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復讐のカウンドダウンが始まるその前に  作者: 江崎美彩
第一章

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復讐のカウンドダウンが始まるその前に

 窓を揺らす強い雨風、夜空を切り裂く雷光。雷鳴は頭上で轟き、嵐が近づいてきたのを知らせる。

 アイビーはプラット子爵家に嫁いできたあの日を思い出す。


(初めてこの屋敷に訪れた時もこんな嵐だったわ。皮肉ね。今日もこんな嵐になるなんて……)


 外の嵐に気を取られ物思いにふけるアイビーは、屋敷内がにわかに騒がしくなったことに気がつかなかった。


「アイビー様! たっ大変なことが起きました!」

「マシュー! 屋敷を走るなんてあってはなりません! いいですかそもそも……」


 執事のマシューが慌ててアイビーに駆け寄る。普段冷静なマシューからは信じられない行動だ。

 侍女でありマシューの姉であるスザンナが咎めるのをアイビーは止め、何があったのか話すように促す。


「ベッ……ベンジャミン様が、こちらに向かう途中、雷に打たれて意識がないそうでございます! 王都の屋敷にて医師が容態を見ておりますが、至急アイビー様に王都まで来ていただきたいとのことです!」

「──なんてこと!」


 マシューの告げる事実にアイビーは膝から崩れ落ちた。




 アイビーがプラット子爵家に嫁いだのは三年前の嵐の日だった。

 姿絵で見た未来の夫は、明るい黄緑色の瞳が目を引く甘い顔の青年だった。親が決めた結婚ではあったもののアイビーは少なからず好意を抱いた。


(こんな素敵な人と結婚できるだなんて!)


 まだ十九歳だったアイビーは婚約が決まったその日から、毎日姿絵を抱きしめて眠りについた。

 とうとうプラット子爵家に嫁ぐその日が訪れる。アイビーは姿絵で想像していた男から歓迎を受けることを夢に見ながら門をくぐった。


 嵐の中アイビーを出迎えてくれたのはマシューをはじめとする使用人達だけだった。

 誤魔化すような微笑みに微かに浮かぶ憐憫。

 その理由を知るのにそう長い時間はかからなかった。

 結婚式は行われず、待てど暮らせど夫となったはずの男は現れない。

 アイビーは冷たいベッドのなかで、薄い夜着をかき抱き一人で眠った。


 書類上夫となった男と顔を合わせたのは嫁いで十日は経っていた。

 初めて会ったベンジャミンはアイビーを上から下まで一瞥したあと鼻で笑い「親父の介護は君に一任しよう」とだけ告げて再び領地の屋敷を留守にした。


 アイビーの夫となったベンジャミン・プラットは稀代の遊び人だった。

 領地の屋敷には寄り付かず、王都の屋敷に留まり社交場で誰これかまわず多くの女性と「運命の出会い」を繰り返し、享楽的な生活に耽っていた。


(わたしには指一本触れないくせに)


 一ヶ月と経たずにアイビーはベンジャミンに愛想を尽かした。


 ベンジャミンに介護は任せると言われたものの義父の介護は使用人が行っていた。アイビーに与えられた仕事は義父の昔話を聴くことだった。

 毎日ベッドサイドの椅子に座る。虚ろな表情の義父が口にするのは後悔ばかりだ。

 領地の運営や王城への出仕などで忙しくして家族を顧みることがなかったこと、妻が亡くなると息子が家に寄り付かなくなってしまったこと。

 家族を犠牲にしてまで取り組んだ仕事も身体を壊して何もできなくなってしまったこと。

 家督を譲るために息子に所帯を持たせようと、遠方で息子の噂を知らない田舎貴族の娘をだますような形で嫁にとってしまったこと。


「話を聴くだけでは何もして差し上げられないわ」


 アイビーはある日義父の身の回りを世話するマシューにそうこぼした。

 本心だったのかもしれないし、同じ話を幾度となく聞かされたことへの愚痴だったのかもしれない。


「旦那様は頑固でしたが正義感の強い筋の通ったお方でした。公明正大な人柄は領民からも慕われていらっしゃいました。なのに、身体を壊されてからは塞ぎ込んで、仕事ばかりで家庭を顧みなかったことが原因でベンジャミン様が道を踏み外したのだと責めてばかりでいらっしゃいます。お話されることで気持ちの整理がつくのやもしれません」

「そう」


(引き続き話を聞けってことね。それにしても……)


 ずっと背を丸め後ろ向きな言葉ばかり吐く姿しか知らないアイビーには、領民に慕われている姿は想像がつかなかった。


「お義父様は領地ではどんなお仕事をされていたのかしら」


 アイビーの問いにマシューは少し考えた顔を見せる。


「是非旦那様に直接お尋ねいただけますか? アイビー様に領地について興味を持っていただければ、さぞかし旦那様もお喜びになると思います」

「そうかしら。……そうね。伺ってみるわ」


 アイビーが義父に領地での仕事について尋ねることにしたのは、後ろ向きな話ばかり聞くのに嫌気がさしただけのように今となっては思う。

 それでも人が変わったように熱意を持って領地運営について語る義父はまさに領民に慕われる領主そのものであった。

 余命いくばくもないと言われていた義父がその宣告よりも生きながらえたのは、アイビーに領地運営の知識を伝えることを最後の務めと考えたからであろう。


 アイビーが嫁いで一年後義父は亡くなった。


 義父が亡くなりベンジャミンが当主となっても女遊びは続いていた。それどころかより奔放になり、季節ごとに顔を出していた領地には全くと言っていいほど寄り付かなくなった。

 プラット子爵家の家政や領地運営は、ベンジャミンではなく、アイビーが担った。

 義父に教わった知識だけでは足りない分は使用人達に協力を仰ぎながらこの二年どうにか乗り切ってきた。

 三年間でアイビーがベンジャミンに会ったのは数えられるほどしかなかった。


 そんな中、ベンジャミンから一通の手紙が届いたのはひと月ほど前だった。


 一方的な離縁通知。

 そこには、ベンジャミンが子爵家の正当なる後継者であり、子爵家の持つ資産や領地についての権利はベンジャミンが有する。権利者に断りなく権利者の如く振る舞うのは許し難き行為である。一ヶ月後、そちらにむかうので離縁状に署名し屋敷から出ていくようにと書かれていた。

 めまいがした。


(どういうつもりよ!)


 マシュー達にベンジャミンから届いた手紙の内容を告げると、みなアイビーに味方した。

 ベンジャミンが領主としての責務を果たしていない事を示す証拠を短い期間でかき集め、貴族院に申し立てベンジャミンから爵位を奪う準備を整える。


 アイビーを貶めようとするベンジャミンを貶めるための、復讐のカウントダウンが始まる。

 そう思った矢先の事故だった。



 ***



 アイビーが王都の屋敷でベンジャミンの回復を待っているのは、ただの意地でしかない。


(せっかく用意した復讐劇は万全な状態で幕を上げるべきよ)


 命に別状はないはずなのに目を覚まさない書類上の夫は、今日も寝台の上で美しい顔のまま、まぶたを閉じている。

 三年間の心労でやつれたアイビーと違い、ベンジャミンは三年前に受け取った姿絵から変わらないままだった。


(相変わらず腹立たしいくらい無駄に整った顔のまんまね。ううん。髪の毛はずいぶん伸びたみたい)


 額に張り付く髪の毛に触れようとした瞬間にベンジャミンが目を覚ましたのは偶然だろう。

 ベンジャミンの黄緑色の瞳はアイビーを捉えて離さない。

 アイビーは手を引くこともできずに押し黙る。


 気まずい沈黙を破ったのは、ベンジャミンの「えっと……誰?」という問いかけだった。


 高い打撃音が部屋に響く。


 ベンジャミンに初めて触れたのは結婚式の誓いの口づけでもなく初夜の熱い抱擁でもなく、頬への平手打ちになってしまったのは仕方のない事だ。とアイビーは心の中で言い聞かせる。


「何が『誰?』でございますかっ! 女遊びをしすぎて妻の顔まで忘れたとでも言うのですかっ!」


 アイビーがベンジャミンを責める前に、後ろに控えていた侍女のスザンナがそう叫んだ。


「つ……ま……? って妻⁈ 俺の⁈」

「当たり前でございます! 何をおっしゃってるんですか!」

「えっと、妻ってどちらが……」


 いつも気取った顔しかみせないベンジャミンが頬をおさえて驚いたようにアイビーとスザンナの顔を交互に見て目を丸くする。


「こちらにいらっしゃるアイビー様に決まってるじゃありませんか」

「こんな、美人が、俺の妻? 本当に?」

「びじ……」


 思ってもいない発言にアイビーも目を丸くする。

 ベンジャミンは何かぶつぶつと呟き頭を掻きむしっていたかと思うと、身体を起こしてこちらを向いた。


「あの……すみません」

「すみません⁈」


 声を上げて驚くとベンジャミンは肩をびくつかせる。

 アイビーはわざとらしいと思いながら咳払いをして、ベンジャミンに話すように促す。


「えっと、鏡を見たいんですけど」

「はぁ? こんな時にでございますか? どれだけ自分の顔にご自信があるんだか」

「スザンナ。いいから、持って来てさしあげてちょうだい」


 そう指示を出しつつアイビーはベンジャミンに目を向ける。

 あまり会っていなかった夫とはいえ目の前の姿はあまりに違う。違和感は拭えない。


「ああ……やっぱり……俺じゃない……」


 鏡を受け取ったベンジャミンは自慢の顔を見て絶望の表情を浮かべた。

意地っ張りなヒロインの恋物語です。

よろしくお願いします。

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