龍一と奈央②
あれは忘れもしない私の、16歳の誕生日――。
その日、学校から帰った私に『許嫁』だと紹介されたのは何と、龍一だった。
しかし、その頃既にゆきえと付き合い始めていた龍一は、彼の父である大宮組の組長やウチのじーさん、それに幹部達の前で、私と結婚は出来ないと堂々と頭を下げたのだ。
時期組長としてそんな勝手は許さないと、大宮組の組長や両組の幹部達が騒ぐなか、静かに口を開いたのは、じーさんだった。
『龍一』
『はい』
『ウチの奈央じゃ、不服か?』
『ちょ、じーさん!』
『奈央は黙っとれ! 龍一、貴様に聞いとるんじゃ』
じーさんの一括に、その場の誰もが凍り付く。
普段、飄々としているので忘れられがちだが、先代から組を引き継ぎ四十年、この藤堂組を率いてきた貫禄は伊達じゃない。
皆が固唾を飲む中、それまでピクリとも動かなかった龍一は、ゆっくりと頭を上げてじーさんを真っ向から見返した。
『奈央に不服なんかありません。ただ、俺には惚れた女がいます』
『ほぉ。ならば、その女は妾として囲えば良い』
『じ――』
再び異論を唱えようとした私を、じーさんはギロリと睨んで制した。
『妾なんかにするつもりはありません。あいつは、ゆきえはそんな女じゃないですから。それに――』
何故かニヤリと笑った龍一に、じーさんは『ん?』と片方の眉を上げた。
『おやっさんも、奈央の旦那になる奴に妾がいるなんて、本当は許さないじゃないですか?』
その核心に迫る台詞に、シン――と静まり返ったのは、ホンの一瞬。
『ふぉふぉふぉっ! 龍一、お前もなかなか言いよるのぉ!』
じーさんの愉しげな笑い声が、静寂を破った。
『確かに儂ゃ、妾なんぞ囲おうとする男になんぞ、奈央はくれてやるつもりはない!』
ワッハッハ……と一頻り大笑いしたじーさんは、大宮組の組長と幹部達に向き直り、
『大宮の組長さん。儂からも頼む』
と頭を下げた。
『――なっ! と、藤堂のおやっさん、やめて下せぇ!』
『いいや。こりゃ儂の我が儘じゃ。孫の奈央には、いずれこの組を背負わせることになるのは仕方のないことだと分かっとる。しかしせめて、せめて結婚は、本気で惚れ合うとる相手とさせてやりたいんじゃ。……二人は幼なじみで仲良うしとったから、儂も少々勘違いしておった。本当に申し訳ない!』
『じーさん……』
極道一家の唯一の跡取りとして、その道を進むしかないことは、小さな頃から分かっていた。
だから結婚も、そういったしがらみの元でしなくてはならないことも、覚悟していた。
けれどこの時のじーさんの言葉は、決められた人生の中にも選択肢があると教えてくれたようで、とても嬉しかった。
『じゃから頼む! 老い先短い老兵の頼み、聞いちゃくれまいか!』
『…………』
関東で『最期の任侠』と詠われる藤堂吉之介が畳に額が付く程に頭を下げ、それでも異論を唱える輩は、その場には一人としていなかった。
大宮組組長、大宮恭介ただ一人を除いては。
『……奈央ちゃん』
『はい』
『あんたは、どう思う?』
射抜くような眼差しを向けられるも、その視線を真っ向から受け止め頭を下げた。
『大宮のおじさん。あたしからも、お願いします……。龍一にはゆきえが必要で、ゆきえには龍一が必要なんです』
『奈央……お前……』
私の言葉に驚いた龍一が、言葉を飲み込む。
それをチラリと見た私は、頭を上げるとポリポリと頬を掻いた。
『それに正直、こいつと結婚なんて全く、全然、ピンときませんし! 結婚するなら、白馬の王子様でないと!』
『なっ――! お前なぁ、白馬の王子様ってガラかよ? つかちょっと感動した俺を返せ!』
『知るか!』
やいのやいのと、いつもの遣り取りが始まった私と龍一に、呆れたような声が飛ぶ。
『分かった分かった! 二人共、三文芝居はもう止めろ!』
『『…………』』
大宮組組長の声に、ピタリと動きを止めた私達は、いそいそと座り直す。
『奈央ちゃん。本当に、良いんだね?』
『はい。もちろん』
『龍一。藤堂組へのこの借りは、高くつくぞ?』
『分かってる』
こうして。
私と龍一の『許嫁』は、この日無事解消されたのだった。
そうして龍一とゆきえは、その後も数々の試練を乗り越えながらも大学の卒業を機に婚約し、今年の秋には結婚式も控えていた筈なのだ。
そう、たった、今日までは……。
「…………」
自分が吐き出した紫煙を眺めつつ、何よりも大事な人達のことと、大切な居場所である組のことを想う。
私はこの日、とある決意と共に眠れぬ夜を過ごした。