2.ヒヤシンスの向かう先
───キースとカザリアが付き合うことになったらしい。
イリスは騎士団の中庭のベンチに1人で座っていた。真上にあるイチョウの木は少しずつ色づいてきていて、今年ももうすぐ秋になり、そして冬が来るのだとイリスはまくっていた袖を戻した。今日は少し肌寒い。夕方から嵐がくるとか。
───キースにカザリアを守らせたのは間違いだったな。
隣国の騎士団が攻めてきたとき、イリスはキースにカザリアを守ってもらうことにした。
イリスはキースがカザリアを好きなことは知っていた。だからちょっとしたイタズラのつもりだったのだ。イリスは前線で戦い、キースは前線に出られない。この国の女の子の特徴として、果敢に挑む男性が好まれる───だからカザリアもそうだと思っていた。
───甘く見ていた。そして、カザリアのことを何も分かっていなかった。
イリスは自嘲気味に笑う。
「またカザリア嬢のことを考えていたの?」
良く通る声が響いた。イリスが前を向くと、いつの間にか目の前に人がいた。
「リアナ。いつの間に。」
「今だけれど、イリスにしては珍しいわね、ボーッとして。」
リアナ・ハンベル。騎士団の数少ない女性騎士である。イリスより5つ年上。サバサバした性格であり、剣さばきは一流で、周りからも評価されている。
イリスは年下ではあるが、入団当初リアナから「対等に接してほしい」と伝えられ、まるで同期入団同士のように過ごしてきた。
「まあ、君の言う通りだよ。カザリアとキースのことを考えていた。」
イリスはまた空を見上げ息をついた。
「自分でキースを助けておいて、良く言うわね。キースがカザリア嬢を好きなこと知っていたくせに。」
「うるさい。」
イリスは頬をふくらませた。その様子にリアナは苦笑する。騎士団の中核にいるイリスでもリアナの前では1人の男の子。年上のリアナには素を見せることが多いように感じていた。
「…そうしていれば、可愛い1人の男の子なのにね。」
「可愛いって言うなよ。オレはカザリアにとってかっこいい騎士でありたかったんだ。」
返し方もやっぱり男の子、とリアナは笑い、そのままするりとイリスの横に座る。
「じゃぁ、カザリア嬢のことはあきらめて、私のことを守ってくれないかなぁ。」
つん、とリアナの指がイリスの頬を押す。その仕草にボンッとイリスの顔が赤くなり、目にも留まらぬ早さで立ち上がった。
「そそそ、そういうこと!簡単に人にするなよ!勘違いされるぞ!」
「あらー?イリスも勘違いしたのかしら?」
「ううう、うるさい!リアナのバーカ!」
慌てて走り去るイリスの後ろ姿を見ながらリアナは声を上げて笑い、そして寂しそうに眉を下げた。
「…本当に守ってくれてもいいのにね。」
◆◆◆
リアナを置いて走り去ったイリスはなんとか気持ちを落ち着けようと食堂に来ていた。騎士団の食堂はメニューが豊富で、メインからデザート、飲み物に至るまで様々な品揃えがある。イリスはコーヒーとチーズケーキを注文して、席を探した。その時、窓側のテーブル席に見知った姿を見つけた。
───カザリアと、キース。
2人ともデザートタイムに食堂に来ていたらしい。おしゃべりが好きなカザリアが身振り手振りを加えながら話し、キースがうなずきながら笑っている。とても楽しそうだと、イリスは思った。
───オレの入る隙間なんてなかったんだな。
イリスは踵を返し、2人とは反対側のカウンターに席をとった。
───カザリアのことを先に好きになったのはきっとオレだけど、カザリアが誰を選ぶかなんてわからないからな。
コーヒーがいつもより苦く感じる、とイリスは苦笑した。苦さを紛らわせるためにチーズケーキを一口食べ、イリスはふと思い出す。
───そういえば、オレが落ち込んでいたとき、リアナがチーズケーキをくれたっけ。
それは騎士団に入ってすぐ、団長に怒られたとき。
それはキースとケンカしたとき。
それは大切な師匠が亡くなったとき。
いつもリアナはチーズケーキを持ってきてくれた。
「イリスは甘い物苦手だもんね。」
そう言って、そばにいてくれた。
───ま、まあだからといって、リアナは大切な同志だし?特別な感情なんてない。
イリスは先ほどのリアナの発言を思い出して赤面し、またもや目にも留まらぬ早さでチーズケーキをかきこんだ。
◆◆◆
その日の夕方。イリスはキースと見回りに出ることになった。先ほどの食堂での光景を見た後だったため、イリスは正直居心地が悪かった。
「イリス?どうしたの?」
気がつくとキースがイリスの顔を心配そうに覗き込んでいる。
「あ、いや、なんでもない。今日のルートは中庭だっけ?」
「うん。嵐がくるっていうから、早めに対策した方がいいかもしれない。」
キースはいつになくキビキビと動いている気がするとイリスは思った。カザリアと付き合ったことで何か変わったのだろうか。
───人を好きになってそれが叶うと、人は変わるのだろうか。
キースと中庭に向かったイリスはそこで目を見張った。昼間リアナと話していたベンチの上にあったイチョウの木が、強風で今にも倒れそうに傾いている。しかも倒れそうな木の向かう先になぜかカザリアの姿もある。しかしイリスが驚いたのはそこではなかった。
「リアナ!!何をしているんだ!!」
イリスが怒鳴り声を上げ、木に近付く。リアナはカザリアを庇うように倒れかかっている木を必死で押さえていた。
「何って!見たら分かるでしょう!?木が倒れないように食い止めているの!早くカザリア嬢を安全なところに!」
その声と同時にキースはカザリアを抱きかかえ、イリスはリアナに加勢した。キースとカザリアの姿が官舎内に戻ったのを見て、イリスとリアナは素早く木から離れると、ダーン、と大きな音と共に木が倒れていった。
「まったく君は!女性が1人で倒木を食い止められるとでも思ったの?」
イリスは全身に力を入れすぎて震えが止まらなくなっていたリアナを抱きかかえ、官舎に向かおうとした。
「ちょっと!やめてよ!1人で歩けるから!」
「やめない。医務室に連れて行く。」
カツカツと靴音を鳴らして廊下の真ん中を歩くイリスを、リアナは少し怖いと思ってしまった。
「…ねえ、イリス。怒ってる?」
「ああ。君があまりにもオレを心配させるから。」
「…カザリア嬢が助かったんだからいいじゃない。」
リアナが少しトゲのある言い方をした。そのことにまた腹を立てたのか、イリスが声を荒げる。
「君だって大切なんだ!リアナが“自分なんて”って思ってること、それが許せない。」
「それって、どういう…?」
「えっ!?いやその…仲間!大切な仲間だから!」
自分の思いもよらない発言に自ら驚いたのか、イリスが顔を赤くする。リアナは嬉しくなってうなずきながらも、上目遣いで聞いた。
「ねえイリス。さっきどうして私の名前を先に呼んだの?」
「さっき?」
「さっき、私とカザリア嬢を見つけたとき。」
イリスはイチョウの木の下にいたリアナの姿を思い浮かべた。確かにカザリアの姿もその前に発見していた。それなのになぜイリスはリアナの名前を先に呼んだのか。そこまで考えてイリスは顔をさらに赤くした。
「えっ?いや、それは…。」
リアナがするりとイリスの首に手を回す。
「いいよ、イリス。今はまだわからなくても。でもいつか絶対イリスを私の虜にしちゃうからね!」
「それって…?」
「意味は自分で考えなさーい。」
にやりとリアナが笑う。
イリスがリアナの気持ちに気付くのは、もう少し先のお話。
「勿忘草を君に」のスピンオフのつもりで書いたお話です。
楽しんでいただけると幸いです。
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