し力が抜けた。


一方、その頃。

呉自動車の外。

「なあマイケル! その動画もう一回見せろって!」

「HAHA! コノ角度、最高デスヨ!」

「お前ら声でかい! マジで!」

マイケル、細田、一ノ宮、鈴木。

昨日、夜のキャンパスで何があったかなど、

一切知らない人間たちは、

いつも通り、うるさかった。

「つーかさ、加賀遅くね?」

「呉さんに捕まってるんじゃね?」

「絶対説教コースだろ」

「ご愁傷さまー」

誰も、壊れた理由を聞かない。

聞こうとも思わない。

それが、この連中の日常だった。


鈴木準は、ふと足元を見る。

アスファルトに、

何かが落ちている。

「……ん?」

しゃがみ込む。

それは、毛だった。

短くはない。

だが、獣のものにしては、やけに柔らかい。

色は――

金。

「……あれ?」

準は、それを一本、指でつまむ。

「……狭霧さんの毛って、銀じゃなかったっけ?」

細田が、適当に覗き込む。

「は? 何それ。猫?」

「猫にしてはデカくね?」

「つーか準、拾うなよ。きったね」

準は首を傾げる。

量は、まあそれなりだ。

一本二本じゃない。

風で集まったように、端に寄っている。

「……ふーん……」

特に結論は出ない。

準は、その毛を指から離す。

「ま、いっか」

深く考えない。

考えないからこそ、日常は続く。

「それよりさ! 昨日の夜、やたらキャンパス静かじゃなかった?」

「言われてみれば」

「気のせいだろ」

「俺、なんか変な夢見たんだけどなー」

誰も、答えを持っていない。


シャッターの向こう。

呉の説教は、まだ続いている。

だが、

セリカの下では、確かに工具の音が鳴り始めていた。

直される。

完全ではなくとも。

歪みは残るだろう。

それでも、走る。

夜に起きたことを知らない者たちと、

知ってしまった者たちを乗せて。

アスファルトの上には、

金の毛が、少しだけ残っていた。

誰にも気づかれないまま。

――世界は、何事もなかったかのように、回り続ける。


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