見捨てられた伯爵夫人は死にました
「……そう。今日もオズワルド様はリリア様を連れて別棟に行かれましたのね」
結婚してから1年経つというのに、妊娠が判明してから8ヶ月が経つというのに、もう半月も夫のオズワルド様とお話し出来ていない。
そんな現実に、私はため息交じりに呟いた。
次期ブラフレア伯爵様と私サーシャ・オーフィリア子爵令嬢の結婚は政略的なものだったから、こうなることを予想していなかったと言えば嘘になる。
貴族では、確実に子孫を残すために愛人や側妻を置くことがよくある。
だから覚悟はしていたし、愛人を作ること自体に反対はしていないのだけど……。
実際に見捨てられると不安になってしまうのよね。
お腹の子がいつ産まれてもおかしくない状況なのに、ここ一年で財政が傾いてしまったブラフレア家にはお医者様を雇う余裕も無かった。
最初は10人居た侍女も、今は3人しかいない。
リリア様に高価な宝石をプレゼントする余裕はあるみたいだから、おかしな話です。
疑問に思っても、それを問いかけると機嫌を悪くされて、ただでさえ少ない食事がゼロになってしまうから私には何も出来ない。
この屋敷でたった一人の味方、実家から連れてきた侍女のダリアもオズワルド様には逆らえない。
それでも危険を顧みないで、彼女の食事を私に分けてくれているのだから、頭が上がらないわ。
侍女の食事も減らされているから、二人で分けるとなるとお腹を満たすことなんて出来ないのだけど。
「私に力が無いばかりに……。申し訳ありません」
「全部私が悪いのだから、気にしないで」
実家に帰ることはもちろん考えた。
けれども、助けを求める手紙が家に届いた気配は無い。
私のことを大切にしてくれているお父様とお母様が様子を見に来た時もあったそうだけど、私が姿を見せるより早くオズワルド様に追い返されたらしい。
子爵家では伯爵家に逆らうことが出来ないから、お母様達は帰ることしかできなかったのよね……。
そんな訳で、私が頼れる人はダリアしかいないのだけど、私より2つ歳上で18歳の彼女もお産の経験なんて無いから、申し訳ないけれど頼りない。
お医者様が居れば安心できるのに、今のオズワルド様は私を顧みないから、いくらお願いしても無駄だった。
今はもう、隣に建っている別棟に行く元気もないから、自分でなんとかしなくちゃ……。
そう思っていたら、突然ズキッという痛みがお腹に走った。
「サーシャ様、どうかされましたか?」
少し表情を歪めただけで異変に気付いたダリアが声をかけてくれた。
「少しお腹が痛んだだけよ。大したことは無いわ」
「もしかしたら、産気付いたのかもしれません。とりあえず、横になってください。
タオルとお水を持ってきますね」
「ありがとう……」
お礼を言いながら、昨日から硬いものに変わってしまったベッドに向かう。
ちなみに、それよりも前に使っていたふかふかのベッドは、リリア様が寝泊まりする時のためにと持っていかれてしまったのよね。
「痛っい……」
「サーシャ様、お支えしますね」
「ありがとう……」
さっきよりも強くなった痛みに耐えられなくて倒れそうになったところを、ダリアは支えてくれた。
……のだけど。
「収まったわ」
「それは良かったです。念のために用意だけしてきますね」
さっきの痛みが嘘だったかのように、綺麗になくなっていた。
そんな時、オズワルド様の声が聞こえてきた。
「サーシャ、話があるから着いてこい」
「はい……」
彼の命令は絶対だから、転ばないように気をつけながら部屋を出る私。
それから少し歩くと、再び痛みが襲ってきた。
「うぅ……」
「サーシャ、何をしている? 早くしろ」
「申し訳ありません」
けれど、このまま足を止めていたら暴力を振るわれるから、必死に耐えて足を進める。
「リリア、待たせて済まない」
「全然待っていないから大丈夫よ」
「そうか。では、紹介しよう。
まず、彼女は今度側妻として迎えるリリアだ。子爵家の出だが、馬鹿にしたりしないように。
こちらは妻のサーシャだ」
当たり障りないように、笑顔を浮かべて軽く頭を下げる私。
リリアさんはもう少し高位の生まれだと思っていたのだけど、子爵令嬢だったのね……。
初めて知ることに驚いてしまう。
「サーシャ様のお腹には赤ちゃんがいるのね」
「そうだよ。触ってみるかい?」
「うん」
「サーシャ、リリアに触らせてあげなさい」
「はい」
今はお腹が痛んだりしているから触らせたくないけれど、私に頷く以外の選択肢は無い。
「ふーん、こんな感じなんだ」
優しく触りながら、そんなことを口にするリリアさん。
けれども次の瞬間、彼女が不気味な笑みを浮かべていた。
身構えたけれど意味がなくて、お腹を強く押された私は、背中から床に倒されてしまった。
その時に近くにあった花瓶を倒してしまって、大きな音が響く。
けれどもそのことを気にしていないリリア様は、嫌な笑みを浮かべたまま私に近付いてくる。
「サーシャ様、大丈夫!? よろけてしまったのね!」
「うぅ……」
また激痛が襲ってきて、呻き声を漏らしてしまう私。
「貴女が流産すれば私が正妻になれるはずなの。恨むならオズワルドを恨んでね?」
耳元でそんなことを言われた気がするけれど、何かを言い返す余裕なんか無かった。
「サーシャ、立てるよな?」
「無理です……」
腰の辺りに広がる液体の感覚に、嫌な予感がする。
痛みもさっきと比べものにならない。
「すごい音がしましたが、大丈夫ですか?」
「ああ。サーシャがよろけて、花瓶を割ってしまっただけだ。驚いて粗相をしたようだが」
「旦那様、これは粗相ではありません。赤ちゃんが産まれそうな時に出るものです」
平然とした様子のオズワルド様に怒っているダリア。
このままだとダリアの身が危ないわ……。
そう思っていたけれど、オズワルド様の反応は予想と違っていた。
「そうか、産まれるのか! サーシャ、産まれるならそうと最初から言ってくれ。
そろそろ産まれるのか?」
「そんな簡単に産まれませんよ。とにかく、今はサーシャ様を寝室に運んでください!
無理なら私がお連れしますが?」
「わ、分かった」
私の苦しむ様子を見て、ようやく危機感を覚えたのかしら?
オズワルド様は初めてダリアの要求を受け入れてくれた。
正直、オズワルド様に抱き上げられても安心なんて出来なかった。
けれども今は彼とダリアしか頼れない。
「まだ痛むのか?」
「はい……」
「サーシャ様、お水をお持ちしました。飲めますか……?」
「ありがとう」
ティーポットにお水を入れて持ってきてくれたダリアにお礼を言って、少しだけ口に含む。
さっきからの痛みで身体に力が入ってしまって、今は汗も出てしまっている。
だから、冷たいお水は嬉しかった。
そもそものお話、お茶なんて高級品はこの家に無いのだけど……。
「それから旦那様とリリア様はここから出てください!」
「俺は夫なのにか?」
「その自覚があるならお医者様を呼んでください」
「私、お産について勉強したいわ」
「ダメです。サーシャ様に敵意のある方は入れさせられません」
あの場面を目撃していないはずなのに、ダリアは私を守ろうと必死に動いてくれている。
「何よ、勝手に決めつけて!」
「オズワルド様の赤ちゃんを殺そうとしたこと、知ってますからね?」
初めて見るダリアの剣幕に気押されたのかしら?
リリア様がそれ以上何かを言ってくることは無かった。
「サーシャ様、お待たせしてしまって申し訳ありません」
「大丈夫よ……」
痛くなったり収まったりを繰り返していたのに、今はずっと痛むようになっている。
痛みに耐えようと思うと、自然と力が入ってしまう。
けれども、すぐに息が上がってしまって、力を入れ続けられない。
「ゆっくりで大丈夫です。また落ち着いたら力を入れましょう」
「分かったわ」
女に学は要らないと言われ書庫に入ることが許されなかった私には、こういう時の知識はほとんど無い。
でも、ダリアは掃除の時に少しずつ知識を入れてくれたみたいね。
体勢から力の入れるタイミングまで、間違っているとは思えなかった。
でも、知識があったところで私の体力はもう限界。
「ごめんね……。私、もうダメかも……。
せめてこの子は無事に産んであげたかったわ」
腰の周りには赤いものが少しずつ広がっているのが目に入った。
こんなに痛いのだから、血が出ていて当然。
今の私に治癒の力が使えればなんとかなったのかもしれないけれど、この一年の間に使えなくなってしまった。
遠のく意識を引き止めようと思っても、無理そうだ。
「サーシャ様! しっかりしてください!」
「分かってるわ。でも、もう無理よ……。力が入らないの」
手を握って声をかけ続けてくれるダリアには申し訳ないけれど、多分もう生きていられない。
お母様、お父様。先立つことをどうかお許しください。
頭の中で謝る私。
どれくらいの時間が経ぎたのか分からないけれど、産声を聞く前に意識を手放してしまった。
◇
「ひああぁぁぁっ!」
「わっ!?」
恐ろしい痛みに、中々止まらない大量の血。
そんな悪夢のせいで、私は悲鳴を上げながら飛び起きた。
「サーシャ様、どうされましたか!?」
「血が、血が……」
直前まで見ていた光景が脳裏に浮かんで、助けを求める私。
腰の辺りが冷たくなっているのは、気のせいでは無さそうだ。
粗相をしてしまったのかしら? それとも、さっきの血が残っているの?
恐る恐る視線を下ろすと、暑い時期に使う薄手の掛け布団の上に、ひっくり返ったティーカップがあった。
「血、ですか? どこかを怪我を?」
「ただの悪夢よ……」
「そうでしたか。何事も無くて良かったです。
それと、お茶をかけてしまって申し訳ありません」
「私の方こそ、脅かしてごめんなさい」
普段なら悪夢を見たとしても叫ぶことは無かったのに……。
あの夢は、妙にリアルだった。
まるで現実に起きたことのように。
ううん、違う。あれは現実そのもの。
ということは……。
私、助かったのね!
けれども難産だったのは間違いないから、赤ちゃんも無事とは限らないのよね。
だから、悲しい言葉を聞く覚悟を決めてから問いかけた。
「ダリア、赤ちゃんはどうなったのかしら?」
「赤ちゃんですか? それはどなたの?」
「私以外に居ると思うの?」
「もしかして、赤ちゃんを産む夢でも見ていたのですか? 婚約されたばかりなのに、もうそんな将来のことを考えていたのですね」
婚約したばかり……?
私は助かったのよね……?
頭では理解している。あの状況になってしまったら生きている方がおかしいことくらい。
つまり、これは──。
一度死んでから、時間が巻き戻ったのかもしれない。
すぐには信じられないけれど、それ以外の原因が思いつかなかったから、無理矢理納得することにした。
「そうみたい。でも、その夢が妙にリアルだったのよね」
「慣れないことをしたからでしょう。今日はゆっくりした方がいいと思いますよ?
お茶はこちらに置いておきますね」
「ありがとう」
私好みの冷たいお茶を口にする私。
やっぱり渇いた喉には冷たい飲み物が一番だ。
生き返る感じがするなんてよく言うけれど、この表現は嘘ではないのよね。
実際に生き返ったようなものだけど。
「ねえダリア、私はオズワルド様と婚約したのよね?」
「ええ、その通りですよ? 記憶喪失にでもなられましたか?」
「悪夢のせいで不安になってしまったの」
心配そうに問いかけてくるダリア。
寝起きだったら聞き間違えたと思っていたけれど、どうやら本当だったらしい。
時間が巻き戻るのなら婚約前の方が良かったけれど、結婚前の今でも運命を変えることは出来るはず。
見捨てられるのは嫌だし、苦しみながら死にたくもない。だから、婚約は解消して一人で生きていった方が幸せだと思うのよね。
婚約期間はたったの1ヵ月だから、すぐに動いた方が良い。
一度目ではオズワルド様に浮気の気配なんて感じなかったけれど、今考えてみればずっと前から彼はリリア様と関係を持っていたはずなのよね。
それを知らなかった私は、オズワルド様を好きになっていたけれど……。
今はもう、そんな気持ちは欠片も残っていない。むしろその逆で、恨んでいるくらいだ。
「少し相談に乗ってもらえるかしら?」
「ええ、構いませんよ」
「私、オズワルド様との婚約を解消するために動くわ」
どう転んでも彼と結婚するなんて御免だから、まずはダリアに相談することにした。
「昨日婚約したばかりなのに、ですか?」
「それでもよ。二度と良縁は望めなくなると思うけれど、夢の時みたいに見捨てられるよりは良いと思ったの」
「つまり、今日の夢は正夢で、オズワルド様が浮気していると思われたのですね。
私に出来ることなら、全力で協力します」
「ありがとう! 理解が早くて助かるわ」
詳しく説明していないのに、私の言いたいことを理解してくれたダリア。
これからの行動が決まったから、私はベッドから慎重に降りて着替えることにした。
せっかくのやり直しのチャンス。逃すわけにはいかないもの。
そう決意してから、時間が過ぎていくのはあっという間だった。
私は無事にオズワルド様の有責で――彼が全面的に非を認めて、私への慰謝料の支払いや謝罪文の公表の上で婚約を解消した。
オズワルド様のこれからは、苦労が多くなりそうだと誰もが思っている。
けれども、自由の身になった私を放っておこうという貴族は少なくて、次の婚約者を決めた方が良い状況になってしまったのよね……。
そんな時、友達のヴィオラ・パールサフ侯爵令嬢からとある提案をされた。
「私のお兄様はどうかしら?」
「アドルフ様は良いお方だとは思っているわ。女性が苦手なところを除いたら……」
この提案自体は嫌なものではなかったけれど、女性が苦手な人と婚約したら、避けられてしまって最後には自由に動けなくなるような気がした。
「私が嫌われることになると思うのだけど、結婚してから食事を抜かれたりしないかしら?」
「食事? そんなことあり得ないわ。お兄様はサーシャのこと気に……ううん、何でもないわ。
虐待は犯罪なのよ? どんなにお兄様が嫌っても、食事は出てくるわ」
「そうなのね? ところで、アドルフ様はこのことを受け入れて下さるのかしら?」
「サーシャ嬢が問題無ければ、受け入れる」
疑心暗鬼になりながら問いかけていると、まさかのアドルフ様ご本人に聞かれてしまっていて、笑顔で頷かれた。
どうやら私の不利にはならないようだから、そのまま婚約を受け入れたのだけど……。
アドルフ様は他のご令嬢に迫られた時はあからさまに避けるし、私をエスコートしたり手を繋いだりしてくれない。それなのに、時間が合えばいつも私に寄り添っている。
「アドルフ様、私が隣にいても大丈夫なのですか?」
「ああ。君は俺を狙ってきていない。だから安心出来る」
理由は嬉しくないものだったけれど、不満は感じられなかった。
リリア様がアドルフ様を誘惑しても、彼は全く靡かないことだけで私がアドルフ様を信頼するのには十分だった。
◇
あれから十年ほどの月日が流れ、今の私は幸せな日々を送っている。
前回の人生で失っていたはずの治癒の力は、今も不自由なく扱えている。
リリア様とオズワルド様の関係にも変化があったらしい。
私との婚約を台無しにした責任を取らされて、家を継ぐ権利を剥奪され、リリア様には見限られてしまったとか。
そのリリア様はというと、婚約者が居ても居なくても関係なしに、殿方をひたすら誘惑して、色々な家から慰謝料を請求され、家からも追い出されたらしい。
今はその借金の返済のために、王都のどこかで平民に交じって働いているそう。
けれども、そんなことは正直どうだっていい。
今の私には、大切な子供達がいるから、構ってなんていられないのよね。
「姉様ばかりずるい!」
「グレンも来年になったら貰えるわよ!」
子供達が喧嘩しているところを苦笑しながら見守る私とアドルフ様。
「アドルフ様、女性が苦手なのは無くなりましたか?」
「いや、直っていない。ただ、サーシャは最初から苦手と思っていなかった。
傷心の貴女に嫌われたくなかったから、敢えて距離を取っていたんだ」
「そうでしたのね。あの時は立ち直れていたので、大丈夫でしたのに」
「そうだったのか。それなら、もっと早くこうしていれば良かったのかもしれないな」
そんな言葉をかけられたと思ったら、手に口付けを落とされていた。
「もう、子供たちの前ですよ?」
「見られてないから良いだろう?」
「お父様~! 姉様が……」
「あれは6歳になったら身に着けて良いものなんだ。もしその前に着けたら、神様に怒られてしまって辛い思いをするぞ?」
「え……?」
会話は少し物騒だけれど、子供たちを前にし頬を緩めるアドルフ様を見て、私も表情が緩んでしまった。
「ふふ、可愛いわ」
ついそんな言葉が漏れてしまったのだけど、アドルフ様は聞き逃していなかったみたいで、こんな言葉が返ってきた。
「グレンもフィリアも可愛すぎて困る」
「アドルフ様も可愛いですよ?」
「こんなオジサンは可愛くないだろう?」
「すぐ赤くなるところとか、もう」
「それはサーシャもだ」
そう言われたと思ったら、今度は唇を塞がれてしまった。
グレンはフィリアの着けているブレスレットに夢中になっていて、フィリアはグレンの頭を撫でている。
だから、子供達の視線は無いのだけど……恥ずかしいものは恥ずかしい。
「ほら、赤くなった」
「アドルフ様のせいですよ?」
勝ち誇った笑みを浮かべるアドルフ様に、そう言い返すのが精一杯だった。
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